新宮晋(彫刻家) ・風が奏でる命の賛歌
新宮さんは半世紀にわたり風で動く作品を作って来ました。 風の動きや強弱によって刻々と姿を変える作品は風の翻訳機とも言われ、世界中で共感を呼んでいます。 作品作りで見えてきたのは、自然は命の根源であり一人一人が生かされているという事、風と向き合う中で感じた命への思いを伺います。
アトリエのすぐそばに新宮さんの作品があります。 池にたたずんでいます。 水辺の鳥のような感じです。 周りの時間、景色、時の流れの中で作品が存在するという事が、僕は見たいんです。 昭和12年新宮さんは4人兄弟の末っ子として大阪で生まれました。 教育熱心な母と骨董集めが趣味で芸術鑑賞が大好きだった父、その影響で幼いころから絵を描き始め、絵画のコンクールでたびたび受賞します。 小学校のころ、母の絵を多く描いていました。 東京芸術大学を目指し20倍の狭き門を突破、現役で入学、油絵を学びます。 浪人してホッとしている人が多くて、何か幻滅を感じて東京にいたらいけないと思いました。
大学卒業後ローマに留学、ローマ国立美術学校で絵画を学び、この地で風と出会います。 イタリアが気に入りました。 抽象画から入ったが、形の面白さ、色の面白さを純粋に取り上げようと思ったら、色、形の動きで表現しようとしたら、面白い形がいっぱい出てきました。 形があって、バックがあり、なんで背景があるのかを考えました。 額無しをやろうと思いました。 絵を切り取って吊るしてみたところ、或ることに気付きました。 吊るして写真を撮ろうとしたら動いちゃうんです。 風が吹いているんです。 風に応じた形、メカニックを組み込んだら、もっと面白く動くのではないかと考えました。
風の存在に気付きました。 動くものが生き生きと見えてきました。 作った作品はイタリアでは評価されませんでした。 日本の大阪の造船所の社長に作品を案内したら気に入ってくれました。 1966年帰国、大阪の造船所にアトリエを構え、技術者の援助を受けながら制作に励みます。 翌年東京の日比谷公園で展覧会を開催すると、大きな注目を集めます。 屋外展示物をやる人は当時いませんでした。 大阪万博に関係する人はほとんできてくれました。 無名ですが、選ばれました。 1970年に大阪万博が開催されました。 水面にたたずむ作品が展示されました。 ニューヨークタイムズが写真を撮りに来ました。 スポットライトを当てられましたが、そこから逃げていました。 いつも先にある自分がチラッと見えちゃうんです、それが悪い癖です。
60歳の時にある思いが湧いてきます。 地球のことをもっと知りたいと思いました。 思いついたのが世界中を回る野外彫刻展でした。(ウインドキャラバン) ニュージーランドの無人島、モンゴルの大草原など世界6っか所をめぐりました。 風に対する信仰は共通していました。 ニュージーランドでやった時にはマオリの4つの部族は普段は仲が悪いが一緒に手伝ってもらいました。 作品を観に人々は集まって来ました。 僕の作品を観て、モロッコでは少女が、「こんな美しい音楽を聴いたことがなかった。」というんです。 そういった経験が地球の未来に対して、何かできることがないのかと思った時に、そういった子供たちを作りたいと思いました。
今、子供たちと一緒に取り組んでいる活動があります。 こいのぼりのようなものにメッセージや絵を描いて掲げる「元気のぼり」です。 東日本大震災で被災した人たちを元気付けようと、2011年の5月に始めました。 宮城県の閖上(ゆりあげ)港を中心の方々が賛同していただきました。 「元気のぼり」に彼らも描き足してくれて一緒に掲揚しました。 戦禍のさなかにでも掲揚すれば、「ミサイルを撃ち込むのか。」というような、平和のメッセージになると思います。 世界の平和に貢献できるのではないかと、アートいというのはそんなもんだと思うんです。 これこそ風のアートだと思います。 風には国境もなく、人種差別もない、メッセージとしては判りやすいと思います。 アートは脳を通さずに、心から心へだと思います。
地球のすばらしさを作品を通して言い続けてきた、これを誰かが別の方法でもいいから、続けて欲しいと思います。