2022年9月29日木曜日

松嶋雅人(東京国立博物館・調査研究部長)・【私のアート交遊録】 東博~150年の美の旅へ

 松嶋雅人(東京国立博物館・調査研究部長)・【私のアート交遊録】  東博~150年の美の旅へ

東京国立博物館は今年150周年を迎えます。  それを記念して来月150周年記念「国宝東京国立博物館のすべて」これが開催されます。   会期中狩野永徳の障壁画や渡辺崋山の作品をはじめ教科書にも登場する有名作品や名作を一挙に堪能することが出来る上、史上初89件の国宝も公開されます。  日本の博物館、美術館の礎ともいえる東京国立博物館の歴史と作品を知ることで日本美術の歴史も辿ることが出来ます。  日本近世から近代絵画が専門の松嶋雅人さんに日本美術の歴史と併せてその見どころを伺いました。

明治5年(1872年)に発足し、令和4年に創立150年を迎えたという事になります。   日本は明治維新後に海外との交流の中で日本が近代国家として認めてもらうために、様々な政策を行いますが、日本の文化財を世界に紹介して、日本が近代国家の一つなんだという事をオリエンテーションしようというところから、始まりました。  展示は美術だけではなくて特産物もありました。  郵便とか鉄道とか明治5年あたりにいろんな仕組みが出来上がってきました。  廃仏毀釈運動というのがあって、文化財を失わないためにいろんな法律で守ろうという事がもとで、古い価値観を備えた造形物も大切にするという意識はあったんだと思います。   保存も重要視する、公開も重要視するという事ですが、西洋とは材料、材質も違うので劣化しやすい、有機物、植物をもとにした紙とか、そういった材料が多いので、光を当てている限りは劣化してしまいます。  保存と展示との兼ね合いになります。  

東京国立博物館には今約12万件あります。  いろんな専門の研究員が保存、修復などに関わっています。  10月18日から150周年記念「国宝東京国立博物館のすべて」を開催。  当館が所蔵している国宝89点をすべて展示します。   久隅守景の納涼図屏風が好きでそれも今回展示されます。  狩野永徳長谷川等伯だとか著名の画家の国宝も展示されます。   2012年の創立140周年のころから多くの方々に来ていただこうと、いろんなイベント、プロジェクトを組んで、100万人を超えています。  観てもらわないともったいないんです。  年間160万人きていただくぐらいになりました。   学校で日本の文化を紹介されtも全く実感がわかないんですね。  

明治以来様々な文明が流れ込んできて価値観、世界観が変わっては来ているんですが、気付かないところで日本の文化財自体が、今の私たちの暮らしの中で培われているような精神的な部分とか、可成り色濃く残っているんです。  気づかないだけでたくさん残っています。  現実は嬉しい事楽しい事だけではなくてきつい事苦しいことが沢山あります。  そこを日本の場合は考え方を変えたり、精神的により素晴らしいものに置き換えて表現したりする。   背景にどういった社会的成り立ちがあったり、作られた経緯があったり、そういったものを知るだけで、本来古いものは権力者であるとか、限られた人のために作られたも音が多いんですが、今は国民の文化財ですので、自分たちのものとして知ってもらって、考えてもらうと、何かしら生きる糧になるようなところもあるのではないかと思います。  

納涼図屏風を観ているだけで、いろんな発想とか想像もできるストーリー性を感じたりもするんですが、博物館、美術館にいってぼーっとしているだけでも、その時間で様々な考えが浮かんだり、落ち付いたり、そういった時間を本当につくれると思います。  理不尽にいろいろ制限された時代とは違って、今は本当に自由で、その世界でかつての時代を振り返ってみた時に、自分がこれからどんなふうに暮らしてゆくのかという時にいろんなヒントが出てくるんじゃないかなあと思います。

