2021年9月21日火曜日

植田紳爾(宝塚歌劇団名誉理事・特別顧問)・タカラヅカ ~舞台に込めた平和への思い~

植田紳爾(宝塚歌劇団名誉理事・特別顧問)・タカラヅカ ~舞台に込めた平和への思い~ 

宝塚の舞台に60年以上かかわってきたのが、今年88歳の植田さんです。  兵庫県出身。 劇団の名誉理事・特別顧問を務めています。  「ベルサイユのばら」や「風と共に去りぬ」など数々の作品を世に送り出してきました。   その演出家としての原点が幼少期疎開先の福井県での戦争体験にあると言います。   福井市街の9割以上が焼けたとされる昭和20年の福井空襲です。  

小学校のころから日本は勝つんだとか、どこを向いても国中が そういう空気でした。   12月8日に開戦のラジオを聴きながら祖母が泣いていました。  それが戦争の印象の初めてのことでした。   小学校の6年生の時に神戸の大空襲があって、福井県の細呂木村の村長さんの家に祖母と妹と私が疎開しました。   環境がガラッと変わりました。

  昭和20年7月19日福井空襲がありました。(12歳)    西の方が一晩中燃えて空が真っ赤でした。  翌日に学校へ行かなければという思いがあり、汽車に乗って福井に降りたら、煙の中何にもなくなっていて、とにかく学校に行かねばと思って進んでいきますが、独特の臭いがしてそれが人間の焼死体だということが判りました。  いくつもありました。   福井城のお堀は真っ赤になっていてそこには焼け死んだ人が一杯浮いていていてそれは地獄でした。   何にもしていない人がこうなったと思うと、虚しさ、怒りを感じました。(1500人以上がなくなる。)  

学校に行ったら、どこそこに行けと言われて、行った先は焼死体が集められていて、一か所に集めるために焼けた死骸を手で持った時に、ずるっと皮がむけてゆく。  何をしたからこの人たちはこうなったのかなとか、考える余裕もなく早くこの仕事を終わらせたいという無感情でやっている自分に気が付いて、人間ってこんな気持ちがあるんだと思いました。 人間の感情って怖いものがあると思いました。  いまだに残っています。  

村役場のラジオで敗戦を聞いて、神戸に帰る事になりました。   宝塚のチケットを手に入れて見に行って大ショックを受けたのは、真っ白な衣装、ピンク、ブルーなどでした。 当時はカーキ色の軍服と紺のもんぺで白も汚れた白で、ライトに当たった綺麗さは同じ世界なのかと吃驚しました。  入る時と出る時のお客さんの表情が全然違うんですね。   こんなふうに人を喜ばせる宝塚の仕事がしたいと思いました。  

1957年 23歳で演出家として入団。  中学の先輩に演出をする人がいて、先生から紹介されて、「アーティストになりたいのか、アルチザンになりたいのか」と言われ、「アルチザンになりたい」と言ったらこの本を読みんさいと言われました。  段々知識を得てゆきました。  演出をやる方が面白いという思いが湧いてきました。    

40歳で「ベルサイユのばら」を脚本、演出する。  一番端的に表現できるのは本当に争っている人間同士の場合で、見る方には判り易いので、演劇の手法として僕はやっています。原作を読んで、国が潰れるという事の凄さの中に、アントワネットという女性が毅然として死刑台に登ったのはどうしてなんだろうと、いうところに興味がありました。  有名なセリフ「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」一般の人との生活の落差、その後牢獄に入ってそういったことを肌で感じてゆく。  牢獄ではいろんなことを反省したであろうし、人間の生き方としてこうだったという事は、一種の悟りみたいなものがあったような気がします。  目隠しもされずに階段を登って行って「サヨナラ、パリ さよなら フランス」と言ってにっこり笑う。  にっこり笑って死んでゆける女性を描いてみたい、見る方もその時の気持ちがわかったと言えるように説明してみたい。  

黙ってつつましやかに生活している人達が焼け死んでしまわなければならない恐ろしさみたいなものを書きたいという思いがあります。   

戦争とかいろいろ苦しみを乗り越えて今の日本があるという事は、誰かがどこかで言って行かないといけないなと思います。   何もしていない人たちが戦争に巻き込まれてゆく、そういうものが戦争ですよ、という事だけは言いたいと思います。  宝塚で華やかななかで描くからこそ、その落差をアピールできる。  

演出家として64年になり、16年ぶり婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)が公演。宝塚歌劇の男役を追求し続けてきた轟悠が退団することになり、何か書いてほしいという事で引き受けました。   神経的にコロナ禍で疲れている中、たとえ1時間でも忘れて頂けることは何だろうかと、セリフで伝える事が出来れば面白いと思って、『婆沙羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)をやった原因でもあります。  コロナ禍で地球上が一緒になってやらなければいけない時に、若い人たちが街中でたむろして、それはそれでいいかもしれないが、何か失っているものがあるんじゃないかなと思います。   今は平和な時代ですが、生きている人間は、一歩間違えればそういったことが起こるから、そういう事が無いように 皆が努力することなんだから、それだけは覚えておいてくださいと言いたいです。