2023年8月7日月曜日

川原尚行(医師・NPO 法人ロシナンテス理事長)・〔戦争・平和インタビュー〕

 川原尚行(医師・NPO 法人ロシナンテス理事長)・〔戦争・平和インタビュー〕戦争をさせない・究極の「医」を求めて

スーダンは世界最悪の人道危機とも言われたおよそ30万人が死亡したダルフール紛争などを背景に生活環境が整わない地域が多くありました。  川原さんはそのスーダンでの医療支援に取り組もうと2005年務めていた外務省を辞めてNPOを立ち上げ、医療機関がない地域への巡回診療、給水施設の整備、医療従事者を増やすための学校作りも担って来ました。   こうした中スーダンでは今年4月軍と民兵組織が武力衝突を起こし、内戦状態に陥ります。  川原さんは国外退避を余儀なくされました。  武力衝突の現場を目撃し、命がけで国外退避した川原さんの経験談、そして再び紛争のただなかにあるスーダンを支えたいという思いを伺いました。

支援は大きく分けて二つあって、①地方の電気も来ていないような病院もないようなところ(無医村)へ医療を届けるという活動、私自身が医者として巡回診療したり、診療所を建設したり、医療スタッフを街から連れてきてトレーニングをしたり、診療所にスタッフとして採用したりします。   ②首都の方(ハルツームとか)には日本が援助したインブンシナ病院があり、そこで大学の先生に来てもらって手術をしたり、医療機器のメンテナンスに日本から来てもらって正しい使用法を指導したり、そんな支援をしています。  安全な水を提供するのも医療ではないかと考えますと、段々医療を広く捉えるようになって来ました。  水は万病のもとにもなります。(予防医療に繋がる。)   人材を育てることも大事です。  

スーダンの内戦、首都のハルツームが主戦場になっています。  住民は別の州とか別の国にいる様な状況と聞いています。   一日一食と言うようなことも聞いています。    20年近くスーダンに身を置いていますが、軍と民兵組織の軍との戦いは初めての経験です。  恐怖を覚えました。   バシール大統領が全権力を掌握していて、不平不満はあるものの安全には暮らせていた。  民主化して欲しいという事もあり、経済制裁を受けていたところ、経済が悪化してしまった。  国民の声が一つになって2019年にバシール大統領は辞めます。  暫定政府が出来たが、軍がクーデターを起こした。  2023年軍の一本化という事になって軍と民兵組織が主導権争いとなり暴発してしまった。  

貧しい人たちをお金で働いてもらう。(少年兵、国外の少年もいる様だ。)  いきなり暴発した感じです。  4月に激しい音がして大使館に連絡したらおそらく内戦だろうという事でした。  RSF(スーダン共和国の準軍事組織)に対して国軍が空爆を仕掛けてくると思いました。  病院が砲撃を受けていて凄く心配しました。  透析が出来なくて亡くなって行くという人もいくつか聞いています。  究極の医療は人の命を救うのが医療と定義するならば、戦争をしない、させない、という事が究極の医療なのかなあと思いました。

入ってきたら、お金、携帯、パソコンなどは差し出す気持ちでいました。 情報取集もやって、夜も眠れない状態が続いていました。  軍とRSFの3日間の停戦合意があり、出てゆくためのサインだと思いました。  ①自衛隊機を待つ。 ②エチオピアに陸路で行く。③国連の車列に加わってポートスーダンに行く、という選択肢がありました。  ①は中途から連絡がなくなりこれは消えました。  単独行動は危険なのでぎりぎり③に決断しました。  23日朝4時に集合という事で、国連前に集合しました。(いろいろトラブルがある。)   遅れて7時ごろの出発となりました。   1000人規模で、バスが20台、車が50~60台でした。   スーダンが良くなる国になると信じてきたので、戦争で悪くなるという悲しみしかなかったです。  

朝、自衛隊機が来てくれるという情報が入って、この時には本当にうれしかったです。  国連職員ではなかったので、ポートスーダンからは先が見えていませんでした。     日本の上空に飛んできて窓から富士山が見えて、富士山を見た時には涙が溢れてきました。 日本の地を踏んだ時には、自衛隊、外務省はじめいろいろな方への感謝しかなかったです。妻はじめ家族に会えることは本当にうれしかったです。   

内戦前は、スタッフがいておいしい料理を食べられました。 羊がおいしいです。 豆料理などもあります。  「貴方に平和を」という挨拶をかわします。  スーダンは外の国の人に対して優しいです。(日本以上のおもてなしの国だと思います。)  

1998年から外務省にいて、最初はタンザニアにいました。  アフリカの人たちに共鳴を受けました。  ライフワークとして関わりたいと思うようになりました。  2002年にスーダンに行くように言われました。   テロ支援国家といういことで日本からの援助はしないという風になっていました。   外務省を辞めてNGOを立ち上げて支援をしようと思いました。   自分が医者としてやらなければならないと思いました。    相談もしましたが、「自分の心のままに生きればいいんじゃないか。」と言われました。  

最初は、医療施設がない、医療者もいないというような状況でした。  診療所が出来、我々が行って、スーダン人のスタッフ、ドクター、日本からの救急車も行きました。   給水所、学校もできて凄く発展したと思います。   今後医者が居なくてもデジタルデバイスなどを普及することは可能だと思います。   医者がいなくてもきちんと診断できる、新しい未来が来るかもしれません。   元をたどってゆくと貧困対策かなと思います。 人の命を救う事が医療と思っています。  戦争によって滞ってしまうのは忸怩たる思いはありますが、気持ちを切り替えてゆくしかないです。  幸い支援したところは無傷で残っているので、診療所、学校など運営してくれているので、出来るところは彼らに任せる。  

目の前の大きな壁をぶち壊すのに、権力と金でぶち壊す手もあるかもしれませんが、自分はそんな力がないので、限られた力で、時間はかかるかもしれないが乗り越えることは出来ると思います。  経験によって次の壁がある時に強くなると考えています。  世界情勢について、日本としてはしっかり見つめて勉強することだと思います。  日本の在り方を見つめ直すことが必要だと思います。   民主化という事もなかなか難しいところはあると思います。   難民にならずに村などでの自立が理想的だと思いますが、そのためにはどうしたらいいか、という事を今一生懸命考えています。 何とかしようと私の心の中ではメラメラと燃え上がっています。