東京国立博物館ではいろんな材質、材料、分野が揃っているので、自分で興味のあるものを観ていただく、まずは一点一点のいつ作られたのか、誰が描いたのかなどはどうでもいい、自分の目がゆくもの、心が惹かれるものを見つけてもらって、一点見つかるとどんどん繋がっていきます。   絵を見た時に松の林、鳥、花、人物を描いていると目にするだけだと「ふーん」という形で終わってしまいますが、どんなふうに描いているか、筆がどんなふうに入っているか、色がどんなふうに置かれているか、ちょっとだけ気にすると慣れてきます。   回数を重ねてゆくと筆で墨を画面に置いてゆくときに、たっぷり墨が乗っている、擦れているというのは区別できるはずなので、そこから始まってほしいと思います。 どういう意図でモチーフ、対象が形作られていったのかとか、判って来ますので、それと内容、コンテンツは完全に一致していますので、言い方を変えますと、表現する内容のために表現方法があるんです。  それを知っていただくと博物館で品物を見ていただく世界がどんどん広がるのではないかと思います。   

東京国立博物館に勤めて22年になりますが、10年ぐらい経った時に、光学的な技術が発達して印刷技術も格段に発展してきて、博物館の文化財を光学的に記録する(高精細画像で記録する)こと、それを印刷する技術(和紙に印刷するとか)とかが凄く進展しました。   いろんな企業から東京国立博物館と共同していろんな事業が出来ないか、という相談を受けるようになりました。  国宝、文化財の超高精細画像の印刷、複製品をつくったりして、その画像データでバーチャルリアリティーの映像コンテンツを作ったりしました。  文化財を見る時の手助けになるのではないかと考えました。  

納涼図屏風には3人の人物が寝そべっていて、左上には月がある。 どんどん真っ暗になって行く一瞬が描かれている。  慣れていないとそれを感じ取れない。  動画で暗くしてやったり、ひょうたんの葉っぱが揺れて風を感じたりするが、絵には風は絵が描かれてはいない。  映像化することで絵には暗さ、風とかが凝縮されていることが視覚的に実感してもらえるんじゃんないかと思います。  私自身、漫画だとかアニメーションだとかと、日本の絵画、造形と基本的には一直線と感じています。  造形の表現の方法論というのも一つの歴史的な直線状に並べた時に、一つの絵を映像にしたり複製を使ったイベントをしたりすることは、私自身は全くずれはないと思っています。  

日本の漫画文化、アニメーション文化は欧米と違って、培われた伝統的な考えが作家さんたちは意識しなくても、残って出てきているんだと思います。   古美術を漫画とかアニメーションと同じような考え方で示す事は凄く理解されやすいとは、私自身は考えています。

小学校の頃は油絵などを描いていました。  高校時代は京都、奈良の寺院を訪ね歩きました。   知らず知らずに今の職業につながって行ったんじゃないかと思います。     

納涼図屏風は静かで地味な絵ですが、凄まじく奥深い、なにか内容を含んでいると思います。 




 

2022年9月28日水曜日

藤依里子(植物文様研究家)       ・【心に花を咲かせて】 願いを込めた植物文様

藤依里子(植物文様研究家)       ・【心に花を咲かせて】  願いを込めた植物文様 

昔から日本人は花の絵など植物の図柄を着物に描いたり、漆器、食器、襖絵などに描いてきました。   着物を収集し、その文様を調べて30年という藤依里子さんは、その文様を調べてゆくと単に美しいから描いたというのではなくて、その文様に祈りや願いが込められているというのを感じていると言います。   願いを込めた植物文様の話を伺いました。

松竹梅がありますが、めでたいという感じがします。  お寿司屋さんなどでも松竹梅と値段が書かれていて値段が違います。   本当は文様では同列に扱っています。  冬頑張っているよね、という植物たちです。   「三寒の友」という言葉を使っていたと思いますが、人の生き方を表しているよ、という事につながったという風にされています。  中国の「歳寒三友」が日本に伝わったものなんです。  寒い中でも3人のお友達みたいな言い方ですが、冬の寒さに耐える三種の植物、緑を保つ松と竹、他の植物に先駆けて咲く梅、という事で冬の象徴になっています。   梅は香雪、貞節、清純という感じで匂いがいいです。  昔は花見は梅でした。  松はしっかりしていてドンとしていて冬でも元気でいる。  竹も元気で人間こうあるべきだ、寒さに負けては駄目なんだみたいな事です。

