2024年7月27日土曜日

浅島誠(帝京大学先端総合研究機構/生物学者)・〔私の人生手帖〕

浅島誠(帝京大学先端総合研究機構 機構長/生物学者)・〔私の人生手帖〕 

今からちょうど100年前、ドイツのノーベル賞学者ハンス・シュペーマンが受精卵を多様な臓器に導く物質の存在を予言し、世界中がその発見に躍起になりました。 その予言から60年あまり、1989年にその物質、タンパク質の一種アクチビンを発見したのが浅島誠さんでした。 横浜市立大学の教授で当時44歳、大変厳しい環境の中で研究に打ち込み続けたのです。  これによって一つの細胞から筋肉や気管が作りだされる仕組みが解明されることとなり、現在の再生医療の基盤の一つとなりました。 浅嶋さんは現在79歳、幼いころの自然豊かな新潟県佐渡市での経験が世界的な業績につながったと話しています。 地球環境が危うい今こそ、他の生物や自然ともっと共存することが必要だと訴えています。

小さいころは佐渡の自然の中でゆっくり過ごしました。 小学校4年生の時には一坪ほどの畑を与えられて、いろんな野菜などを植えて育てました。 昆虫採集も好きでした。  中学の頃、佐渡では野生のトキが段々絶滅してきました。  野生のトキを観た時に、その姿が本当に美しかったです。  どうしたらトキを残せるのか、考えていました。

発生生物学は、卵からどういう風にして親になるかという仕組みを知るのが発生生物学です。 我々の身体も元々は一個の受精卵からです。 たまたま「発生生理学への道」という本に出合いました。  動物の形作りがどうしてできるかという事を書いた本で衝撃を受けました。 シュペーマンの前は、卵、精子などは元々形は決まっていると信じていました。 シュペーマンは実験をして、動物の形というものは発生の途中から段々と出来てくるんだと述べました。 誘導連鎖で形が出来てくるという事を示しました。(1924年)  誘導連鎖を起こす物質を見つけてみたいと世界中で起こります。 40年経っても見つからないのでそういう物質はないのではないか、捉えようのない物質ではないかと考えて、誘導物質の研究は諦められていました。 やろうと思って先生に言いましたが、一生を棒に振るだろうから野猿た方がいいと言われて、大学院ではウニの発生過程の研究をしました。 

誘導連鎖を起こす物質の研究は唯一ドイツでやっていました。 手紙で誘導物質の研究をしたいので雇ってほしいと出しました。 ドイツに行って研究を始めました。 毎日鶏胚1kgを1か月かけて数μg(1μg=1/100万g)しか取れない。  それを先生緒のところでは40年間やってきました。  厳しい道のりでした。 誘導する能力があることを自分で確認したかった。 筋肉とか脊索を作ることを確真し、研究を続けていこうと思いました。  横浜市立大学に務めることになりました。 誘導物質の研究者は一人だし、設備も何にもありませんでした。 イモリを飼うものから冷蔵庫など全部一人で調達しました。 実験器具もほとんど手作りでした。  年間で使える予算は30万円でした。 

試行錯誤を続けました。 哺乳動物の培養細胞のなかに、非常に誘導する能力のあるものの生成が可能になりました。  ようやく納得のいく単一の物質をみつけられと思いましたが、最後の最後の段階で誘導能力のあった物質が、突然誘導能力がなくなってしまいました。 もしかしたらガラスの壁面についてしまったのではないかと考えました。 アクチビンという物質に最終的には至るわけですが、その性質は全然判りませんでした。 ガラスにくっつかない新しい方法を考えて、アクチビンというたんぱく質を生成することが出来ました。 嬉しかったです。 多くの人が再現性を試みますが、再現性が無いんです。 自分で繰り返しやりましたが、再現性を確認しました。 1989年オランダでの国司阿会議の席で発表しました。(44歳 開始から16年) 会場はどよめきました。  それまで周りはネガティブな雰囲気でした。  家族からは温かい目で見て貰えました。 

カエルの卵から一斉にオタマジャクシになって蛙になってゆく姿を見た子供の頃の不思議さが原動力になったと思います。 感動と好奇心と探求心だと思います。 それとチャレンジ精神です。 これが無いと研究が続けられません。 ES細胞、iPS細胞などでも、肝臓、腎臓、心臓などを作る時には、世界中でアクチビンを使うわけです。 再生医療の基盤の一つを作ったのかなと思います。 今年100年になるので、ドイツで9月に研究者が一堂に集まって、おおきなシンポジュムをやります。 記念講演をやることになっています。

