アレキサンダー・ベネット(武道学者) ・私の武士道研究30年
ベネットさんが武道に引き付けられたのは、17歳の時交換留学生として千葉県の高校で初めて知った剣道の体験でした。 その後武士道の研究に取り組みいまや日本を代表する武道学者の一人です。 剣道、薙刀、居合道、銃剣道のほか古武道の実践と研究にも長く取り組んで来られました。
京都大学で「武士道の定義と追及」というテーマで、博士号を取得。 ニュージーランドの大学でも博士号を取得。(剣道に関する内容) 初めて武道を経験したのは高校性の時でしたが、厳しい世界で正直あまり好きではありませんでした。 ニュージーランドではいろんなスポーツをやっていました。 1987年に交換留学生として来日し千葉市立稲毛高校に1年間留学しましたが、剣道は初めてで見た時にはびっくりしました。 入部したが、やることが同じことの繰り返しでした。 1週間で飽きてしまって、やめようとしたが、先生からはやめさせてもらえず、又やり始めたんですが、やればやるほどはまってしまいました。
武道から学ぶ事は、自分の人間としての弱点とか、どういうところを直していけばいいのかとか、手掛かりが多いんです。 人生の哲学を与えてくれるような、そういうところにやってゆくうちに気づいていきました。 武道の言葉に心の付く言葉が多いです、平常心、不動心、とか、身体を使っているが心と体を同時に鍛えていることがやっているうちに気づく点が多いわけです。 剣道教士七段で、今はいろんなものを含めて31,2段ぐらいになっています。 明治以前のものを古武道、明治以降のものを現代武道と言います。(柔道、空手など) 古武道には〇〇流と言って流派があります。
剣道教士七段、なぎなた五段、居合道五段、銃剣道錬士六段、短剣道錬士六段を取得し、天道流、鹿島神傳直心影流をやっています。 新渡戸稲造の「武士道」の本は相当影響を受けました。 新渡戸稲造は盛岡藩士新渡戸十次郎の三男として生まれ、英語を勉強して札幌農学校に二期生として16歳の時に入りました。 内村鑑三らとは同級生だった。 クラークの影響でクリスチャンになって、卒業後東京大学に行くが中退して、アメリカに行きジョンズ・ホプキンズ大学に入りました。 その後ドイツに留学、尊敬する教授とで宗教教育の話になるが、日本の教育には宗教教育はなかった。 道徳心をどう教えているかを問われて、これは武士道ではないかと気が付く。 「武士道」を英語で出版する。 その数年後ロシアと戦争するが、誰もロシアに勝つとは思っていなかった。 日本人の強さの秘訣は何だろうと、いう事になり、新渡戸稲造の「武士道」に書かれているのではないかという事でベストセラーになる。 セオドア・ルーズベルト大統領らに大きな感銘を与えた。 1899年に英語で出されて、日本語で出されたのは1908年でした。
剣道をやり始めて判らないことが多く、哲学的なところまで勉強しないといけないと思いました。 剣道から日本思想史、日本史、に興味を持つようになりました。 18歳の時に一旦ニュージーランドに帰って道場を作ってしまいました。 最初3人でしたが、1,2か月経つと20人ぐらいに増えました。 初段で教える事の経験もなく、いろいろ質問もあったりして、もっと勉強しないといけないと思いました。 世界剣道選手権に出場、第五回世界なぎなた選手権大会男子個人部準優勝などしました。 「剣道ワールド」という雑誌も作り20年ぐらい経ちました。
剣道で学んだことは、日常生活に十分応用できるという事で、好きな言葉に「残心」という言葉がありますが、例えば竹刀が当たってそのあとの心構え、身構え、が凄く大切です。 慎重に登山して頂上を極め下山しますが、下山時の事故が多いのは「残心」がないからだと思います。 一本を決めてガッツポーズをとるのは「残心」がないから、又それが相手に対して非常に失礼なことだという事になります。 剣道の相手は敵ではなく、剣道の道を行く協力者なんです。 「打って反省、打たれて感謝」という言葉があります。 打っても、もっともっと良くなるように反省をする。 それは打った相手がいるからできる事。 打たれたことはどこか弱点があるからで、相手がその弱点を打ってくれたことにより教えてくれた、常にお互いが学び合っているという事です。 相手に対して感謝を思わなくてはいけない。 稽古をする前と稽古の後には「お願いします」「ありがとうございます」という心を込めて礼をするわけです。
「葉隠」も世界的に有名な本です。 肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめたものです。 その中で有名な言葉が「武士道とは死ぬことと見つけたり」というものがあります。 過激に聞こえるところはあるが、文脈をしっかり読むといっていることが違うんです。 死ねという事を言っていない。 「葉隠」を武道家という立場から英訳してほしいとの依頼があり、英訳し始めたがどうも納得できなくて、夢に山本常朝が夢に出てなんだこの英訳はと怒られました。 翻訳ではなく話を聞いてそれを書くという風にやり方を変えると、山本常朝は優しい人だと判りました。 「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのは、生きる事とはどれだけ素晴らしいことか、無駄にしてはいけない、だから必死に生きろ、という事です。 勘違いされている本だと思います。 今をどのくらい大切にしているか、やっている剣道にも共通しています。 決めたら「全心」で打つことで「残心」が自然に湧いてくる。 武道の良さは普遍的な価値がいっぱいあるからいいんです。 武道は世界遺産だと思っています。