棚橋弘至(新日本プロレスリング社長)・「多様性」と「激変」を牽引するリーダー
近年、新しい時代の価値観や多様性に対応できる柔軟なリーダーシップの取り方に関心が集まってます。 元プロレスラーでプロレス興行団体社長の棚橋弘至さんは個性的なレスラーの皆さんをリード、育成しながら多様化する格闘技ビジネスの世界で強いリーダーシップを発揮されています。 様々な夢、能力、キャラクターを持った人たちを先読みの難しいこの時代どう牽引していけばいいのか、選手として感じできたこと、今会社のリーダーとして思うことをお話しいただきました。
1976年岐阜県大垣市生まれ。 小、中、高と野球をやっていました。 野球選手になれたらいいなぁと思っていました。 高校生の時にたまたま夜のプロレス中継を見てこんなすごい人たちがいるんだと言うことを見て、一気に好きになってしまいました。 立命館大学法学部に入学しました。 大学4年間で体重を25キロ増やしました。 大学ではプロレス同好会に入りました。アマチュアレスリングクラブにも入りました。 22歳で新日本プロレスに入門しました。 2023年の12月23日新日本プロレス株式会社の第11代代表取締役社長に就任しました。 選手権社長2年やる。 2026年に選手を引退。
2000年代から格闘技、K1とかテレビで放送され、プロレス業界は方向性を見失う時代でした。 かつて経営は丼勘定だったんですが、数字の分もしっかり見なくてはいけなくなったので、ビジネスとしての成長を求められました。 選手時代は、プロレスのイメージを変えると言うことに力を注ぎました。 「愛してます。」と言う言葉が出てきっかけと言うのは、2006年の北海道の大会でしたが、チャンピオンシップに挑戦することが決まっていました。 チャンピオンがドタキャンでトーナメントで勝ち抜いてチャンピオンになりました。 チャンピオンを目当てにチケットを購入した方に申し訳なくて、その時に「ありがとう。」「愛してます。」という言葉が出ました。(感謝の最大級と言う意味合い) 試合の締めの言葉では「愛してます。」という言葉を使うようになりました。 メインイベンターには決めポーズ、決めゼリフ、きめ技、この3つがないとなかなかなれないと言う型を作りました。
新日本プロレスには現在50名前後います。 みんな個性を出していって、フアンの方にアピールしていかないと生き残れない社会です。 リング上は1つの形ができてるので言う事はありません。 選手が戦いに集中できる状況を常に作っていきたいって言うふうに思ってます。 現在3人ずつランチミーティングを行っていろいろ聞いたりしてます。 ピンチはチャンスだと思ってます。 リーダーがうろたえると、会社自体に動揺が広がると思いますので、常に笑顔でいようと思ってます。 プロスは楽しいとか、盛り上がりとか、そういった外側のところに僕はフォーカスを当てただけです。
リングの中は以前からのスタイルのままです。 喜怒哀楽の感情が全部詰まっています。 プロレス会場に来たら怒ってもいいし、泣いてもいいし、そういった感情を振ることによって心がすかっとします。 プロレス会場はお客さんと選手のエネルギー交換だと思ってます。 ①疲れない②落ち込まない③諦めない。それを逸材3箇条と呼んでいます。 チャンピオンになってから6年間ぐらいチャンピオンらしくないと言うことでブーイングがありました。 その時に二つの軸が必要だと思いました。 ①会社側の評価、②自分の中で100%出したかと言う軸、それが進化の秘訣です。
努力している人は、目つき、生き方、生きる姿勢そういったものに全部出てきます。 自分じゃない誰かが、きっと見てくれていると思います。 自分がやりたいことを仕事にできていると言うことが一番大きかったかなぁと思います。 人の喜びを自分の喜びにできる人間でありたいと思います。 仕事の中で自分の充実感を見つけてほしいと思います。 戦いを通じてエネルギーを売ってる会社だと思ってます。 100年続く長寿企業さんのイベントに行った時に、100年続く社訓があって、①会社の方針がしっかりしていること②製品がしっかりしてること③柔軟に時短に対応すること 僕は3つ目に特に注目してコスチュームを派手にしたり、プロモーションもいっぱいしてきました。