1969年8月27日にシリーズ第1作が公開された映画「男はつらいよ」、渥美清さんが亡くなって27回目の夏です。
私が初めて「男はつらいよ」に出演したのは1988年の第40作目の『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』という作品からです。 最後の1995年「紅の花」で終わったので7年になります。 9作品になります。 20歳でお会いして、役者としてのものの考え方、日頃のどう見聞きしておけばいいのかという事を会話のなかでそれとなく教えていただきました。
渥美清さん、本名が田所康雄さん、昭和3年東京都台東区で生まれ。 中学卒業後、軽演劇の座長に誘われて初舞台を踏んだ渥美さんは、1953年にストリップとコントが売り物だった浅草フランス座に入り、コメディアンとして人気を博しました。 テレビにも進出、NHKで放送されていた「若い季節」や「夢で逢いましょう」などで活躍する一方、出演した映画やドラマが評判となり、俳優としての地位が確立します。 1968年フジテレビの連続ドラマ「男はつらいよ」に主演、翌69年には映画化されて、以後毎年夏と正月の2本ペースで制作された「男はつらいよ」は次々と大ヒットを記録、国民的映画と呼ばれるとともに、シリーズが30作を越えた1983年には一人の俳優が最も長い映画シリーズとしてギネス世界記録に認定されました。 90年代に入ってからはお正月だけの1年に1本の体制となりますが、作品は特別編などを含めて合わせて50作にのぼります。 またシリーズの合間を縫って渥美さんは今井正監督の「ああ声なき友」、山田洋次監督の「はだから」「幸せの黄色いハンカチ」、野村芳太郎監督の「八つ墓村」など様々な作品にも出演しています。 亡くなったのはシリーズ48作目の「寅次郎紅の花」が公開された翌年1996年8月4日68歳でした。
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』のおだんご屋の店員さんの三平ちゃんの役で出演しました。 「ダウンタウンヒーローズ」という山田洋次監督の映画のなかで寮の食堂のおじさん役を渥美さんがやっていて、そこで初めてお会いしました。 (1988年) 渥美さんあは若いころ肺を患って片方切除していて、撮影所は土埃がしていて、水をまいたりしている様な撮影所だったので、ちょっとでも空気のいいようなところにいる様にしていました。(みんなとは離れた場所にいた。) いまだに本名の北山ではなく、周りからは「三平ちゃん」呼ばれています。 渥美さんは寅さんという感じではなく、凛としていました。 話をすると暖かかったです。 「寅さん」と呼ぶ方はいませんでした。
合間の話のなかで「舞台はいいぞ。」と言っていました。 お客さんとの生の、一体感というか、そういたものを舞台は感じられるので、こういったものかと感じました。
当時はフィルムだったので、何回もNGを出して、大変でした。 撮影現場では本当に家族というような感じでした。 緊張したシーンは三平が集金から帰ってくるんですが、土手に座っている寅さんを三平が見つけるんです。 声をかけるんですが、そこは緊張しました。 スタッフさんからいろいろと脅されるんです。 意外とうまくいきました。
48作目の「紅の花」は遺作となりました。 リリーの浅丘るり子さんが奄美に帰るのにタクシーに寅さんの一緒に乗ってゆくシーンがありますが、寅さんがかばんを忘れて、三平がそれに気づいて、タクシーを全速力で追いかけてゆくというシーンでした。 信号待ちで追いついて、かばんをトランクに入れて、二人に向かって「行ってらっしゃい、お幸せに。」と言い、道にへたり込んで手を振って見送るシーンでした。 大事なシーンでした。 渥美さんとは今回この作品は最後なるという時に、挨拶をしようと思って、廊下を追いかけて行って「渥美さん、ありがとうございました。 またよろしくお願いします。」と声尾をかけたら、右手を上げて「おう」と一声かけてくれ、その後姿が私の見た最後でした。
1996年8月4日肺がんで渥美清さんは亡くなります。 私は山田洋次監督から伺いました。 体調が良くないことは撮影中にはわかっていました。 1997年11月「男はつらいよ」49作目「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」 特別篇が公開される。 2019年12月には「男はつらいよ お帰り 寅さん」が公開される。(50作目) おだんご屋はカフェに改装されて、三平が店長として切り盛りして、寅さんはどこか旅の空、と言うような設定でした。
「舞台や映画で自分の方が上手くできるんじゃないかと思うかも知れない、そういう役はあるだろう。」と言われた時があります。 「はい」というと「自分はその演じている役者よりも一つ下にいるんだよ、と思った方がいいぞ。」と言われました。 それは今も心ににとどめています。
渥美清さんへの手紙 北山雅康
「今はどちらの旅の空でしょうか。 ・・・車寅次郎さんは今もなお多くの方々から愛され、熱く語り継がれております。 フランスでも全作品が上演され沢山の方がご覧になったそうですよ。 そして2019年には22年振りに「男はつらいよ お帰り 寅さん」が製作されました。 私三平もカフェとなった柴又の車屋でさくらさんたちと今もお帰りをお待ちしています。・・・ 撮影当時20歳の若輩者の私に舞台の面白さ、役者としての見聞を広める大切さを教えてくださいまして本当にありがとうございました。 ・・・昨年蛾次郎さんがそちらに行かれました。 本当に舞台を観ていただきたかったです。 ・・・会って沢山お話をしたいです。 ・・・渥美さんから頂いた言葉は私の宝物です。・・・」