頭木弘樹(文学紹介者) ・〔絶望名言〕 ボブ・ディラン
彼の代表曲「風に吹かれて」が発表されてから60年が経ち、また2016年にはノーベル文学賞も受賞して、80歳を過ぎた今もコンサートツアーと創作活度を続けています。 伝説の歌手ボブ・ディランの絶望名言です。
「何度見上げたら青い空が見えるのか。 いくつの耳を付けたら為政者は民衆の叫びが聞こえるのか。 何人死んだら判るのか。 余りにも多く死に過ぎた。 その答えは友達を風に舞っている。 答えは風に舞っている。」 ボブ・ディラン
代表曲には「風に吹かれて」、「時代は変わる」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「天国への扉」などがあります。 現在82歳でまだ活躍中です。 2016年にはノーベル文学賞も受賞。 1974年に刊行された「ボブ・ディラン全詩集」、1993年には「増補版」?も出版しています。 2005年に刊行された「ボブ・ディラン全詩集 1962~2001」2020年に刊行された「The Lyrics1961~1973」と「The Lyrics1974~2012」の2冊。
「風に吹かれて」は人間の根本的な問題迄書きこまれている。 根本的な問題はずーっと解決しないままで居る。 どうしたらいいかという答えはまだ風に舞っている。 当時21歳でこの曲で一躍有名になる。 1963年8月28日ワシントン大行進(人種差別撤廃を求めるデモ 大群衆を前にキング牧師が行った演説が有名。)で演奏する。 ボブ・ディランは「フォークの貴公子」と呼ばれる。 ボブ・ディランを見出したのはジョン・ハモンド(新たな才能を発掘する)という人です。 ボブディランの才能を見出したもう一人の人が居た。 グロスマンというマネージャーで、商売としてボブ・ディランに目をつけた。
「叶わぬことと判っていても僕はただただ願うばかり。 またあの部屋でみんなで一緒にただ座っていたらと。 またあんな日に戻れるとしたら1万ドルでも僕はすぐに喜んで差し出すよ。」 ボブ・ディラン
21歳で、過去を懐かしむにしては若過ぎるが。
*「ノー モア オークション ブロック」 オークション ブロックは奴隷が売買される時に立たされた競売台 「風に吹かれて」の元になっている曲。 演奏、歌:ボブ・ディラン
「どんな気持ちだ。 どんな気持ちだ。 独りぼっちになるというのは。 帰るところがないというのは。 知り合いもなく生きるのは石ころみたいに転がって行くのは。」 ボブ・ディラン
この曲はそれまでと違っていて、ギターとハーモニカだったのが、 この曲はバンドの演奏で、エレクトリックです。 この変化が物議をかもし、大不評だったが。
「山々を掌中に握りしめ、そこを縫って流れる川は日々水が絶えることがない。 そんなときもあったのに、僕は頭がおかしくなっていたのだ。 すべてを捨て去って初めて自分が手に入れていたものに気づくだなんて。」 ボブ・ディラン
山と川は比喩で、非常に豊かなものを自分は手にしていたのに、それを捨ててしまって、捨ててしまってからその価値を知る。
1966年にボブ・ディランはオートバイに乗って転倒して怪我をする。 7年半隠遁生活をする。
「私はバイク事故に遭って怪我をしたが、それはすでに回復していた。 本当のところは競争ばかりの社会を抜け出したかった。 子供を持ったことで人生が変わり、私は周囲の人や世の中の出来事から遠く離れた。 家族以外のことには興味を持たず、何もかも違った眼鏡を通して見て行った。」 (事故当時は25歳)
「昨日俺は通りで誰かが泣くよりほかにどうしようもないのを見た。 おーこの川が流れ続けるのです。 何が邪魔に入ろうと、風がどちらに吹こうと、川が流れ続ける限り、俺はここに座って川の流れるのを見る」 ボブ・ディラン
泣くよりほかにどうしようもないのってありますよね。
1980年代に入るとアルバムのペースが落ちてきます。 ライブの観客動員も減ってくる。1990年に『アンダー・ザ・レッド・スカイ』を発表後、アルバムを出した後は、7年間作らなくなる。 1997年アルバム『タイム・アウト・オブ・マインド』は18年ぶりに全米トップ10に入り、グラミー賞年間最優秀アルバム賞を受賞した。 そこからは今に至る。
「頼む、銃を埋めてくれ。 2度と使う事はない。 黒い雲が空から降りる。 天国のドアを叩く。 そんな気がする。 コンコン叩く天国の扉。 コンコン叩く天国のドア。 コンコン叩く天の扉。 コンコン叩く天国のドア。 コンコン叩く天の扉。 コンコン叩く天国のドア。」 ボブ・ディラン
「ビリーザキッド21歳の生涯」の挿入歌。 映画のなかで保安官が死んでゆく。 バッジを外し、銃を捨て、目の前が暗くなってゆく。 天国の扉をノックする。 ノックしても開くかどうかは判らないが、ノックし続けている。