八木倫明(ケーナ奏者・作詞家) ・音楽は私の使命
昭和33年山形県生まれ。 大学卒業後日本フィルの事務局で仕事をしていましたが、2011年ケーナ奏者として独立しました。 2014年歌手のクミコさんの歌う「広い河の岸辺」で作詞家デビュー、2017年には一コマ漫画家の小澤一雄さんと『わくわくオーケストラ 楽器物語』を出版しています。
7月は北海道で公演をしました。 4重奏の曲を20曲以上書いて、「やぎりんカルテード・リベルタ」という4人で演奏したかった。 朗読も音楽の間にいれたりして、東京でやっているので札幌で聞いてもらいたかった。 遠軽町でも演奏しました。
コロナ禍で音楽は不要不急に分類されてしまい、不要不急の仕事に価値はあるのか、考えました。 結論は価値がないという事でした。 価値のない仕事を続ける意味があるのか、結論は仕事としてやれば意味はないが、音楽は仕事ではなく生き方だと思いました。 生き方は使命でもあると思います。 今は不要と思われても100年後に必要とされる音楽や言葉、歌詞を残す使命だと思いました。 仕事とは頼まれてやるもので、生き方,使命は頼まれなくてもやるもので、お金にはならないが、未来にそれが必要とされるものだと思います。
金子みすゞさんの詩を朗読する中村裕子さんと毎年一緒にコンサートしています。 宮沢賢治の童話を読み語ってそれにアイルランド音楽で伴奏を付けるという事も上演しています。宮沢賢治も金子みすゞも不要不急の作家、詩人だったと思います。 彼らは生き方として童話や詩を書いた。 100年後にも聞かれる音楽を残すという気持ちで去年作ったCDアルバムがあります。 「天使と悪魔の絶望名歌集」という肩書がついています。 タイトルは「世界が終わっても音楽と愛が残る」というものです。
*「鶴」 作詞:ダゲスタン共和国のラスール・ガムザートフ (1965年に広島の原水爆禁止世界大会に出席して、特に佐々木禎子の千羽鶴の話に感銘を受け、故国に帰ってから戦争で亡くなった人々、特に兵士を悼んで、彼らが鶴となって飛んでいて、自分もいつかそれに加わるだろうという内容の詩をアヴァル語で作った。) 作詞:ウクライナ人のヤン・フレンケリ 「広い河の岸辺」を認めてくれた大前恵子さんという歌手が、私に「鶴」を訳詞してと頼まれたのが2021年の夏でした。
コロナ禍でNHKの「ニュースウオッチ9」で僕の窮状が紹介され、支援金、支援物資が届きました。 1/3は全く知らない人でした。 その資金でアルバムを作りました。 渡辺麻友さんが自分の歌をネット上に乗せて、それが「広い河の岸辺」だったそうです。 連絡をして一緒にコンサートをやるようになりました。 「世界の果ての少年」という本があり、この小説の劇中歌が「広い河の岸辺」なんです。 この時代の音楽は芸術ではありませんでした。 そこに「世界が終わっても音楽と愛が残る」という言葉が紹介されていました。 この言葉を座右の銘にしています。
目に見えない愛や信頼に生かされていると思います。
*「ふるさとのナナカマド」 英国映画の「生きる」のラストシーンでこの歌が歌われている。 この歌は7年前に訳してCDにしていました。 脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロさんです。 英国版では、その歌は「ふるさとのナナカマド」”The Rowan Tree”(スコットランド民謡)に替わっています。 黒澤明監督の1952年の映画『生きる』を英国版にリメイクした話題の映画です。 スコットランドでは子供が生まれると記念樹として、ナナカマドのが植えられる。 ナナカマドの花言葉は「安全」とか「私は貴方を守ります。」というのがあります。(子供の守護神の木)
「ふるさとのナナカマド」(やぎりん訳詞)
こどもの頃から わたしの心に
刻まれて消えない ナナカマド
春のはじめには みどりの葉を開き
夏は誇り高く 白い花を
ああ ナナカマド
気高く美しく 白い夏の花
秋には鮮やかな 紅葉のドレス
幸せを運ぶ 真っ赤な実をつけて
心のふるさとよ ナナカマド
ああ ナナカマド