「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」  皆さん美人の象徴だと言いますが、いらいら立っている、クラッとした時に座る、ふらふらと歩いている。  どちらかというと生薬として使われている。 「立てば芍薬」の”立てば”はイライラとし気のたっている女性を意味し、芍薬により改善されます。  芍薬の根を使うのですが、痛みを取ったり、筋肉のこわばりを取ったりします。  「座れば牡丹」の”座れば”はペタンと座ってばかりいるような女性を意味し、それは「お血(おけつ)」(お=やまいだれ+於)が原因となっていることもあります。 「お血」、腹部に血液が滞った状態を意味します。「お血」は牡丹の根の皮の部分(牡丹皮・ぼたんぴ)により改善されます。  「歩く姿は百合の花」は百合の花のようにナヨナヨとして歩いている様子を表現しており、心身症のような状態を意味します。  その場合には百合の球根を用います。 昔の人は字が読めなかった人が多かった。   薬になるのではないかというものを図案化した。  割と植物は薬になるものが多いです。 着物の文様にされています。

どんなに綺麗でもあんまり見ない植物があります。 トリカブト、着物の文様にはされていません。   スズラン、曼殊沙華、も同様に文様がない。   重陽の節句(9月9日)には菊水を飲んだりしていました。  菖蒲の節句(5月5日)では菖蒲湯(魔除け)、桃の節句(3月3日)桃の葉は肌荒れ、しもやけ。   薬効のあるものを柄、文様にして伝えてゆきました。   南天も喉の薬として使われていたので、図案は多いです。   南天と福寿草を一緒に描て、「難が転じて福になる」という祈りが込められています。    お子さんの着物に茄子が書いてありました。  理解できなかったが、お琴の音を調節するために琴柱というものが使われますが、茄子と一緒に描いたものが、「ことをなす」、子供が夢を達成する、という願いを込めています。  産着などでも使われている麻の葉の文様、麻の葉は物凄く早く大きくなる植物で、子供が早く成長するようにという事で祈りが出て来ます。  麻の葉の文様は星形にも見えなくもない、桔梗の花のようにも見えなくもない。  安倍晴明が魔除けに使っていた。  これが護符になる。  麻の葉も成長を願い守ってもらう。

トクサと流水を一緒に組み合わせたりした流水トクサ紋が羽織に描かれているものがあるが、トクサ(砥草)はものが磨けるらしい。  トクサでお金を磨くと光るらしい。 金運上昇。   お金の流れと水の流れが同じようだと捉えてトクサと流水の文様があります。

刀の鞘とかに「猿と栗」が描かれている。  搗栗(かちぐり)=勝ち栗、猿=去る、すなわち勝ち去る、堂々と去ってゆく。  これも祈っているわけです。   トンボも勝ち虫と言います。  前にしか飛ばない。  トンボは名前も変わるから出世の象徴にもしました。  ヤゴの時に鎧のように感じたので武士が好んだ。  

椿は二つ説があって一つは武士が縁起の悪いのは頭が落ちるように花がポタっと落ちる、女性は出産がポタっと落ちた方がいいというところで安産に役立つ模様だとされた。    椿油にまつわる美しくなれる美の象徴という事です。

梅紋にもいろんな紋があります。  丸く描かれている花の紋が結構ありますが、円が縁という事で縁がありますようにという事です。   銀杏の紋は扇に似ていて末広がりという事で縁起の良いものとされる。   御神木でオスとメスの木があって実がなり、夫婦の象徴として縁起がいい。  秋には葉が黄金色となり、お金がざっくざっく入って来る文様なんです。   

秋の七草は全部薬でした。  秋草紋で図案化されています。  春の七草は何故かないんです。  かぶら文様はあるが大根になると見ない。  かぶというとカブが上がるという言葉遊びです。  野菜で文様になっているのがお正月のクワイ、芽が出るという事で、意味があると野菜でも文様になります。   ウリ科の植物は結構図案化されています。  ウリ科は種が多いから子宝という事で図案化されている。  ひょうたんは文様としてよく見かけます。   ひょうたんが3つで三拍子、お祭りの時の三拍子となります。  ひょうたんが六つになると無病、病にならない。  

