山本三千子(室礼教室主宰) ・「花や盛り物で表す室礼に魅せられて半世紀」
四季折々の行事で、花やものを語る日本に古くなる文化や習慣ですが、それを室礼といいます。 七夕には笹、お月見にはススキと団子、ひな祭りには桃の花や雛あられなど当たり前のようにしてきたことですが、そうした飾り室礼には深い意味があると言うことです。 山本三千子さんにお話を伺いました。
心をもので表すのが室礼です。 具体的にはお花の飾り方、野菜を飾ったり、果物を飾ったりです。 お月見にお団子を飾りますが、お団子とは何だろうと改めて考えると、お米が取れてありがたいということで感謝をしてますということで、日本人はお団子作って飾るようになりました。 季節を盛る、言葉を盛る、心を盛ると言うことを本に書いてあります。 季節を盛ると言うのは春夏秋冬の恵みの中で植物と同様に人間も季節の中で生かされてます。 言葉を盛るというのは、芽が出た野菜を眺めていると、昔ここから「あけましておめでとうございます」芽が出る、言葉も植物と深い関わり合いがあります。 柿ですが、ですけれども、「か」がかしょう?」のか 喜び来る。それで「喜来」。
最高の秋の行事、七五三の頃に柿を盛りますが、子供がこんなに大きくなりました。喜び来るの「喜来」です。 ごろ合わせしながら自分の気持ちを託していくわけです。 室礼についてのきっかけは飛行機事故で主人をなくしてからです。御巣鷹山で飛行機が墜落しました。 夫もその飛行機に乗っていました。(48歳)
1周忌が過ぎ、ある方から呼ばれて伺いました。 そこでお花のご宗家がお花を生けけたり、盛物をしていたりして、そういった室礼を拝見しまして、これはもう命だと思いま咲いた。 自分の中でこの世界を知りたいと思いました。 そこは全く空間の違う空気がサロンのなかにありました。 その空間を作っていくのを一般的に室礼といいます まな板の上に野菜が盛られてあった。 その上に最後に宗家が赤いベビートマトを1つだけ盛られました。 それがわかりませんが、命だと思いました。
野菜を盛るとその野菜が全て命なんですね。 お花を生けると言うのも、花の命とどう向き合うか、それが室礼の本当の言葉なんだと、だから日本人は神様のところにお供えをするとか、手を合わせるとか、総合的な日本の文化と言うものを、それが日本人の暮らしですね。 私の中に何かがかけてるなって言うのを1番思ったのが、赤いトマトだと思いました。 自分が自分で行く生きていく道を探さないといけない一人息子さんが気の毒だから、息子のためにちゃんとしている何かをやってる姿を見せないと言うことだと思いました。
開催していただいたサロンの所の弟子になることを決めました。 おもてなしと言うのはその時刻に花はどういう顔をしているか判っているのか。 花も夜は眠ります。 ゆっくりとお花も眠らせてあげないといけない。 終わったら普通のバケツに移して入れてあげます。 電気も消してあげます。 ただ、きれいに活けるだけではないんです。 室礼を作ると言う事は、その人、その人の人格が表されるということです。 「紫と白」、茄子と白ウリ、それぞれがそれぞれの美しさをたたえています。 色だけではなくて、中を切ってみたときに、中が真っ白であると言うことです。 精神が清廉潔白であると言う白いと言う色で、野菜の身も人間の身体の身も清廉潔白でないとダメだと言うことです。 白ウリは蔓もので、蔓は万代に続くということがあります。 代々繋がっていきますようにという事です。
ありがたくいただく前に、お供えして手を合わせる。 織物も必ず一反作り上げて、出来上がったら、必ずふさをつけておくさと言うのは、代々の命のつながりの言うことをふさといいます。 お天道様に手を合わせるとか、生け方の礼そのものが室礼なんではないかと思います。 夫は日本の祈りの文化の中で育って、生きてきた人でした。 室礼を知ったことで、ある程度夫に近づけたような気がします。
いちいち盛る事はなかなか難しいと思うので、マーケットで買い物をした袋を台所に置いたら、そこで一回手を合わせると言うことをすればいいじゃないかと言うことです。 気持ちの問題です。 室礼とは、思いを心を形にしていくことですね。 年中行事は少なくとも、事を行うと書いてあります。 それに従えば行いがあってしかるべきだと思います。 自分たちの現在の感性の中で、古典のものをどう引っ張るかですね。 室礼をすると自分が自然に近づけます。 命に近づくことにもなります。 人間は自然界の一員だと言うことです。