2021年9月4日土曜日

澤田隆治(テレビプロデューサー)    ・戦後上方芸能史(2)

澤田隆治(テレビプロデューサー)    ・戦後上方芸能史(2) 

戦後しばらくして自由を取り戻した日本のラジオ、昭和26年には民間放送が登場して浪曲、漫才、落語などその演芸番組は家庭で楽しめる娯楽の中心になっていました。  昭和8年に大阪に生まれて、戦後外地から富山県の高岡に引き上げてきた澤田さん、やがて故郷の関西に戻って大学を卒業すると昭和30年に大阪の朝日放送に入社ます。  ラジオの演芸プロデューサーになった澤田さんは、多くの寄席中継や娯楽番組を制作します。   昭和30年代はラジオの時代からTVの時代に移ります。  コメディー番組やドラマに携わり、最も人気を集めた番組のひとつが、昭和37年から6年近く続いた朝日放送TVの「てなもんや三度笠」 最も高かった視聴率が東京で42.9%、大阪では64.8% プロレスやドラマを抜いてトップに立ちました。  その後番組制作会社で情報番組、バラエティー番組、ドラマなどの番組や地方博覧会のパビリオンなどをプロデュース、1980年代の漫才ブームの仕掛け人としても知られています。   第二回はTVに移った澤田さんがコメディー番組での生放送の苦労や裏番組との競争をどう戦ったのかお聞きしました。

TVの時代になってきて、ラジオよりTVが盛んになってきて、「スチャラカ社員」がベースになって「てなもんや三度笠」藤田まことにやらせるようになる。(昭和37年)
その前に昭和33年 大阪TVの看板番組「びっくり捕物帖」、「やりくりアパート」のアシスタントディレクターを担当する事になる。
「びっくり捕物帖」 主演は中田ダイマル・ラケット 与力(藤田まこと)、森光子さんの出世作ともなった。  「びっくり捕物帖」は全国番組になりました。  藤田まことはまだ新人で出番も少なかった。  森さんはそのころから向上心があり、努力していました。   

「やりくりアパート」は夕方の番組で、 横山エンタツ(アパートの管理人) 大村崑 佐々十郎 茶川一郎さんなどが居ました。  リハーサルをやっていて東宝の演劇部の人が時間ですというと、みんなどーっといなくなるんです。  キタノ劇場に行ってしまうんです。   映画と舞台を交互にやっていますから、1時間半ぐらいの映画と休憩時間の間にこっちでリハーサルをやるわけです。   カメラは3台で1台押さえている間に2台が次の場所に行かなければいけない。   
CMがあり、最後にセットの前に、本番中にそーっと車を持ち込み、女性アナウンサーが説明をして、大村崑 佐々十郎さんが来て「ミゼット」「ミゼット」と連呼した。
大村崑 佐々十郎さん ぶっつけ本番で出演していた。  

こういった番組が後のお笑い番組を作る時のエネルギーになっているし、時間の使い方などを含めて勉強になりました。  

僕がディレクターになった時に藤田まことさんを活用しなければいけないと思って、「びっくり捕物帖」の事件の中に入れたりしました。   その間に森光子さんが結婚して東京に行く問題が出てきます。  メインの女優さんが抜けてしまうという事で大変でした。 

VTRが入り始めて、編集ができないから収録だけで、そのためにみんな忙しくなって、新喜劇は昼間と夜の公演が終わってから、夜中から朝までやっていました。  だから体を壊してゆくわけです。  スタジオでゴロゴロ眠っていました。   VTRになってスケジュールを調整するためにVTRを使う事になったので、結局労働過剰ですね。

毎日放送がTVをやりだして、吉本新喜劇がどんどん視聴率を取り出しました。  「びっくり捕物帖」を抜くわけです。  視聴者の層が変わってきました。  商店街、子供たちは吉本を見ていました。   昭和35年5月に「びっくり捕物帖」は終了することになります。 森さんで支えられていたのが森さんが居なくなってしまって、そのあと忍者物などやりましたが、駄目でした。  アチャコのどっこい御用だという捕り物を香住春吾先生に書いてもらいました。   僕はアチャコさんには芝居というもののいろんなことを教えてもらいました。   後で劇場の演出をするんですが、その時は助かりました。

「スチャラカ社員」はサラリーマンのパロディー。   社長 ミヤコ蝶々、中田ダイマル・ラケット、藤田まことさん等が出演、人気コメディー番組になる。  高度成長期にずぼらな社員が登場。   ミヤコ蝶々と中田ダイマル・ラケットの両巨頭が出るという事は大変なことだった。  公開放送で12時15分から45分まででしたので、どんなことがあっても12時にはお客さんを入れました。  リハーサルは12時に終わるという事が絶対条件でした。 トラブル事が出来ないのできつくならざるを得なかった。    金語楼さんを或る時ゲストに呼んだが、話の内容でゲストがきっかけをつけるようなことはおかしいといわれて、ゲストは言われて答えてストーリーが、セリフが出てくるべきだといわれて、そうでないとゲストに失礼だという事を言われて、そういう考え方があるんだと知りました。  

藤田まことがめちゃくちゃ売れてきて、他の局にも参加するわけです。   裏番組に入れるという話が入ってきて、裏番組にやらない様に動く。  昭和37年5月 「てなもんや三度笠」で藤田まことが主役としてスタートする。  あんかけの時次郎が藤田まことさん、珍念が白木みのるさんほか吉本の役者を使う事にする。  時次郎が「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」と締める。