その後東京大学の副学長をして、現在は帝京大学の先端総合研究機構の機構長をしています。  例えば今までは医学で言うと、医師だけが関係していましたが、少子高齢化を迎えた社会では、医療、薬学だけではなくて、経済、法律、AI、ロボットとかいろいろな分野の人たちが一緒になって、新しい地域医療、高齢者社会を作って行こうとしています。  生成AIが出てきて、簡単に答えてくれるが、最初から使うと自分で考えて自分で判断する能力がなくなると思います。  重要なのはお互いを信頼し合うコミュニケーションだと思います。 いろんなことに好奇心を持ったり、五感で感じることの喜びをもっと経験してほしい。 

学生とイモリを取りに行きますが、ある冬に雪を被った小川のところに500匹ぐらいがボールのように固まって、お互いに入れ替わり動いているんです。  学生たちはイモリは冬眠してじっとしていると思うんです。 皆が驚きの声を上げました。  秋に行った時にはイモリの身体にがんが出来ていました。 しかし春になって取りに行くと、がんが消えているんです。 イモリは冬の間に冬眠している間に体温を下げてがんを直していると思うんです。 秋にがんを患たイモリを採取して、低温室に入れますとがんが消えて行きます。  低温療法をイモリは自然のなかでやっているんですね。  イモリは3億年の歴史があり、イモリを研究することでいろいろなことが判ってきます。  地球上には800万種の生物がいますが、それぞれの歴史があります。 その歴史を知ることが、これからの人にも非常に大切だと思っています。 他の生物とどうやって共存するかという事がこれから非常に重要なことになると思います。  「自然を知り、生き物に学び、人を知り、人を愛す。」













 

高橋亜美(子どもや若者の自立支援ホーム所長)・〔ことばの贈りもの〕 生きてきてくれてありがとう

 高橋亜美(子どもや若者の自立支援ホーム所長)・〔ことばの贈りもの〕 生きてきてくれてありがとう

総務省によるとDV、ストーかー、児童虐待の被害者を保護するDV等支援措置の利用が、2023年10月の時点で、10年前の3倍近くに昇っているという事です。 被害を受けた人たちにはどのようなサポートが必要なのか、児童養護施設や、里親家庭などを巣立った子供や、若者を支える自立支援ホーム、アフターケア相談所「ゆずりは」の所長高橋亜美にお話を伺います。 高橋さんは社会福祉法人が運営する自立支援ホーム「あすのろ荘」?の職員として9年間勤めた後、2011年からこの法人が立ち上げた自立支援ホームの所長に就任しました。 現在19歳の女の子と10歳の男の子の二人のお子さんを育てながら活動しています。 被害を受けた人たちが安心して暮らして生きる社会に繋げていきたいという高橋さんの活動にかける思いを伺いました。

児童養護施設や、里親家庭などを巣立った子供が高校卒業して社会で生き得てゆく中で、大変な状況に陥った人から相談を受けてサポートするというのと、養護施設で経験できなかったけれど、ずっと家庭で苦しい思いをして来た人たちが、やっと家庭から逃れられた、あるいは逃れたいという人たちも相談対象として、様々なサポートをしています。 年齢層は10代後半から60代の方まで相談があります。 10代後半から30代がいちばんおおいです。 安心して子供時代を過ごせてこなかった人たちが、私たちのところにたどり着いています。 

私は児童福祉施設で職員をしていて、衣食住を共にしながら、虐待の被害を受けた子供たちが一緒に暮らしますが、その人たちをケアする仕事をしていました。 18歳から20歳でその施設を離れなければならない。 その後の社会で大変な状況に陥ってしまうという人がとても多くて、その人たちが安心して相談できる場所を作りたいという思いから、「ゆずりは」の立ち上げに至りました。  相談の年間の延べ件数は5~6万件になります。   600人ぐらいの相談者がいます。  段々増えてきています。 

ほとんどが虐待をうけて家庭で生きて来た。 施設に入ってトラウマが消えるというわけではなくて、トラウマを抱えながら施設を出た後も生きて行かなければならない。  人間関係の中で再発、爆発してしまう。  トラウマを抱え、家族からは逃れて生きて行かなければならないという厳しい現実があります。  出産をして子育てを機に、子供の時に受けて来た被害を思いだしてしまうとか、ライフステージごとにトラウマが顔を出してくる。  どの年齢になったら大丈夫という事はないです。  虐待された人がケアをされないまま大人になったりした時に虐待の連鎖が起きてしまうという事もあります。 

