三石琴乃(声優・ナレーター) ・【時代を創った声】
「美少女戦士セーラームーン」の主役月野うさぎ役などで知られています。 ナレーターとしても活躍の三石さんですが、最近ではドラマにもレギュラーとして初めて出演しました。
「美少女戦士セーラームーン」の主役月野うさぎ役『新世紀エヴァンゲリオン』で葛城ミサト役、『少女革命ウテナ』で有栖川樹璃役、『ドラえもん』での野比玉子(のび太のママ)役など、多くのヒットアニメの声も担当する。
今までは10人、20人一緒にスタジオの中で頭から順番に収録していましたが、今は1人とか多くても3人で時間差で収録しています。 別々の部屋から同時に収録できるところもあります。(リモート収録) アドバイスなどできない状態です。
「リコカツ」(離婚活動の略)に出演。 北川景子さんの母親役で、バアバと呼ばれている。 ドラマは声優とは明らかに違いました。 ドラマではあまり誇張しないように、普段しゃべっているボリュームでやりました。 あまり時間がなくセリフを覚えるのには苦労しました。
中学校は体操部でした。 ごく普通の中学生でした。 高校は硬式テニス部と放送部を兼務してやっていました。 小学校の時に放送委員をやって見えなくても伝えられることが面白かったんです。 幼稚園の先生になりたかったが、少子化で資格を取ってもしばらく待機ですと言われて、マイクの仕事をしようと思ったのが高校時代でした。 声優養成所は勝田声優学院に入りました。 引っ込み思案でいまだにあると思います。 みんなの前に出て課題をやるのが、つらかったです。
最初の仕事が企業PRノナレーションでした。 北海道電力泊発電所安全PRビデオのレポーターでした。 ギャランティーがうれしくて、流行っていたラムの皮ジャンを買って嬉しかったです。 1992年 「美少女戦士セーラームーン」の主役月野うさぎ役のオーディションを受けました。 ちょい役をやっていたので、先輩のを参考にしたりとかしてやりました。 結果が来て飛び上がって喜びました。 ありがたいことに大ヒットしました。 元気な女の子でやってくださいと言われて、言われた通りに頑張ってやっていたんですが、或る時大先輩から、「女の子の場合は一つ役がはまってしまうとそれで終わっちゃうからね」と言われて、ガーンときてそういわれればそうだと思いました。 違う役もやりたいと思いだして、脱却できたのはありがたいことにいろんな仕事がつながったことだと思います。 来た時の作品に対してどんなものでも準備はしておかなければと常に思っています。
一生懸命お芝居していれば見ていてくれる子供たちに届くんだなあという事は体験しました。 「セーラームーン」の一年目の時に体調を崩しました。 子宮内膜症で卵巣に穴が空いてしまいました。 即入院して手術をして数か月休養という事になってしまって、皆さんにご迷惑をかけてしまいました。 当時24歳で不安だらけでした。 ほかの人に渡した役もありましたが、「セーラームーン」には戻れてよかったと思いました。 しかし声優業は代役が立つんだという事を身をもって知りました。 やるんだったら私しかできないような、私らしい役を作ってゆこうかなと思っています。
オーディションを受けさせてもらって『新世紀エヴァンゲリオン』で葛城ミサト役に繋がりました。(1995年) テレビシリーズが始まって、劇場版が何作かあり、2007年に再構成された劇場版が公開されて、4作目が今年公開されました。 20代の頃のキーで声を出すのは難しいところは有りますが何とかこなすか、ほかの表現をするかですね。
ナレーションは別ジャンルだと思っています。 映像とか作った人の演出を邪魔しないように、でも映像と見ている人の橋渡しをしたいので、立ち位置が違うような感じです。 アフレコだとSE(効果音 (Sound Effect)) とか音楽も入っていないですが、ナレーション現場に行くと大体VTR映像があってSEとか音楽も入っているところに、最後にナレーションを入れたりする順番が多いです。 SEとの間にピタッとはめたり、この人がしゃべる前までに終わらせるとか、そういったものをしっかりやるのが楽しいです。 声優は心を伝えるように、ナレーションではしっかり伝えるように心がけています。 アニメはどんな役にでもなれるという事が魅力的です。
若い人に対してですが、いい結果はすぐには出ない、悪い結果はすぐに出ますので、一生懸命勉強してたくさん準備して、やり続けるのがいいと思います。 或る先生は「恋をしろよ、こんなところに来るよりも百倍勉強になる」と言っていました。 行き詰ってしまったことも一つの引き出しになると思います。 ネガティブな体験も逆にお芝居で生かせるという唯一の職業なので何でも財産になる、肥やしになるという事ですね。