2021年9月1日水曜日

川村高子(元小学校教諭)        ・102歳の後悔と願い

 川村高子(元小学校教諭)        ・102歳の後悔と願い

戦前、戦中、戦後小学校や中学校で教諭を務め、退職をした後は戦争の体験を語る活動に力を注ぎました。   川村さんは語り部として太平洋戦争で弟と妹を失い悲しみに暮れた体験と共に、戦争が終わるまで日本は負けないと信じ、子供たちに軍国主義の考え方を押し付けてしまったという、自分自身の反省の思いを伝えてきました。   激動の時代を生き抜き、今の後悔の思いと反省の願いを持ち続ける102歳の川村さんに伺いました。

戦争のことを思い返したら本当に悲しくなります。  沢山の人が亡くなり、戦争というものは凄く残酷なものであると、喜び、生きる事とかすべて失ってしまう。  

大正8年に生まれて、小学校の先生になりたいと思って昭和10年16歳の時に女子師範学校に入学、昭和15年に師範学校を卒業、小学校の先生として働き始める。  翌年太平洋戦争が始まる。    太平洋戦争が始まった日に朝号外の音がしました。  読んだら日本はアメリカ、イギリスと戦争状態に入る、という事と、真珠湾の攻撃をして敵の戦艦を沈没させたり大変な戦果が上がったという事が書かれていて、ラジオでも何回ともなく放送されました。  高揚した気持ちでした。  戦争に勝つことを心新たにしました。  負けるということは全然考えませんでした。   昭和17年から1年生を受け持ちました。  喜んで天皇のために死ねる人になりなさいという事を教えることで、そういう人間を作ってしまった。    子供たちは同じように素直に受け止めていました。    

私は5人兄弟で長女で、妹2人、弟2人でした。   上の妹が夫と共に岡山に住んでいて、下の弟がそこに身を寄せていましたが、岡山空襲があり妹が亡くなりました。  

昭和20年6月28日に弟が汽車で妹のところに行きました。  29日の未明にラジオで岡山空襲があったと放送がありました。  7月2日に弟が頭や手に包帯を巻いてしょんぼり帰ってきました。   話を聞くと空襲で安全なところに逃げて行ったが、そこでも焼夷弾のガスで呼吸が困難になり、弟はとっさに逃げ出しました。   安全なところまできて弟が振り向いて姉に話をしようと思ったら姉が居ませんでした。   朝になって行ったら姉はみつからなかった。 遺体の収容所に行ったら遺体一体があって、眼鏡、靴などから姉の遺体だろうと思ったが、丸焼けで判らなかった。  胃を引っ張り出して胃の中身を確認したら前の晩に食べた小豆が入っていてそれで確認できました。  父は火葬にしてお骨を持って帰ってきました。   父から妹は妊娠2,3か月だったという事を聞かされました。 (22歳だった。) 

弟の春雄(?)は実家から出征しました。  出征兵士が出掛ける家は当時は誇りに思っていました。   しかし出征すると死んでしまうという事が判っているので、悲しい気持ちで笑顔は出てきませんでした。   涙を一生懸命こらえました。  弟は汽車のデッキから日の丸の旗を見えなくなるまで振っていました。  日の丸が弟を連れ去って行ったという思いです。   朝鮮に行って手紙が来ましたが、2,3か月後には手紙が来なくなりました。    昭和21年4月18日付で昭和19年ニューギニアの東部のガリというところの戦争で腹部に大砲の弾のかけらが当たって戦死した、という報告内容で戦死を知りました。  父は大粒の涙をポタポタこぼしていました。  戦争はいいことは一つもありません。

8月15日、終戦を聞いた時には予想もしていませんでした。   大変な事になったという気持ちと、天皇陛下のための自分の努力が足りなかったという反省と、ごちゃごちゃになって立っていれなくてしゃがみ込みました。   今だから言えるが、本当に自分が馬鹿だった。    子供たちに「お国のために死になさい、それは名誉なことだ」と言って教えてきた事については、本当に申し訳ないことをしたと思います。   子供たちを絶対に戦争に行かせないような国つくりをしないといけない、戦争をすることに対して子供たちが反対する立場に立って行動するような人になってもらいたいと思っています。

語り部になってから、子供から「恐ろしい戦争を大人はどうして止められなかったのか」と問われましたが、答えのしようがなかったです。   私がこういう教育を受けたからこういう人間に成ったと答えるよりしょうがない、と思いました。    語り部として言う事は、これは良いことか悪いことか、して良いことかしていけないことか、それをはっきり見わけが出来るような人になりなさい、悪いことはそれは悪いことだと発言できる様な人になってくださいという事を最後に言っています。   私たちが味わった戦争の苦しみを絶対させてはならないと思います。  戦争の悲惨さを伝えていきたい。   後悔があるからこそそう思います。    一番の願いは、戦争のない平和な世界であってほしい。