安心であるという関係をまず作って行きます。  1週間に一回ジャムを作っています。  外で働くことが難かしいという人たちです。   トラブルが起きても大丈夫というような関係作りを大事にしています。  共通のしんどさはあっても、共感しあえるばかりではなくて、安心して人間関係を育むという事が出来てこなかった人たちが集うという事もあるので、気持ちをぶつけあう、傷つけあうという事も起きてしまいます。 スタッフが一緒に葛藤しながら日々積み重ねている様な感じです。 

子供時代に父との関係が苦しかった時代がありました。 父は卓球をやっていて、自分の夢を娘に託すみたいな形で、小学校4年生から父と一緒に卓球を始めました。 普段は優しい父が卓球になると、怒鳴られたり、手を上げられたりしました。(2年間)  抵抗してたりしたが、そうするとさらに暴力を振るわれたり、狭い部屋に閉じ込められたりしました。 恐怖と何を言っても聞いてもらえないというあきらめになって行きました。 母親にも相談したことがありましたが、卓球に関しては口出しは出来ないと言われてしまい絶望しました。   知らず知らずに万引きをして警察にも捕まりました。  友達にも意地悪をしたりすることがどんどん増えていきました。 気が付いたら周りには友達が居なくなっていました。 先生に対しても反発しました。  父からの暴力などの反動で、そういった行動に出てしまったのかなと思います。 

自立支援ホームは養護施設と似ていて、虐待などで家庭で暮らせない子供たちが生活しています。  対象が中学卒業してからです。 15~20歳ぐらいまでの子たちが外で働きながら生活する施設です。  暮らしの中で元気になって行く。 死んでもいいといっりた子が生きててもいいかなというような感じに変わってゆく。  施設を出た後に、仕事が続かなくなってしまうとか、自殺未遂などが起きたりして、施設を出た後も安心せて相談できる仕組み、場所を作りたいと思いました。 それが「ゆずりは」に繋がって行きました。 

初めは怒りをむき出しにしてきました。 やり取りをしてゆくと、怒りが本当は寂しいとか、本当の母への怒りをぶつけてきたりしていました。  施設で当たりまえの生活を続けてゆくという事で安心が生まれてくる、という事をスタッフも学んできました。  段々と表情も柔らかく変わって来ます。  どんどん話すようにもなって行きます。 安心な場所、安心な人間関係が出来るとこんなに語りたいんだと思いました。  

「ゆずりは」では、苦しみを代わりに受け取るとか、代わりに解決するころは出来ないが、キャッチボール、ボールが行き交うようなやり取りをしてゆく、そのためにはdぉう言ったスタンスでとか、どういった言葉がけをするか、などについて考えて心がけています。  「ゆずりは」の以前の施設で暮らしていた子が、「生まれてきてありがとう。」という言葉が大嫌いだと言っていました。 自分が生まれてくることに対しては選べなかった。 でも「生きることを選択し続けてきたから、いま私たちは出会えたよね。」といいます。   「生きてきてくれてありがとう。」は揺るぎない声で伝えられる。  私にとってもお守りみたいな言葉になった、という事はあります。 その言葉に対して、改めて振り返るような、そんな表情をしたりします。 これからは自分で選んでいける、決めるんだという、そのスタートでもあるよと、いいます。 

過去に苦しんでいた人たちが、その後大人になってからも安心して生きて行けるような社会を作ってゆくというサポートがもっともっと広くなって行くといいなと思います。






















2024年7月25日木曜日

中尾彬(俳優)              ・〔私のアート交遊録〕 終活で知る大切なもの(初回:2018/7/28)

 中尾彬(俳優)    ・〔私のアート交遊録〕 終活で知る大切なもの(初回:2018/7/28)

芸能界きってのおしどり夫婦と言われる中尾彬さん、池波志乃さんはそれぞれが経験した病気をしたきっかけに終活を考えるようになります。 志乃さんから「そろそろ考ええてみない?」、と言われ遺書を書くことから始まり、アトリエをはじめトラック2台分の書籍や衣装,VTRなどをゆっくりと整理し始めました。 その過程で、孤独って何だろう、夫婦って何だろうと考えることが多かったと言います。 「終活は夫婦二人三脚でする一つ一つを手放す旅だ。」と中尾さんが言えば、「就活は自分にとって最後まで捨てられなものはなんなのかを気付いてゆく旅なのかもしれない。」と志乃さんが返します。 2018年に放送した明日へのことば「終活で知る大切なもの」をお聞きください。

https://asuhenokotoba.blogspot.com/2018/07/blog-post_28.htmlをご覧ください。

2024年7月24日水曜日

2024年7月23日火曜日

岩崎明子(免疫学者/イェール大学教授)   ・免疫学をけん引 “世界の100人”に!

