2021年9月30日木曜日

渡辺一枝(作家)            ・ふくしまの声を聞き続けて、10年

渡辺一枝(作家)            ・ふくしまの声を聞き続けて、10年 

1945年ハルビン生まれ。   1987年3月まで18年間東京近郊の保育園、障害者施設で保育士を務めた後、作家活動に入りました。   東日本大震災の年の夏に被災地でボランティア活動に携わり、その後毎月のように福島に通い続けて被災者の声に耳を傾けてきました。  東京都内で開く「渡辺一枝トークの会“福島の声を聞こう!”」はこの9年間で37回を数えます。  これとは別に今年2月には「ふくしま 人のものがたり」という本を著しました。  チベットの自然や文化、人々の暮らしに心を惹かれ、何度のチベットを訪ねこの体験を著書や講演会を通じて伝えてきました。  

9月13日東京都内で37回目の「渡辺一枝トークの会“福島の声を聞こう!”」が開かれました。  ゲストが門間祥子?さん、高校の英語の先生をしていた方で、ご自宅が浪江町にあります。 原発事故の後は東京の北区に住んで居ます。  学校解体の話があり、せめてお別れ会をしてから学校解体をしてほしいという事で署名を集めていた方です。   「渡辺一枝トークの会“福島の声を聞こう!”」をコロナ禍で25名という人数制限でやっていますが、今回は25名に届かなかったです。   東日本大震災の年の夏に被災地に行って話を聞いていて、多くの人にこの話を聞いてほしいと思いました。  最初は私自身で集まりで話したり、雑誌に寄稿したりしましたが、現地の人の言葉を現地の人の声で直接聞いていただければもっと伝わるのではないかと思って、2012年3月から始めました。  それを2冊の本にまとめました。  1冊目は津波の被害に遭われた方が多かったです。  2冊目は原発の核被害に遭われた方たちの話が多くなっています。  

藤原さんという方は亡くなっています。(詩を書く)  1人用の仮設住宅に住んでいました。   やるせない思いを広告の裏に書き留めていたものを、ボランティアの人が気付いて詩集にして出しましょうという事になりました。  

今年2月には「ふくしま 人のものがたり」という本を著しました。   「聞き書き南相馬」という本をその前にだしました。  それには津波の被害の話が多かったんです。  「ふくしま 人のものがたり」では原発災害の被災者の話を書きたいと思いました。    6人の方が登場しますが、田中徳雲さんはお寺の住職で、現地の人からは大切な人と思われている方で、お話を伺っていると私自身が求めるもの、魂の向かいたいところというものと、徳雲さんが目指したいとこと、物凄く共通するようなものを感じて、徳雲さんのことを書かせてもらいました。  永平寺で社務をしていた時にたまたま新聞で20年以内に大きな地震があるという記事があり、津波が起こって原発が危ないのではないかと思って、原発に関心をもって勉強したようです。   「日本山妙法寺命の行進」、に参加しました。  日本山妙法寺のお坊さんたちは、戦争反対という事でいろいろ活動してきました。  原発事故の後では津波の被害に遭った人の慰霊と原発反対するという事で命の行進をずっとやっています。 宗教、宗派を問わずいろいろの方が加わっています。   大飯原発差し止め訴訟の原告でもあります。

菅野子さん、飯館村の伝統食の凍み餅を作るワークショップで働いていたが、飯館村が住めなくなり、伝統食の凍み餅を伝えていきたいという事で、気候がよく似ている小海町で始めました。  そこで初めてお会いし、いろいろ話を伺いました。  伊達市の仮設住宅に入りそこを引き払わなくてはいけなくなった時に、仲良くしていた友人二人が村へ帰るという事で自身も村に帰りました。  

今野寿美雄さん、福島県浪江町の方で、原子力発電所、火力発電所の技術者。  南相馬避難20mmシーベルト基準撤回訴訟という裁判があり、一般に1年間に許容できる放射線量が1mmシーベルトと言われているが、20mmシーベルトで非難を解除しようという風にしてしまったわけです。  避難指示にならなかった地域でも高い放射線量があり、特定避難勧奨地点と呼ばれています。  そこを合わせて20mmシーベルトで非難を解除という事に対して反対して、訴訟を起こした方たちです。  或る時裁判所前でのスピーチを今野さんがしていて、トークの会でお話をしていただきたいと思って声を掛けたのがきっかけです。   今野さんは私よりずっと若い方ですが、私はなんて世間知らずなんだろうと思うような幅の広い方です。  自身も被災者なので被災者の気持ちも良く判る人です。  今野さんと話すと学ぶことがいっぱいあって、今野さんも是非皆さんに知ってほしいと思いました。   

いろいろ事情があって、チベットに最後に行ったのが2015年です。   チベットの魅力が消されてきている。  チベットらしい景色、暮らしぶり、がどんどん消えてしまっている。  

2018年度中に福島で家を解体すれば、費用は国が持つという事でしたが、それを過ぎると個人で負担しなくてはいけなくて、放射性廃棄物なので700~800万円ぐらいかかってしまう。  2017,8,9年と物凄い勢いで解体されて行きどんどんさら地になりました。   復興を目に見える形にするためのいろいろなものが作られてきました。   浪江町には水素工場が作られたりしました。   故郷を思い起こす景色がなくなってしまっている。 地形さえも崩されてしまっている。   作り上げてきた土壌が汚染され、それを削り取ってそこに土を盛るわけですが、山林を切り崩して山の土を持ってきて被せるわけです。  除染土再利用という事がいわれています。  汚染されている土でそれをきれいな土で遮蔽するわけですが、遮蔽する土は山林を切り崩して山の土を持ってきて使用するわけです。 

復興のシンボル伝承館、被災前の状態~原発建設~被災~その後を展示。  現在6000~7000人程度の人が福島県内から避難した人がいますが、そういたことは伝承していない伝承館です。  メディアからの情報だけではなくて、自分自身で知りたいという思いがあり進めてきました。