2021年9月19日日曜日

湯浅誠(NPO法人理事長)       ・【美味しい仕事人】つながりを育む子ども食堂

 湯浅誠(NPO法人理事長)      ・【美味しい仕事人】つながりを育む子ども食堂

子ども食堂が誕生して10年、今、全国で急速に増え続けています。   看板に子どもを掲げているのに、世代を超えた地域の人々が集まってきています。   その秘密は一体何なんでしょううか。   全国の子ども食堂を物心共に応援しているNPO法人「全国子ども支援センター・むすびえ」の理事長の湯浅誠さん(52歳)に伺います。   湯浅さんは社会活動家で東京大学先端科学技術研究センターの特任教授の横顔もお持ちです。  

子ども食堂は全国に5000か所ありまして、去年の12月で4960数えられています。  全国に行政サービスの児童館が4500か所です。 児童館よりも多くなりました。   子供が一人で行けるという事は確かですが、ファミレスに子供が一人で行くとどうしたのと言われてしまう。  大人は全くダメというわけではありません。  子ども食堂の8割は参加条件を付けていないです。   高齢者が来ている食堂は2/3あり子供限定ではないです。  子ども食堂が報道に出始めたのが、日本で子供の貧困対策推進法という法律が出来た時で、その文脈で子ども食堂を紹介されることが多かったので、食べられない子が行くところではないかというイメージが定着してしまいました。  最初の子ども食堂は2012年という事になっていますが、ずーっと変わらず地域の方どなたでもどうぞという事になっています。   行ったら噂になるようなところだと、みんななかなか行きづらいです。

2012年、島根県出身で東京で八百屋をやっていた近藤さんという方が、子ども食堂の暖簾を掲げました。  地域の人を集めてワンコイン寺子屋として勉強する場としてやって居たり、いろんな学校の先生に来てもらって、子供たちが学校の先生に文句を言う場所というようなプログラムをやっていた人でした。    子供が行ける場所が少ないから、子ども食堂という看板を掲げて、地域の方々を含め食べる場を設けたわけです。   それを見た人がこれだと自分たちでもやり始める。   子供の貧困対策推進法が出来て一気に報道が増える。  その報道を見て量が増えて行きました。  生みの親が近藤さんで、育ての親が栗林さん(池袋の方)で自分で子ども食堂をやりながら地域の方の巻き込み力が凄かった。  

栗林さんは講演に行って彼女が呼びかけて、さらに増えて行きました。   山田さんという方はパン屋さんをやっていてにぎわってたが、奥さんを亡くされてパン屋をたたんで落ち込んでいたが、栗林さんに言われて子ども食堂を始めて、今では彼の生き甲斐になっています。   子ども食堂を通じてつながりが広がっている、逆に言うとそういったつながりが減ってきてしまっていたという事だと思いいます。   都会ではないところでは老夫婦だけ、独り暮らしなどが増え、地域が寂しくなってきてしまっている。   昔はこういうところがあったよね、というのが広がった最大の理由です。   一人一人がボランタリーに始める活動です。   

2018年12月、全国の子ども食堂を支援するための民間団体「全国子ども食堂支援センター・むすびえ」を設立しました。    私が子ども食堂に関わり始めたのが2016年ぐらいからで、栗林さんから協力してほしいと頼まれました。   子ども食堂に関する気持ちを受け止める団体がなかった。   自分で作るしかないと思って作りました。   子ども食堂の運営者に対して勝手に応援させてもらっています。    いろんな企業さんからもご寄付もいただけるので、助成金として支援する枠組みを作って、食材の資金とかに対して全国に展開しています。   子ども食堂のスタイルは様々です。  子供さん、保護者、地域の高齢者の方などがまじりあう場所になっていて、そこが子ども食堂の価値だと強調しています。   

兄が障害者で、ボランティアさんが家に来てくれていて、お陰で私はいろんな人と付き合が出来て、その感覚が大人になって大事だと思いました。  多様な人とは経験しないで大人になってしまった人が相手との間合いが判らなくて、問題になってしまう事があるのではないでしょうか。   何がよくてここにきているのと問うと、大人も子供も一番多い答えは「ここではたくさんの人と知り合える。」という事です。   

鹿児島の子ども食堂に行ったときの話、小学校の2年生の子が初めて来て、母親から「行ってこい」と言われてきたとのことだった。   その家庭の状況は判らないが、食堂の方がおにぎり10個持たせてその子を帰した。  「余っちゃったから持って帰ってくれると嬉しい」と言って渡した。  このさりげなく気遣う、間合いが子ども食堂らしいんです。  

大学院在学中の2000年(平成12年)に炊き出しに必要な米穀を収集する「フードバンク」を設立し、翌2002年(平成14年)にホームレスを支援する「自立生活サポートセンター・もやい」を設立しました。  2008年失業者救援の「年越し派遣村」の村長として活動しました。  バブル崩壊後大変な時代になっていました。  1995年に渋谷でホームレス支援を始めました。   1996~70年でホームレスが6倍に増えました。(100人が600人になった。)    社会の貧困の在り方の問題としてはなかなか認めてもらえなかった。

2009年、国も公式に貧困という事を認めて、自分自身の立ち方を変えました。  認められたので、この問題の解決に向かっていかに多くの方がかかわってもらえるかが大事で、そのためには子ども食堂がいいんです。  貧困の活動をやっていて一番しんどかったのが、広がらないという事でした。   広がらない理由は深刻に受け止めてしまうこと。  子ども食堂は地域拠点として活動しているが、中にはそういう貧困の人もいる。  子ども食堂によって関わる人が爆発的に増えたんです。   子供のためにとなるとなんかやってやるかという事になり、自分が子供の相手をしつつ、子供に相手をしてもらっているというか、お互い様のつながりになるわけです。

子ども食堂をもっと当たり前のような感じにしたい。   食べられない子が行くから自分が行くと迷惑になるというのではなくて、食べに行くことで関わることにより、それが支援になる。  子どもは無料で大人は300円、500円とかで払ってもらう事が多いです。  試算した人がいるんですが、大人が10人食べてくれれば7人の子供に無料で出せるんです。 食べに行くことが支援になるわけです。  自分の自治体名とスペースを空けて「子ども食堂」と入れて検索するといいと思います。  近いところで関係を作っていただけたらいいと思います。