 岩崎明子(免疫学者/イェール大学教授)   ・免疫学をけん引 “世界の100人”に!

岩崎さんは1970年生まれ。 今年4月新型コロナウイルス後遺症のメカニズムの研究などで、免疫学を牽引する存在としてアメリカの雑誌「タイム」の世界で最も影響力のある100人に選ばれました。 

100人に選ばれたことをメールで知らされました。 5月にも「健康に影響力のある100人」にも選ばれました。 免疫学の観点から新型コロナウイルス後遺症のメカニズムを4つほど調べています。 ①ウイルスが持続的に増えてゆく、持続性を調べています。 体内のどこかの組織で増えそれが炎症を引き起こす可能性があるのではないかという一つ目の仮定。 この証拠を裏付ける研究報告はたくさんあります。 普通ウイルスは排除されるが、新型コロナではほとんど退治されるんですが、10%ぐらいの人には腸、脳、肺などいろんなところに潜んでいる感じです。 それが悪さをして後遺症を起こす。 ②自己免疫の可能性を観ています。 ウイルス感染はいろんな免疫を活性化させますが、自分の身体を攻撃してしまうような、免疫細胞の活性化も引き起こす可能性があります。 コロナ後遺症の患者さんの抗体をマウスに投与すると痛みとか、筋肉の低下などいろいろな症状が見えてきます。  自己抗体が 神経とかを攻撃している可能性があるのではないかと今見ています。  ③潜在している他のウイルスの再活性化というのがあります。 人間は休眠状態のウイルスと複数感染していて、コロナに罹った際にそれらのウイルスが活性化されて、それで悪さをしている可能性がある。 ④コロナウイルスによって引き起こされた組織の損傷が後遺症に繋がっている可能性がある。 

原因が判らないとどいう風に治療していいかわからない。 症状としては200以上言われています。 いろんなところに症状が出てきています。 新しい経鼻ワクチン「プライム &スパイク」?というものを作っています。  従来の筋肉注射ワクチンを使用して免疫の活性化をまずはじめ(プライム)、その後にスパイクタンパク質を鼻からスプレーして、全身で起こった免疫反応を利用して、鼻粘膜の免疫に変換することが出来るという事が判りました。 ウイルスが鼻から入るので、そこでストップをかけることができる。 ずっと前から粘膜免疫の研究をしていました。 

子供の頃は文学が好きでした。 高校の時に数学クラブに入らないかと先生から誘われて、数学の面白さに出会いました。 海外に行きたいという思いがあって、中退してカナダの高校に行きました。(16歳) 父は物理学者で大学の教授をしていました。 カナダの高校を卒業して、トロント大学に進学。1994年に生化学物理学の学士号を、1998年に免疫学の博士号を取得しました。 免疫学の教室で免疫のシステムについて感動して、こちらに進みました。  いろんな細胞がいろんな役割をしています。 ワクチンでより強い免疫を作ることができます。 

その後アメリカ国立衛生研究所で博士研究員として勤務しました。 2000年にイェール大学助教授に就任します。  アメリカ国立衛生研究所では免疫粘膜のことを学びました。 免疫学の夫とも出会う事になりました。 二人の子育てもあり大変でした。  保育所との行き来のなかで、涙が止まらなくて高速道路の脇に止めて、もう仕事を辞めようかなと思ったこともありました。(夫は出張が多くていろいろな方法で対応しました。)  

