2021年9月26日日曜日

高橋公(NPO法人理事長)       ・ふるさと回帰の夢の先

 高橋公(NPO法人理事長)       ・ふるさと回帰の夢の先

ふるさと回帰支援センターは過疎や高齢化に悩む地方と都市の格差を是正しようと、2002年に連合日本労働組合総連合会を中核に農協や生協などが参加して設立された、地方移住のパイオニア的な団体です。  高橋さんは設立の中心となって働き2017年から理事長を務めています。  

ふるさと回帰支援センターは有楽町駅から1分ぐらいで、ビルの1フロアーに各県のブースがあり、広さは300坪あります。  各県の相談員もいます。  26県が就職相談をしています。  移住と就職相談のフォローアップをしっかりしています。   一昨年は年間4万9000件の相談がありました。(去年、今年はコロナで制限がありました。) 去年は3万8000件、今年は順調で本気度の高い人が増えています。   移住セミナーは去年は年間349回、一昨年は545回でした。   移住先での暮らしの紹介をセミナーでやっています。  20年の実績がありますが、移住の定義が難しくて、全国統計はないんです。  1県で1000~2000ぐらいではないかと思います。    人気の一番トップは長野です。  県内に77の市町村がありますが、45自治体ぐらいがうちの会員になっています。  

最初、団塊世代のUターン促進のために作りました。   団塊世代が集団就職をしたりしました。  2007年に60歳になる人たちに対して、連合にいるときにアンケートをとったら、4割の人が定年後年金を糧に田舎に帰って悠々自適の暮らしをしたい、と回答していました。  この思いを叶える仕組みを作らなければいけないと思いました。   2008年のリーマンショックのときに若い人たちの目が地方に向きました。   地方は過疎化、高齢化が進んでいました。  農水省が田舎で働きたいという補助事業をやりました。  いくつかの自治体と若い人を送り出す事業を始めました。  そのころから若者が地方へという機運が生まれてきました。   バブル崩壊後は小手先の政策で、日本の経済政策の根本まで揺るがすような状況になり、派遣法の制定で不安定な仕事がずーっと増えて行きました。 条件付きだったが、単純労働まで派遣という事になり、現在は4割の人たちが不安定雇用になっています。   コロナ禍でもここから辞めさせるという事になって行く。   東京での生活に期待を持てなくなって、目は地方に向き始めている。   去年から今年にかけて。都心から150km圏では移住相談が倍増しています。  東京一極集中と言われて居たが、去年は東京では転入よりも転出が増えています。   

福島県の相馬市に生まれました。  小学校1年で母親を亡くして、後妻が来たりして、その人との関係は良くなかった。   父親は漁師をしていました。  家には本がなかったが、小学校のころから新聞は一面から読んでいました。  安保闘争のことなどよく覚えています。   叔父さんが神奈川にいて、高校は横浜に行きました。  そのころから本をよく読み始めました。  武者小路実篤などから西田幾多郎へといって、哲学、座禅へとのめりこんでいきました。   行き場のないような気持を解決の方向に向けたのが、弁証法でした。(合理的な考え方)   1965年日韓条約で、東京に来て初めてデモなどやりました。   早稲田大学に進みました。  学生運動が盛んなころでした。  戦後の平和教育を受けたので、ベトナム戦争もあったし、こんなことでいいのかという思いがありました。

ノンセクトラディカルで運動をしました。  文学部を中心に核マル派があったが、内ゲバなどもあり、もう少し自由に主義主張を語ったりするべきではないかということで、無党派の反戦連合という組織をみんなで作って、大学を占拠するという事になって行きます。  大学の職員からお小遣いをもらったりして、「頑張って」などというエピソードも沢山ありました。   核マル派に拉致されて、「お前の墓場に連れてゆく」、というようなこともありました。   70年安保までやって、目標がなくなって、リーダーだったので責任を取って身を引こうと思い、大学は中退しました。   学生運動は良い体験だったと思います。  

生活のために築地の魚河岸で4年半ぐらい働きました。   収入もよく午前中で仕事も終わるので午後は神道夢想流の杖術の稽古に明け暮れました。    百科事典の編集を2年程度、飲み屋の用心棒もやりました。   選挙の手伝いなどもして今に繋がってゆきます。   東海大学の松前先生が参議院選挙に立候補して、そこの選挙応援を1年やりました。   そういったことで後押しをしてもらって試験を受けて自治労の書記局に入りました。  最初は機関誌担当で全国を回って、当時 3300あった市町村のうち1000は行っています。   その後現業局、公務員の現業部門(清掃、学校給食、用務員、道路整備など)の職員が30万人いましたが、それを担当しました。  そこを民間委託しろという事になり、そうなると労働条件が悪くなるので、サービスも低下するのではないかという事で反対しました。   土光さんの懐刀で瀬島龍三さん(関東軍の高級参謀)と何回も会って、最後には切り離すという原案にあったものが、その答申から消えました。  委託するかどうかは各自治体に任せるという事になりました。   次に社会福祉、来るべき高齢者社会に向けて、この国の社会保障制度はどうあるべきなのか、という事に対して厚生官僚とブレーンと共に政策提案など大分やりました。  福祉、社会制度は勉強していないのでスウェーデンとデンマークに自費で見に行きました。  自治労は20年いました。   その後、社会政策局長としていきました。 国土・土地・住宅政策、環境政策、教育政策、農業政策などを担当。

京都議定書が作られた時で、環境問題にも取り組みました。   連合で、ふるさと回帰支援が始まります。  時期尚早だといわれたが、3年間かかって説得しました。  自分が生きてきて節々で出会った人たちが、みんなこの運動に糾合されているという感じがします。  ふるさと回帰支援センターは2002年に設立されて、形になり始めたのが2008年で、農水省が田舎で働きたいというプログラムの事業をやって、補助事業を受けながら資金を受け、2014年街・人・仕事創成本部という増田寛也さん(元岩手県知事)が日本創成会議で論文を発表して、2040年には日本の自治体のうち896自治体が消滅する可能性がある、という事で地方創成を本格的に取り組むという事で補正予算を組みました。  2015年4月にいきなり22県がうちに移住相談員を配置したいという事になり、それで花開きました。  その後少しづつ増えて行き現在に至りました。   今は自治体が1741市町村ありますが、うちの会員が500弱で約1/4で、立ち行かないところも出てくると思うので、少子化、高齢化、過疎化などの問題があり、政府が10年構想で進めてきて7年経っており、残された時間が少ないので会員を1000ぐらいまで拡大して、地方移住に意味を見出すひとたちの受け皿になってほしいと思っています。