2021年10月26日火曜日

岸本力(声楽家)            ・哀愁のロシアの歌を歌って50年

 岸本力(声楽家)            ・哀愁のロシアの歌を歌って50年

1947年大阪府生まれ、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業し、大学院を終了しました。    1972年にプロデビューをした後、ロシアの民謡や歌曲を歌い続けてきました。  第41回日本音楽コンクール第一位や第5回チャイコフスキー国際コンクール最優秀歌唱賞など数々の受賞歴があります。  

9月末に東京都内のホールでコンサートを行いました。  二期会のロシア歌曲研究会のコンサート。  半年ぶりの演奏会でした。 「地上はすべて闇に覆われている」「さようなら」2曲歌わせてもらいました。  宮原卓也さんを追悼する会でもありました。  宮原先生はロシア歌曲、特に声楽曲を広めた方で、日本における先駆者です。 去年の12月30日に亡くなりました。  

子供のころから高い声が出なかったので歌は嫌いでした。   父が大工でして、男同士が酒を飲みかわす、男の仕事に憧れました。  ダムの建築士になりたかったが、理数系が苦手なので諦めました。  高校のハンドボール部に入って、掛け声が大きくていいと校長先生から言われました。   音楽の先生から歌をやらないかと言われて始めました。  ピアノは弾けないし、3年の4月から猛勉強しました。  2浪して東京芸術大学音楽学部声楽科に入りました。  回りは凄くて落ち込んで1年の終わりごろには大学はやめようと思いました。   日本人はバリトン、テノールが多くて私のようなバスは少なかったです。  大阪に帰って母親がやっている農家で歌を歌って一緒に土を耕していたときに、労働歌、ロシア民謡にぴったりだと思って、駄目元だと思って復学しました。  ロシア民謡からチャイコフスキーをやったりしました。  当時は芸大では誰もやっていませんでした。  

卒業後小野光子先生に師事しました。  大学時代にはロシア語はマンツーマンで教えてもらってラッキーでした。  小野光子先生の母親は関 鑑子さんで「歌声運動」で有名な方です。   小野光子先生はロシア音楽の歌曲の先駆者です。  「ロシアの歌だけではだめ、風土、政治、国民性、ロシア人の性格、歴史を知らなければ、本当のロシアは歌えないよ」と言われました。

1972年 第41回日本音楽コンクールで優勝。  「ボリスの死」という歌を歌いました。ムソルグスキーの傑作です。  その時にアクションを加えて25人の審査員全員が1位にしてくれました。   1974年 第5回 チャイコフスキー国際コンクールで最優秀歌唱賞受賞。  日本民謡「五木の子守歌」、「ボリスの死」などを歌いました。  1976年文化庁派遣芸術家在来研修員としてイタリア、オーストリアへ留学。  基本の声を出すことに非常に勉強になりました。  オペラにも沢山出演しました。  

*「疲れた太陽」の中から「鶴」   歌:岸本力  戦場で友達が死んでしまって鶴となって天国に行ってるんだろうなあという悲しみの歌。  原語で歌っています。

ロシアの音楽の特徴は弱拍部から出て来る。  弱拍部に人間の憂い、哀しさを感じる。

日本では明るく歌われているが、「トロイカ」は失恋の歌で哀しい歌だよ、、という事です。   

20012年 メドベージェフ大統領より、プーシキン・メダル(ロシアの文化勲章)を授与される。   突然電話があり吃驚しました。  

二期会のロシア歌曲研究会 地道に勉強しています。   若い人ではロシア漬けになる人はなかなかいないです。  ロシア語では歌ってるが、ロシアの心、魂を歌っていないとよく言います。  1991年ソ連が崩壊してそれから変わりました。  崩壊前はレベルが高かったが、崩壊後は優秀な人が海外に出て行ってしまいました。  ゲルギエフという指揮者が出てきて今もう一度復活させています。  プーシキンとエセーニンについて11月にリサイタルを予定しています。