唐草はエジプトからやってきた文様ともいわれています。  唐草は切れないようにずーっとつながっている。  永遠の命を求めてという事で、唐草紋がよく使われている。  バラと菊と松葉、常に元気でありたいとか、永遠に美しくありたいとか、松葉がずっとくっついているという事で愛されたい文様、という事です。  松葉茶があります。 文様になっている植物は結構お茶になります。   紫陽花は毒にもなり薬にもなります。     最近は品種改良などがあり昔のままというわけというわけにはいきません。  生薬辞典とかみて検証したうえでやってください。  

私は日本の文様というところから入っています。  30年前ぐらいに京都の水野さんと知り合い、そのうち着物がなくなるというように言っていました。  着物の柄に開運とかがあり、何らかの形で意味があることが判りました。  日本の文化、伝承を残したい、文様について知って貰いたいという思いから始まりました。   神様とか願い、祈りが文様にも通じている。  いろんなことを笑いに変えてゆくユニークさ、宮本武蔵も好んだと言われるものがあり、葡萄とリスの組み合わせで、葡萄=武道、リス=律する、日本人らしいと思いました。  身の回りの文様を見直してください。  見えないものが見えてくるかもしれません。  亡くなった叔母が沢山の着物を持っていて、萩ばっかりが多いんです。 萩を調べたら「新しい芽を出すから萩だ」と読んだ時に、叔母は何は新しいものをたえず求めていく生き方をしたかったのかなあとか、本当の自分はここなのよというのを文様に中に託したのかなあとふっと思う事があります。  結婚式などではテッセンの文様が描かれているが、茎は物凄く硬いんです。  強い絆という意味があるんで、テッセンの文様は昔から婚礼の席には欠かせなかった。  






2022年9月27日火曜日

吉田建(音楽プロデューサー・ミュージシャン)・ボーカリストの背中に教えられて

 吉田建(音楽プロデューサー・ミュージシャン)・ボーカリストの背中に教えられて

1949年(昭和24年)東京都渋谷区出身。  早稲田大学在学中にシンガーソングライターの長谷川きよしさんに見いだされプロとして活動を開始、その後1980年代には沢田研二さん、泉谷しげるさんのバックバンドのメンバーとして活動、又音楽プロデューサーとしても沢田研二さんや氷室京介さんはじめ多くのアーティストのアルバムを制作、コンテスト番組の審査員や、アイドル番組にも出演するなど幅広く活躍しています。  今年プロとして活動を開始してから50年を迎えた吉田建さんに伺いました。  

沢田研二さんのバックバンド「エキゾテックス」で、1981年(31歳の時)毎日のようにテレビに出ていました。  ビジュアル系のはしりだったと思います。  紅白でも「晴れのちBLUE BOY」(沢田研二さんの39枚目のシングルという当時としては過激な曲(作曲:大沢誉志幸)で印象に残っている出来事でした。  

高度成長期で、大学卒業して3年ぐらいプロの道をやって、厳しかったら就職しようというような思いでいましたが、始めてみたら順調にいき、今年で50年になります。  早稲田大学では「ハイソサエティ・オーケストラ」のバンドでベースを弾いていました。  経済学を勉強して広告代理店、商社、外務省などに入りたいと思っていました。  4年生の時にはプロ活動していました。   或る時、シンガーソングライターの長谷川きよしさんに見いだされて、一緒に活動しました。  プロになる気はなくて就職試験を受け就職も決まりました。  しかし、音楽に対する情熱は持っていて、音楽活動を続けてベースを評価してくれる人がいて、認めてもらいました。   3年ぐらい長谷川さんと付き合ってマインドを物凄く教えてもらいました。  音の出し方、考え方、など。 それは今でも繋がっています。   オーディションがあって、沢田研二さんのバックバンド「エキゾティクス」に入ることが出来ました。  やりかたが全く変わりました。  

7月に本を出しました。 「平成とロックと吉田建の弁明」  全くジャンルの違う人との対談形式。(斎藤由多加氏)   ロックはエレキギターが現れたからこそできた音楽だと僕は思っています。  エレキギターの登場で大人数でやる音楽から変わってきて身近な音楽になった。   初プロデュースは1981,2年のりりイーさんで、その後氷室京介さん、沢田研二さんから声がかかり、泉谷しげるさんほか色々プロデュースさせてもらいました。  沢田研二さんの初プロデュースは1989年になります。   

