細江純子(JRA初の女性騎手・ホースコラボレーター)・馬に魅せられて
細江さんは高校卒業後、JRAの競馬学校に入り20歳でJRA初の女性騎手としてデビューしました。 5年間通算14勝で現役を引退し、その後は新聞、テレビ、雑誌などを通じて馬の魅力や競馬の楽しみ方などを語り、馬とファンと競馬関係者を繋ぐ活動をしています。 現役ジョッキー時代は男社会の環境に戸惑い、人間関係に悩んだ時もありました。 又馬の気持ちを考える余裕もなく、自分にも馬にも無理を強いていたという事とです。 競馬の世界は厳しい世界ですが、馬の育成にかける厩務員の昼夜を問わない取り組みなど、レースの裏に様々なドラマが秘められていると言います。 JRA初の女性騎手であり馬に魅せられた細江さんの歩みを伺いました。
馬とファンと競馬関係者を繋ぐという思いで、ホースコラボレーターという名前を作ってしまいました。 コロナ禍ですが、中央競馬会は一日たりとも競馬がストップという事はありませんでした。 日本の中では大きく二つに分かれていて、中央競馬と地方競馬に分かれています。 中央競馬は全国に10か所競馬場があり、土、日に2,3場が開催されています。 馬は暑さに弱いので夏は北海道開催が多いです。 トレーニングセンターは2か所、茨城県、滋賀県にあります。 大きな大会、メッカは東京競馬場という事になります。 菊花賞は京都競馬場で3000mで行われます。 各競馬場によっていろいろコースも景色も違います。 馬は繊細ですし、個体差があり、複雑な要素が絡んでいます。
アニメ、漫画で競馬を題材とした『ウマ娘 プリティーダービー』があり、若い人、女性、子供さんなどが競馬を知りたいとか、見てみたいという事で、人気になってきています。 牝馬限定レースもありますが、一緒に走る事になっています。 牡馬と牝馬では負担重量の違い(ジョッキーの体重さ)で差をつけています。 日本ダービーで牝馬が勝ったこともあります。
馬は生まれた時は馬ですが、人間と馬が対話をしてゆく中で一つ一つクリアしてゆき、一つのレースに、一つの勝利に向かってゆくその過程というのが、競馬の魅了なのかなあと思います。 日々馬に接することで、この馬がどんな馬でどれぐらいのポテンシャルを持っていてどういう事が嫌いでそういう事が好きなのか、どういう事が苦手なのか、探って行ってその中で一つのレースに向けていって、馬とのやり取りを見てゆく、取材してゆく、感じてゆくというのが好きだなと思っています。
ソダシは白毛馬で白毛馬は少ないです。 G1で白毛馬で勝つのがソダシという馬です。 札幌記念の前のオークスでは2400mというソダシにとっては長いコースで負けてしまいましたが。 札幌記念では牡馬、齢の上の馬のいる中で、自分らしい競馬に徹することが出来たのは素晴らしかったと思います。 ゴールした後ジョッキーがソダシの首のところをポンポンとたたいていましたが、よく頑張った、ありがとうと語りかけるときです。
レースは生き物で、グラウンドコンディション、馬の走る特質、戦歴とか、いつも万全というわけでもないし、馬に関わる人たちがいかに馬のことを理解するかが大事だと思います。私はブエナビスタという馬が好きで、綺麗な顔をしていて眼がクレオパトラ見たいな眼をしていて、強くていろいろなレースを勝っていきますが、ジャパンカップで一着で入るが後着になってしまう。 他馬を妨害したという事で一着ではないレースがありました。 そのレースを機に勝てなくなってしまう。 その1年後の同じレースで勝利を挙げるんです。 100m手前でブエナビスタ自身が奥歯をかみしめてギアを一段階あげてゴールを駆け抜けたという事でした。 1年前ブエナビスタのジョッキーだったのが、外国の人でしたが、ブエナビスタが勝てないことを気にしていたが、今回別の馬に乗っていたが、駆け寄ってブエナビスタに勝ってよかったなと撫でるんです。 私自身感動的でした。 その後の調教でもなんか明るくなったという感じでした。 その後の有馬記念では復活したブエナビスタがやってくれるのではと周りは思うんですが、7着で負けてしまいます。 しかしジョッキーには追い抜いてゆく馬に「みんな頑張ってね、あとは任せた。」と聞こえたというんです。 ブエナビスタのことを私は「おしん」というんですが、おとなしくて耐え忍ぶ強い馬だったんです。 私のなかでは「心の師匠」と呼んでいます。
1996年 JRA初の女性騎手としてデビュー。 日本に競馬が入ってきたのは1860年(万延元年)江戸末期。 日清、日露戦争で日本の軍馬は西洋の馬に比べて劣っていることを感じた明治政府は1905年(明治28年)軍馬育成の国策として、競馬の開催を始める。 第二次世界大戦後一時期GHQにより禁止されたが、1948年競馬法を新たに定めて農林水産省の管理のもとに畜産業の復興支援のために、国営競馬が新たに始める。 1954年(昭和29年)農林水産省の畜産局から日本中央競馬会が引き継ぐ形でスタート。
競馬学校には私より先に入学している人が3人いました。 しかしプレッシャーがあったのか中途退学してしました。 父が競馬中継を見ていて、私も一緒に見ていて或る馬一頭だけが騎手と馬が一体に一つの塊に見えて、追いかけて見っていたら一着でゴールインしたんです。 そこで馬とか、騎手とかいろいろ知りたいと思うようになりました。 アニメで馬と女の子が一緒に成長してゆく物語があり、馬をもっと知りたい、乗ってみたいと思うようになりました。
3年間の寮生活があり、騎手としてデビューしても、馬主さん、管理する調教師さんがこの騎手に乗せようと騎乗依頼がないとレースコースに立つことはできない。 人間関係、縁故関係などのサポートだと思います。 数年前にデビューした藤田菜七子さんという女性ジョッキーが活躍してそれに憧れて、女性騎手になりたいという女性も増えてきて、今中央競馬会には3人の女性ジョッキーがいます。
年々レース数が少なくなってきて、自分の中の葛藤もあったし、年齢的なこともあり、海外で勝利をしたという踏ん切りもあり、5年間で引退をしました。 武豊の「競馬を伝える仕事をしてみたら」という助言をきっかけに段々チャレンジしてみようかな思いました。 取材してゆくうちに何にもわかっていなかったなと気づいて、もっと馬を知りたいと思うようになりました。 厩務員さんの話も面白くて、いろんなことを学ばせてもらいました。