2021年9月7日火曜日

パブロ賢次(靴磨き職人・画家)     ・靴を磨き、心を磨く

 パブロ賢次(靴磨き職人・画家)     ・靴を磨き、心を磨く

東京駅の丸の内北口で50年以上にわたって靴磨きをしている人がいます。 パブロ賢次さん。 本名赤平健二さん、71歳。   かつてはよく見かけた路上磨きも今ではパブロ賢次さん一人になってしまいました。    パブロさんの手にかかるとどんな靴も15分ほどでピカピカに蘇ります。   靴を磨きながらのお客さんとの対話もパブロさんの楽しみの一つです。 ほとんどが常連というお客さんの長年の人生模様も垣間見えると言います。   パブロさんのもう一つの顔は画家です。   こちらも画業50年、いまでは都内の有名なデパートなどで個展を開いたり、年に何回かヨーロッパに絵の制作にも出かけます。   巨匠を目指し敬愛するピカソの名前をとってパブロ賢次と名乗っています。  パブロ賢次さんに足元から見つめた半世紀にわたる世相と、靴磨きにも絵の制作にも情熱を傾ける思いを伺います。

靴磨きの仕事は日曜、祭日と雨の日は休みます。  時間は10時ぐらいから暗くなるまでと決めていますが、コロナの影響で大分お客さんが減ってしまって、早めに帰る時もあります。   正式に許可をもらっているのは私一人になってしました。   東京都と警察(歩道利用)の許可をもらいます。  全盛期には一家4人でやっていました。     父が始めて私が二代目で創業70年になります。   政治家の人から一部上場会社の社長さんも気軽に腹を割って本音で話すので、貴重じゃないかと思っています。   一家4人でやっていたころは普通のサラリーマンよりは収入は多くて、ピアノなどもありました。   音楽にも親しんでいてサックスでジャズなどをやっています。   学費は自分で稼いで明治大学と早稲田大学を出ました。   高校卒業してプロのバンドの仕事と靴磨きの仕事の両方やっていました。   

父が始めた当時は50円と言っていました。  ラーメン、タクシー、靴磨きの値段はずーっと一緒に並行してきています。  今は1000円で靴磨きのほうが高くなっています。私が始めた頃は300~400円ぐらいでした。   皮に靴墨を浸み込ませて表面に靴墨を残さないのがコツですね。  時々水を使って余分な靴墨をふき取ります。  靴の表面は皺があったり、ザラザラして居たり、ツルツルして居たり千差万別なので、ふき取る布もそれに応じて全部違い微妙です。  布は古い下着がいいです。   靴墨はいろいろ種類がありますが、私はそんなに使わないです。   靴墨に水を足して固すぎず柔らかすぎず,その加減が難しいです。  勘が必要です。  私のところで靴を磨くとお客さんはよそにはいかないといいます。   常連が8割です。   

昔は冬がきつかったが、今は夏のほうがきついですね。   お客さんはサラリーマンの方が多いです。   就活の人も来て、受かったと報告にきます。  足元に気を使う人は一味違うんじゃないですか。   一流企業の金融の社長さんとか、国会議事堂も近いので政治家の方などもきます。  叙勲で天皇陛下に会うという事で来られる方もいます。   忙しくて食事はできないです。  

絵は小さいころから好きで、美術の先生から絵描きになれと勧められたことがありました。 祖父が蒔絵師で漆に金粉で絵を描くことをしていて、兄も画家でプロとしてやっていました。   靴磨きも一緒にやっていましたが、5年前に交通事故で亡くなってしまいました。   兄はお茶、お花などもやっていて、いろいろな面で教わりました。      兄はわびさび的な田園風景とか描いていました。(静の世界)  私はヨーロッパ的で筆に勢いがあって動の世界です。  兄が亡くなって遺作で兄弟展をやりました。   

見えるものを描くという事は当たり前で、見えないものを描いて初めて画家なんだという思いがあり、空気、風、匂い、雑踏のざわめきとかを表現できて、ひとかどの画家ではないかと思います。   ヨーロッパに行くときは20kgの荷物を背負って各地を回ります。  事前に休業のお知らせを書いて出かけます。   1か月程度いますが、そうするうと街に大分体が馴染んできます、そうすると絵も馴染んできます。   パブロ・ピカソのパブロをとってパブロ賢次にしました。  名前を変えて4,5年になり馴染んできました。  

靴墨は油性で、油絵では揮発性の油と不乾性の油があり、不乾性の油を靴に塗ってしまうとつやが出なくなってしまいます。  どちらも油の特性を知っているという事が大事で、加えて美の追求という事で、最高の艶を出そう、最高の絵を描こうということで、極めるという事をいつも研究しています。   靴磨きの仕事が好きなので、いい仕事だと思っています。   

戦後の復興期、バブルの狂乱の時代などから今のコロナの時代まで見てきましたが、このコロナが過ぎると考え方というか生き方が変わって来るんじゃないかと思います。   昔は暮れ(年の暮れ)が忙しかったが、今は暇ですね。  暮れから正月にかけての気分がなくなった様な気がします。   うちが潰れるときは日本が潰れるときだと思っていました。  丸の内は日本の経済の中心で、ここが駄目だという事は日本全部が駄目だろうと思っていました。  コロナは想定外でした。  すべての分野で影響があると思います。

靴磨きの仕事をやってきたおかげで、絵を続けられてきました。