当時のレコーディングと今とでは大分変ってしまいました。   ドラム、ベース、ピアノ、ギターの4人ぐらいが集まってやるというのが基本的なレコーディングの方法だったんですが、今はデジタルになって中々そういう事はなくなってきました。   こういう風にしたいという事を伝えて、ミュージシャンもその曲を理解して、良い時の一瞬を捕まえるという事ですかね。  

泉谷しげるさんとの出会いは大きかったんですが、全然知らなかった。   或るイベントにバックをやっていた時に泉谷さんが出ていて、そこで大ショックを受けました。(25,6歳の時)    「春のからっ風」を歌ったんです。  客席でなんだフォークかと思いながら聞いていたんですが、「誰が呼ぶ声に答えるものか」という詩が出てくるが、それを聞いた瞬間に涙が出て来ました。  まさに今の自分の気持ちにグサッと刺さったというんですかね。  泉谷さんのバックをやってみたいと思っていたら、ある時に泉谷さんがゲストとして現れて初めて話をしました。   東京に帰ったら泉谷さんのマネージャーから電話が掛かってきて、泉谷さんが建さんとやりたがっていますという事でした。   泉谷さんは自分のハートに火をつけてくれる世界なんですよね。

「KinKi Kids」も今年25周年で、キラキラしていて好きです。  バックですからいろいろな人の背中を見てきて、いろんなことを少しづつ吸収してきたと思います。  沢田さんは立ってしゃべっている時につま先まで自分のことが判っているんですね。  自分がどう映っているか、どう見えているかという事をつま先まで神経が行っている気がします。  人前で演奏するときに休んでいる時でもきちっとして、どうでもいい格好をしていたら全部壊れちゃうんだという事を言いたいんです。  

吉田建さんのプロデュースのアルバム「セイントインナイト」から 「誰かが僕を見つめている」  歌:沢田研二

  

2022年9月26日月曜日

2022年9月25日日曜日

雨宮正信(スタントマン)        ・交通事故防止に燃えるスタントマン魂

雨宮正信(スタントマン)        ・交通事故防止に燃えるスタントマン魂 

今年も今月の30日まで秋の全国交通安全運動が行われていますが、毎年この時期小中学校の校庭で児童や生徒たちの悲鳴が上がります。  自転車が車にはねられてボンネットに乗りあげて地面にたたきつけられる迫真の交通事故の再現シーン、加害者や被害者を生々しく演じるのが雨宮さんのスタントマン仲間です。  こうした恐怖を直視させる教育技法をスケアード・ストレートと呼ぶそうです。  交通事故防止に大きな成果を上げています。   雨宮さんは30年以上にわたるこうした身体を張った取り組みが評価されて、2020年交通安全に功績のあった人に贈られる最高栄誉賞緑十字金章を受章しました。  半世紀近いスタントマン経験を持つ雨宮さんに伺いました。

トラックの助手席に乗って、運転する人を見て凄いと思って運転に興味を持ち始めました。 サーキットなどに明け暮れていました。  或る時アメリカから来ていたスタントカーショーに日本人が真似してやってみようという事があり、面白そうだと思ってスタントカーショーをやっている会社に応募して受かりました。   ショーに参加して後半でボンネットに括りつけられて火の壁に突っ込んでゆくというところから始まりました。  その後解体寸前の車をもって行って多摩川の河原で練習していました。   スピン、急発進、急ブレーキなどは練習しますが、後はセンス、感性といった感じです。   

スタントカーショーチームに映画の方からオファーが来てやりだしました。   「狂った野獣」という映画に出ました。(1976年)  走っているバスに突っ込むというようなシーンです。    監督から「お前の車の走り方は生きているね」と言われました。   外国作品を多く見るようになりいろいろ工夫するようにました。  「太陽にほえろ」では2年間ぐらい出ました。  映画では「サーキットの狼」、スタントマンの会社を作って3つぐらいの会社が協力して「この愛の物語」を作り上げました。  映画「ゴジラ」にもいろいろな作品に全部参加しました。   