科学に携わる女性の擁護者として活動しています。 安心して妊娠出産が出来る社会でなければいけないと考えて発信しています。 感謝の言葉など頂いています。 本当に男女が平等を目指すのであれば、男女の比率を均等に、給与も平等、スペースの割り当て、賞の推薦などいろいろなものを平等にしていかなければ、成功の為の平等の機会はなかなかできないと思います。 (最近は給与は同等になりつつあります。) パワハラ、セクハラについても相談に乗ったりしています。  若手研究者は科学の未来を担う重要な人たちなので、助けていきたいという思いがあります。 メンターも一人ではなく、沢山の意見を聞くようにした方がいいですね。 素晴らしい先生と出会って、新しいドアを開けて前に進んできたような思いがあります。 私も学生さんたちに新しいドアを開けて行って貰いたいと思います。 




















2024年7月22日月曜日

新井智恵(箏・三味線演奏家)      ・〔にっぽんの音〕 能楽師狂言方 大藏基誠

 新井智恵(箏・三味線演奏家)      ・〔にっぽんの音〕 能楽師狂言方 大藏基誠

1978年生まれ、東京都出身。 琴の教室を開いていた母親の影響で、6歳から琴を習い始め恩師の勧めで東京芸術大学で生田流箏曲専攻、大学卒業後は筝曲演奏家で作曲家の宮城道雄さんの音楽を継承する宮城会に所属して、演奏活動を行うほか、公演の出張授業などで子供たちに琴の魅力を伝えています。 3人の和楽器ユニット「Rin’」のメンバー。 Mana(ht吉永真奈) 生田流 ボーカル・箏・三絃・十七絃。 Tomoca(長須与佳)琴古流(尺八)ボーカル・琵琶・尺八。  Chie(新井智恵)生田流 ボーカル・箏・三味線・十七絃。

「Rin’」は東京芸術大学同期3人で結成して、今年で結成20周年になります。 伝統楽器を用いてのポップスな音楽を演奏しています。 

*「虚空」 演奏:Rin’ 

琴、十七絃、琵琶、尺八。

お琴の奏者は三味線もセットで行うものなんです。 私はこの曲では十七絃を演奏しました。 普通お琴は13弦です。  4弦多いです。  大正時代に宮城道雄先生が考えだした楽器で、低音部分が欲しいという事で作られた楽器です。 音域はチェロの音域です。  大きさも2m10cmあります。 普通のお琴は180cmぐらいです。 琴柱(ことじ)も半周りぐらい大きいです。 爪も厚みがあります。 音も重厚感があります。 指ではじくと柔らかい音がでて、ハープの様な音色になります。 生田流なので爪は四角くて、親指、人差し指、中指に付けていろいろな奏法(25~30ぐらい)があります。 爪は象牙で出来ています。    爪を使っていろいろな奏法があります。  

*風の音、火、うぐいす、などいろいろな表現を行う。

*「天華」   演奏:新井智恵

十七絃は音域を変えることによって3段階ぐらい変えられます。  高い音から低い音までだせるので幅広い音楽が作れる楽器だと思います。 母がお琴を弾いていたのでそれを聞きながら育ったという感じです。(赤ちゃんの頃から)  正座はつらかったです。 東京芸術大学へ行って、素敵な世界があることに刺激を受けて、「Rin’」に繋がって行きました。  高校の時に校長先生が私にお琴を買って下さったりして、周りに恵まれていました。  小、中、高の学校への出張授業も行っています。 「通りゃんせ」を演奏した時に知らないと言われてショックを受けました。 (信号機の曲だとも言われた。) 

日本の音とは、子守歌だと思います。 愛を感じる歌だと思います。 











2024年7月21日日曜日

村田吉弘(京都・老舗日本料理店 三代目) ・〔美味しい仕事人〕 和食の伝統を革新でつなぐ

村田吉弘(京都・老舗日本料理店 三代目) ・〔美味しい仕事人〕 和食の伝統を革新でつなぐ 

和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて10年が経ちます。 村田さんは和食の無形文化遺産登録に尽力し、その後も全日本食学会理事長、日本料理アカデミー名誉理事長として日本の食文化を次の世代に繋ぐ活動をつづけています。 若い人を育てるにも料理の科学を筋道立てて教えるなど、明快な指導を心掛けています。 これまで口伝で伝えてきた調理法も、文献で共有できるように取り組んで来ました。  和食を守ってゆくには、単なる伝承ではなく、守るべき伝統を革新的につなげてゆくという事が必要だと語ります。 

