樋口強(作家・落語家) ・笑いは楽しい抗がん
1952年兵庫県姫路市生まれ。 43歳の時に悪性の肺がんが見つかり、手術と厳しい抗癌剤の治療をうけ日々の暮らしを取り戻しました。 2001年からは生きていることの喜びを伝えようと、いのちの落語会を開いています。
最近はがんの治療、経過観察とかはやっていません。 1996年、43歳の時にがんが見つかりました。 癌は肺小細胞癌であり、当時は治療が困難で、3年生存率は5パーセント、5年生存率になると数字がないとまで言われていた。 8時間を超える大手術になり、9か月の入院生活になりました。 治療の後遺症がたくさん残りました。 それを抱えて生きてこれました。 肺小細胞癌は増殖するスピードが早いんです。 抗癌剤の治療が非常につらいわけです。 後遺症で感覚神経がほとんどなくなってしまいました。 頭の先から足の先までしびれてしまっていて、感覚がないんです。 てんかんも起きてきて、或る時突然意識がなくなって倒れるんです。 何回もあり救急車で運ばれた時もあります。 腎臓機能が大きく悪化しまして、人工透析の一歩手前で20数年生きてきました。 最近日常生活でつらいのが緑内障で、目の視野がだんだんと狭くなっていって、見ずらくなっている状況です。 これらは治ることのない病気ですが、命と引き換えのお土産かなと思って心の折り合いをつけています。
43歳は働き盛りでしたが、一瞬にしてできなくなり、一番思ったのは仕事をしたいという事でした。 病室で寝ているときに落語が聞こえてくるんです。 志ん生さんの火炎太鼓が好きでそれで落語を始めました。 笑うとあれほど苦しい治療がスーッと気持ちが落ち着いたんです。 こんな時にこそ笑いというものが必要なんだという事に気が付いたんです。 小学校の1,2年生のころから、父が落語が好きで寄席に連れて行ってくれました。 大学時代は落語研究会に入りました。 退院して会社に復帰して、落語の会を開こうと思いました。 2001年、がんに出あって5年後ですが、5年生きるのは大きな目標でした。 妻の提案で「一つの通過点の記念として、落語会を開いて皆さんお呼びしたらどう」という事を言ってくれました。 それは良いと思って一回きりのつもりでやりましたが、来た方々が来年もやろうよと言ってくれました。 それが続いて恒例となりました。 「いのちの落語独演会」として、生きる希望と勇気を笑いに乗せて伝える創作落語というコンセプトで、実際に癌になった過程を笑いに変えて伝えてゆくというところをしっかり大事にしていこうと思っています。 お呼びするのは、癌になった人とご家族の方だけという事になっています。 家族にしかわからないつらさもあります。 ご招待として入場料は頂きません。 来年又ここでお会いしましょうという意味合いで、1年に一回の開催にしています。
「いのちの落語独演会」の一部を紹介。
「いのちの落語独演会」は19回過ぎました。 毎年新しい落語を作ってきました。 落語会は2部構成になっていて1部は私の落語、2部は参加された方が主役で、自分が今思っていることを自分に語りかける独り言、といことで1分の時間で行います。 最後は三本締めを行いますが、一本目は「今日の命と家族へのエールを込めて」、二本目は「会場の仲間へのエールを込めて」、三本目は「変わらぬ明日への願いを込めて」という事で行います。
「あなたの声」、という事で書いてもらっています。 「毎年今日のこの日が私の命の更新日です。 又一年更新できました。」 「癌になって初めて夫が笑いました。 来てよかった。 本当に来てよかった。」 「樋口さんのお話、笑っているのに一緒に涙が出て止まりません。」 「決意の三本締め、気合が入りました。 また来年も必ず来ます。」
去年、今年と開催できませんでした。 マスク無しで大声で笑いたい、その時が来るまで待とうというつもりでいます。 「待てないんです」、という手紙もいただきましたがつらいんです。
参加される人にどういう言葉でお迎えするか、いろいろ考えたんですが、「お変わりありませんか」という言葉でお迎えすることにしました。 癌患者とは言わないで、癌の人、あるいは癌の仲間というようにしています。 「頑張って」という事も言わないようにしています、すでに頑張っているんです。 11冊目として「魂の叫び」という本を出版しました。 来年70歳、自分では想像できなかった年齢であります。 20回目の「いのちの落語独演会」の幕を何とか開けたいと思っています。 新しい出会い、自分の人生がどんな新しい景色が見られるのか、「ありがとう」という言葉に向かって生きて行きたいと思っています。