六代目立川談笑(落語家) ・ガンからの復帰・声が出た
1993年に27歳で立川談志師匠に入門、1996年に二つ目、2006年に真打に昇進した立川談笑さんです。 古典落語をもとにブラックジョークを交えた改作落語が評判で、立川流四天王の一人として知られています。 談笑さんは今年の3月ゴルフボール大の甲状腺の腫瘍が見つかり手術で声が出なくなるかもしれないと言われていましたが、5月31日に手術を受けてそれが成功し、順調に回復して6月13日に高座に復帰しました。
声の神経を腫瘍が取り込んでいるかもしれないという事で、最悪の場合には神経を切ることになるかもしれない、声は出るがかなりのかすれ声になってしまうかもしれないと言いう事でしたが、有難いことに声が出るようになりました。 うまくいってかすれ声だと思ってくださいと先生から言われました。 手術が終わって麻酔が切れたらすぐ声を出してみました。 声が出なかったら廃業することになるし、弟子をどうしようとかいろいろ考えました。
腫瘍があることは小学生の時から知っていて、調べたら陽性という事でした。 今回のきっかけは肺のレントゲン検査で気管の部分が左右に広がってると言われて、腫瘍が悪性になってるかもしれないという事で調べてもらったら悪性でした。 後で判ったことですが、良性の腫瘍の隣に悪性が出来ていたとのことでした。 左を向いて声を出すのが出しにくいとか、高音が出ない領域が出てきたりという事はあります。 1年かければゆっくりと治ってゆくとは言われました。
最初の独演会で2時間声を出しっぱなしなので、もし中途で駄目な場合は弟子にスタンバイしてもらって高座に上がりました。 最初の一声は「声が出ます。」でしたが、大きな拍手で感極まりました。 2年前にも大腸に穴が空く病気をしていましたが、かなり救命率の低い急性の病気で緊急手術で致死率が33%といわれていました。 大腸の一部の壁が薄くなっていてそれが弾けて穴が開いてしまったという事でした。 再発しないように腸内環境を整えるために毎朝ヨーグルトを食べています。
(立川流四天王 志の輔、談春、志らく、談笑の四名)
立川談志が立ち上げた立川流は寄席をとびだしてしまって、寄席というベースがないんです。 落語をやる場を自分たちで作って行かなくてはいけない。 若手が5,6人でチームを作って新作落語を作ったり、お客さんを開拓してゆくというグループ的な動きが強くなってきました。 内容も演者ごとに工夫することがかなり自由になってきました。 改作落語に取り組んでいます。 場合によっては時代を現代に置き換えたりしてやっています。 「居酒屋」という落語などでも、今では小僧が居ないし、メニューも違うのでいろいろ工夫しています。
現在55歳ですが、小さいころは母親が看護師だったので医者になりたかった。 父親はとび職で、親方でした。 男三兄弟の真ん中です。 中学、海城高等学校時代は柔道をしていました。 一浪していて、これで駄目だったらプロレスラーになろうかと思いましたが、早稲田大学法学部に受かりました。 弁護士か警察官になろうと思って司法試験の勉強をしていたが、司法試験の壁が大きくていったん凍結して、ほかに何かやることはないかと思って、落語を聞くようになって志ん生師匠にのめりこんで、齢がいっていたが立川談志師匠に入門しました。
若いころ民放のリポーターも15年以上やりました。(30歳から) オーディションがあり2000人から2人選ばれました。 いろんな人に生でお会いできて、あれは落語にもよかったと思います。 講釈ネタなどはまだ手をつけていないものが多くあり、リズムとメロディーとで聞いていて心地よくなるようなそういう話ももっと積極的にやって行きたいなあと思います。