2023年8月26日土曜日

桂由美(ブライダルデザイナー)     ・ブライダルを広めたい

 桂由美(ブライダルデザイナー)   ・ブライダルを広めたい

桂さんは昭和5年4月24日 東京都生まれ。  1964年(昭和39年)東京赤坂に桂由美の名前を付けたドレスのお店を開いて、その活動をスタートさせます。  桂さんというとどうしてもウエディングドレスを思い浮かべると思います。   桂さんがデザインしたウエディングドレスを着て式を挙げたい、そんな夢を見た人も多いかもしれません。     そんな桂さん、ウエディングドレスを広めたかったわけではなく、ブライダルという言葉を日本に伝えたかったそうです。  結婚式に向かって様々なことを準備して、その本番の式に向かう全般を表す言葉、ブライダルの精神が大切だと説きます。  世界を股にかけて活躍を続ける桂さんですが、意外にも福井県の若狭町とは30年以上の付き合いがあって、新たな活動の拠点にもなっています。 

ターバンは150個持っています。 顔がちょっと大きいので、芯を入れて顔が小さく見えるようにしています。  上着(75着)とブラウス(75着)と色を合わせようとすると、150になります。   選ぶのが大変です。  色は季節を意識しています。

母親は洋裁学校をやっていて、近所の人に編み物を教えていました。  靴下から私が着ているものはすべて母親が作ったものです。  小さいころはロマンチックが大好きな子供でした。  父親に絵本を買ってもらって読んでいました。(見ていた。 3歳~5歳)   綺麗な世界に浸っていたい、ロマンチックな子でした。   夢見ていたことを実現させようとしてきた人生という事です。   母の洋裁学校には当時2000人の生徒がいました。(昼と夜間で)   仕事を終わってから洋裁学校に行く女性が多かった。     300人ぐらいがもう少ししっかり勉強したいという人たちが出てきて、自分のウエディングドレスを作って、ショーをやって、卒業することが条件になりました。  私が担当して、ウエディングドレスがいかに貧弱かが判りました。   専門の店を作らなければ、日本のブライダルの進歩はないと思いました。  1950年ごろ、ウエディングドレスを着る方は3%ぐらいしかいなかった。  外国人と結婚する人か、クリスチャンぐらいでした。  私が初めてブライダル専門店を開きました。 今は95%ぐらいがウエディングドレスを着るようになりました。  

私がアイデアをさらしましたが、悲しかったのは一番大手のデパートにブライダルコーナーがありませんでした。   コーナーを設けるように説明しても、和服がドル箱であると言われてしまいました。(お色直しがなかった。 和服は単価も高い)  銀座の街を泣きながら帰った思い出があります。   自分で店を開く決心をしました。  洋裁学校で給料をもらってそれをつぎ込んで何とか持っていました。(1,2年目)   オリンピックのあとで高度成長期に入って行きました。   そこで一番華やかになるのは結婚式でした。 結婚式は料理は松竹梅として、貸衣裳屋は振袖だけではなく江戸時代にやっていた打掛を導入しようという事になりました。  振袖は余ってしまうという事になり、お色直しという事があることに着目しました。(3日後に行うしきたり)  振袖は卒業式などで着れるが、ウエディングドレスは結婚式しか着ることができない。  そこでチャンスが来ました。  白いウエディングドレスで行われてきましたが、1981年にチャールズ皇太子と、ダイアナ妃の結婚式では、ウエディングドレスは先に着るものだという事が広がりました。 その後ウエディングドレスを先に着ようという時代になって行きました。

ウエディングドレスの製作の実技的なことについては、若狭の或る社長が手を上げてくれ、ウエディングドレスを作る工場を建てました。(30年前)   中国などでもウエディングドレスを作る工場がありましたが、人件費が高騰し、ベトナム、ミャンマーへ移動してしまいました。  日本でウエディングドレスを作っている工場は若狭だけになりました。  昨年その工場の隣に、日本で発表されたウエディングドレスと関連のものを集めたミュージアムを開館させました。  新たな取り組みを始めて、アニバーサリーウエディングと名付けています。  誕生日、家族の何かの記念日、お祝いの場でドレスを着てお祝いをしませんかというものです。  欧米で取り入れられている最近の動きだと言います。

30年後、40年後にもう一回記念にあげるというアニバーサリーウエディングがありました。  神戸で4組の方が行いましたが、「女房がこんなに綺麗だとは思わなかった。女房に惚れ直した。」と言って、「こんなことは言われたことはなかった。」と言って涙を流していました。  結婚していない娘さんが、結婚したくなったとか、結婚式を挙げていなかった方が結婚式の大事さが判った、というようなことを言っていました。

頑張っているのは、責任感だと思います。  今後結婚式も多様化すると思います。   野外の結婚式も今後増えると思います。