山西惇(俳優) ・研究者を捨て芝居を選ぶ!
山西さんは1962年(昭和37年)京都府生まれ。 京都大学工学部石油化学科に入学、1回生の時に京都大学の学生演劇団「劇団そとばこまち」に所属、1986年に京都大学を卒業し、関西の石油化学メーカーに就職、研究職として勤務。 その1年後に劇団に復帰し、昼は研究員、夜は劇団員として活動するという生活を送ります。 1992年会社を辞め演劇に専念、その後2001年に退団し、活動の拠点を東京に移し演技派俳優として、映画、テレビドラマ、舞台に活躍しています。
「エンジェルス・イン・アメリカ」 2部構成になっていて、トータルで7時間半。 稽古場で一回全部やってみようという事で、11時に入って終わるのが8時ぐらいでした。 皆ため息をついて「これをやるのか」、という感じでした。 2か月半稽古しましたが、稽古しても稽古しても終わらないという感じでした。 本番を1か月半やったんですが、不思議に段々身体が慣れてきました。 1985年から1990年のアメリカのニューヨークの話。 LGBTQがテーマで、当時はエイズ(死に至る未知の病)が流行っていた時の人間模様。 ロイ・コーンという実在した弁護士の役(悪徳弁護士)をやりました。 トランプ大統領にも大きく影響を与えた人。 レッドパージ(赤狩り)にも深く関わった人。 本人もゲイでエイズに罹ってしまって、生涯隠し続けたまま生涯を終えたという、史実としてあります。 8時間の芝居に8人しか出ていない。 全員オーディションでした。 ロイ・コーンは強い信念を持っているように感じて、時代の変化に追いつけずに、自分のかつての価値観にこだわり続けて、時代の流れに置いておかれてしまう。 最後まで崩さずに、亡くなるまで押し通した。 滑稽であり、悲しさもある。
京都大学で「劇団そとばこまち」に入ったのがきっかけとなりました。 当時は京都大学のサークルでした。 27,8歳まで入っていました。 僕が入った時には辰巳琢朗さんが座長をやっていました。 学校からにらまれて追い出される時でした。 稽古場を捜すことから始めて、或るビルのフロアーを借りて、稽古が出来て、お客さんも入れて出来るようなところでした。 楽しかったです。 工学部石油化学科で単位を取るのが大変した。 劇団には40名ぐらいいました。
教授の推薦により関西の石油化学メーカーに就職しました。 カメラのレンズを削る時に切削液を掛けるんですが、その新製品の実験をやっていました。 2年目に「そとばこまち」が20周年の記念の公演があるので手伝ってほしいという話があり、ゴールデンウイークだったので、参加しましたが、その公演を境に先輩たちが辞めてしまいました。 解散というような話もあり、僕のほか2人(生瀬勝久さん、小松純也さんさん)が手を上げ「そとばこまち」を続けました。 3年8か月で会社は辞めました。 立ち上げた翌年は年6回公演を行いました。 全部新作で全部違う劇場でした。(今だったら絶対できないと思います。) 東京に行くことになりました。 「食うくらいなら、なんとかなるで」との生瀬さんの言葉に押され退職を決意しました。 60歳になりますが、後悔したことはないですね。
生瀬さんと一緒に「そとばこまち」は辞めました。(2001年) 仕事は来るもの拒まずずです。 難しいことは挑戦したくなります。 8月4日から井上ひさしさんの「闇に咲く花」に出演。 進駐軍占領下、今日を生き抜くために人びとは闇の売り買いに必死だった。 ある夏の日、死んだはずの健太郎が愛敬稲荷神社に帰ってきた。 神主牛木公麿の役で変り身が早く信念がないのが信念というような役です。 今までとは真逆の役です。 セリフが美しくてリズミカルで、気持ちいいセリフがいっぱいあります。