交通事故はこういう風に起きるんだよというような教育映画も長い期間やっていました。 或る時自動車教習所で「イベントがあるんだけれども、映画ではなく実際に目の前でやってもらえませんか」と言われやりました。(平成元年)   映画とは違うところもあるので0.何秒の差で運転席にずれたところに当てるとか、広い土地を借りて練習はしました。  区役所から学校の方でもお願いしますという話がいろいろ舞い込むようになりました。   その地域で一番多い事故を選んでやってきました。      校庭なのでスピードではなく、安全確認をしないで飛び出してくるというのが基本です。    ドライバーの目線、死角、などでこういう事故が起きてしまうという事を説明しながら、歩行者もむやみに車に近づかないようにと注意を促します。  今では対処の仕方、逃げ方などいろいろ説明が増えてきました。   

年間30件ぐらいでしたが、警視庁、警察庁などが観に来て、恐怖を直視させるという意味で、スケアード・ストレートという名前でやって行こうということになりました。  年間300か所を越えて実施してきました。(都内だけではなく全国に波及)  小、中,高校に展開しました。   大学でも興味のあるところとか、後イベントですね。   交通事故も減ってきました。  持ち時間は45分ありますが、厳しいところだけを見せていても、同じように見えてきてしまうので、ほっとさせるような場面を設けるようなやり方をすると、事故の一つ一つを分離して捉えると思うので、そういった方法をとっています。  

2020年交通安全に功績のあった人に贈られる最高栄誉賞緑十字金章を受章しました。   感謝状はたくさんいただき額にいれて壁、天井まで貼ってあります。  学校ではアンケートを取って送ってきてくれるところもあります。   良く見ていてくれる様子も把握できるし、今後の参考になることもあります。  波動、音それはライブでは通じると思います。  終わった後に交通事故を無くすにはどうしたらいいかという質問、取材に来ますが、それは人間の優しさですよと、最初のころからいっていたんですが ,あまり理解をされなかった。  時間の余裕というか、人間の余裕というか、優しさはそういうところに通じてくるのではないかと思います。  例えば朝ぎりぎりに起きて車に乗って急いでゆくというようなところには危険が一杯あると思うし、朝、喧嘩して出ていくとかも同様です。  人間余裕を持っていないと優しさなんてできないと思います。  歩行者もわたりますよという手を上げて意思表示をすると車も停まります、  

72歳になりましたが、視力も足腰もしっかりしています。  若い人も一度こちらの門を叩いてもらえればと思います。  



2022年9月23日金曜日

斎藤惇夫(児童文学者)         ・【みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの】 あなたを支える子ども時代のあなたを再び      

 斎藤惇夫(児童文学者)         ・【みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの】  あなたを支える子ども時代のあなたを再び (初回:2022/2/2)   

https://asuhenokotoba.blogspot.com/2022/02/blog-post_2.html をご覧ください。 


2022年9月22日木曜日

うつみ宮土理(タレント)        ・【わたし終いの極意】 「自分が楽しい」と思えることを

 うつみ宮土理(タレント)   ・【わたし終いの極意】  「自分が楽しい」と思えることを

1942年東京生まれ、24歳の時に民放の子供向けの先生役でタレントデビュー、ケロンパの愛称で親しまれバラエティーやドラマなどで幅広く活躍しています。  又公式動画サイトでの情報発信も始め若い世代からも注目を集めています。  一方私生活では2015年に最愛の夫で俳優の愛川欽也さんを亡くし、そこから1,2年はほとんど記憶にないほどの喪失感に襲われたと言います。  

公式動画サイトが始まったのが今から1年半前です。   身近な話題をと言われてやったら楽しいです。  感覚的に新しものとか面白そうなものって、やった方がいいなって匂って来るんです。  60歳ごろに韓国に語学留学しましたが、当時「冬のソナタ」でヨンジュンさんが出てくるとオーラがあってこんな男の人がいるのかと思って、会いたいと思っていたら、3か月間のソウルにあるキョンヒ大学に留学しませんかというチラシを見ました。  レギュラー番組を持っていましたが、考えて、ときめいた方にいくことで大学に行くことに決めました。    ヨンジュンさんにはロケで一瞬見る事が出来ました。   