2013年12月4日にユネスコ無形文化遺産に登録されて10年が経ちます。 見直しが定期的にあって、ちゃんと出来ていないと取り消しになります。 文化を維持継承するシステムが機能しているかどうか。 法律改正して頂いて、食が文化のなかに入りました。  日本料理アカデミーでは200人ぐらいは料理人で、100人は学者の先生方です。 今1億2500万人の人口で自給率が37%、50年後には8000万人になってきて、自給率が19%になるんです。 他の国ではそうそうないので、日本料理を世界の料理にすることによって、日本の食べ物が輸出されるということを望みました。 登録前は輸出が4000億円だったのが、今は1兆4000億円になりました。 25年度には2兆円にするという事を政府から言われました。 日本の食の将来を守るためにいろいろ活動をしています。 登録前は日本以外の日本料理店は5万6000軒でしたが、今は18万軒になりました。(ラーメン屋を含め)  おむすびなど日本人しか食べないと思っていたら、日本人がおいしいものは世界で美味しいんです。 

日本料理は寿司とラーメンと思っている外国人はたくさんいますが、だんだんわかってきて、焼き鳥、天ぷらとか判って来て、今は懐石料理を食べたいとか、という風になってきています。 イギリス人などはアユなどの魚は絶対頭から食べなかったが、今は美味しいと思うかもしれないので食べてみます。 ウニもヨーロッパ人は食べなかったが、食べるようになってしまいました。 お母さんのおっぱいの中には、糖質、脂質、旨味成分が入っています。 これらは脳を刺激して、ドーパミンというホルモンが出てきて、もっと食べたくなります。 糖質は全世界の人が食べます。 世界の料理は油脂を中心に料理を構成している。 一民族(日本)だけが旨味を中心に料理を構成したんです。  油脂は1ccで9kカロリーがあります。  フランス料理はデザート前までで2500kカロリーあり、日本料理では1000kカロリーです。  世界中のトップシェフが日本に学びに来ています。    日本には菜種油ぐらいしかない。 京都の公家に2,3時間かけて食べてもらうのに、夏には野菜と川魚しかなくて、小さいポーション?にして沢山、いろいろ出した。 そこに旨味を添加してゆく。  最終的には北海道の北前船で運ばれてくる礼文島の昆布、土佐から運ばれてきた鰹節を使ってやったら美味しくなった。 京都御所から始まった料理です。 

110年ぐらい前に帝国大学の池田菊苗先生が、湯豆腐を作るのに水だけと、昆布をひいて作るのでは味が違う事を発見した。 昆布の出汁を煮詰めたら、結晶が出て来た。 それがグルタミンソーダでした。 その弟子が獣類の肉からっ出てくるイノシン酸、キノコから出てくるグアニル酸を発見した。  外国人は味は4つで旨味は概念だと言っていたが、結晶化したものがある。 2006年に甘味を感知するすぐ横に、旨味を感知する受容体が見つかりました。 今では5つの味(+旨味)を理解するようになりました。 今では昆布がフランス料理の厨房にはあります。 

日本料理アカデミーでは今年はトップシェフを7人招きました。 今では世界中のシェフは発酵(味噌、みりん、酒など)です。 麹が輸出されるのでいろんな豆で味噌を作っています。 日本料理アカデミーでは日本の和食の良さを広げなければいけないという事で、始めました。 勘と経験を数値にしようと京大の先生と一緒に「日本料理大全」という6巻の本にまとめました。 そうしないと世界の人々にはわからない。 日本語と英語で作っていて、英語は全世界に対して無料配信します。 パソコンで翻訳機を使えばすんべ広がる。 いま5巻まで作りました。 「煮る、炊く」というのを後一巻にまとまます。 在庫の本は世界中の図書館に寄付するようにと考えています。 

跡継ぎという事が嫌でした。 料理は好きなのでコックになろうと思いました。 フランス領路をやろうと思いました。  フランスに行きましたが、まだ何も決めていませんでした。 安いホテルも紹介してもらって、そこには上柿元勝(フランス料理のレジェンド)さんがいました。  彼から雇われ方のコツを教えてもらいましたが、駄目でした。 日本料理の情けない状態を知って、フランス料理ではなく日本料理を世界の料理にすことをライフワークにしようと思いました。  

人生の一コマに料亭がある。 お食い初め、お宮参り、初節句、七五三、成人式、両家のお顔合わせ、喜寿、米寿などのお祝い、法事など。  社会的な施設としての役割がある。  「伝統は革新」 日々新らた、新しい発想をしてゆく。 伝統と伝承とは違う。 守るべきものは守って破るべきものは破る。