夫からは「偉いねえ。 歳とってからも勉強するなんて。」といわれて賛成してもらいました。  キンケロ・シアター(夫婦で作った中目黒にある劇場)でしょっちゅうコンサートをやっているんですが、新しい歌などに挑戦すると、「偉いねえ。 うちでまたそうやって練習をしてるの」と言って、「偉いねえ」と言ってくれる言葉が有難かったです。

韓国語のしゃべりは早く覚えるんですが、本当に辛かったのは宿題で、質問の意味が判らず、おばさんが集まる場所とか喫茶店に行って聞きました。  あれだけ勉強したのは脳の活性化によかったと思います。   帰ってきて韓国語のドラマを観るようになったら韓国語が良く判るようになったと思いました。   夫は「おかえりなさい かみさん やったねえ」という垂れ幕を玄関のところに設置して、花吹雪を撒いて拍手してくれました。  「偉かったねえ 偉かったねえ」と喜んでくれました。  

亡くなったのが2015年で7年前です。  家で看病していましたが、入院させるということは思いつかなかったです。  逝っちゃうという思いはなく治ると思っていました。   死んでしまったら何にも判らなくなって、私の目の前に黒いシャッターが下りたんです。  絶望という言葉で表せない、私も終わっちゃったと思いました。(4月15日)  あの頃目黒川の桜が咲いていましたが、そこを歩いていてやせこけた私が桜を見ていたらしい姿を見て本当に気の毒だったと言います。  私は桜を見ていたことは覚えていませんでした。 お葬式をしたのは覚えていますが、どういう風に通って火葬場にいったのか、何を食べたのかなど覚えていません。   お骨を取ってくれた人が「喉仏がこんなに綺麗に残っている人はいません。 本当に自分より他人のことを大事にする素晴らしい人でしたね。」と言ってくれた言葉が有難かったです。  今は45kgぐらいですが、あの頃は30kg台で食欲がなくて忘れているんです。  心配したマネージャーさんが来て食べ物を作ってくれて、筑前煮を食べておいしいと思いました。  それから食べることに興味を持ち始めて元気になって行きました。  元の私に戻るのに2年ぐらいはかかったと思います。  

朝、空を見てたりすると朝焼けとか太陽が昇ってゆくピンク色とか自然の美しさがしみじみ判るようになって来ました。  自然って癒してくれますね。  あと食べ物、友達の笑顔。

キンキンがやっていた最後の番組の最終回をどんなに苦しかったと思うんですが、それをやって打ち上げパーティーがあったんです。   パーティーには出られないから代わりに出て行って、と言われて私が出ました。  家に帰ったた寝ていました。 それでスーッとです。  最後まで仕事を全うして逝ったから悔いは無かったと思います。   私が亡くなったら「頑張ったね、かみさん」と言われるような毎日を過ごそうと思っています。   両親にも「よくやったよ」と言われるように、私の兄弟、その子供、孫に時々好きな肉を送っています。

私の実家には「天網恢恢疎にして漏らさず」という垂れ幕があります。  簡単に言うと「天はお見通し」。  又「声は顔」って書いてありました。  声を大きくするように言われました。    お礼は3回言いなさいと言われました。  中学から大学まで一緒だった友達がいますが、彼女にも感謝しています。  今私が幸せなのは、母、キンキン、友達、マネージャー、スタッフなどから背中を押してくれたからだと思います。      ラジオ体操は毎日やっています。 近所の公園に100人ぐらい集まって、(女性の方が多くて)その後コーヒーをに見ながら話に花を咲かせています。   

もう80歳を迎えます。  どんどん楽しいことをやって行きたいと思います。   「豆子セブンティーン」というコメディーの舞台が11月からあり稽古が始まっています。  80歳で17歳の役をやります。  背筋を伸ばして大股で歩くように意識しています。  腰痛で大変です。  主役でセリフがいっぱいあり歌も5曲ぐらい歌いますので大変です。

終活は考えたことはないです。   最後の瞬間まで与えられた仕事、やる事をやって行けばいいんじゃないかと思います。