清水浩(慶應義塾大学名誉教) ・電気自動車への見果てぬ夢
1947年仙台市生まれ。 40年に渡ってEV(電気自動車)の開発を続けてきました。 いままでにつくった試作車は15台、まだ商品化されたものは有りませんが、確実にEV(電気自動車)の時代に向かっていると感じているそうです。 EV開発の歩みと開発にかける思いを伺いました。
社会が要求するようになったという事とそれに対応できる技術が成長してきたという事が大きなポイントだと思っています。 日本は2035年を目標に新車販売のすべてをハイブリッドを含む電動車にする方針で、EUは2035年にはハイブリッドも含めてガソリン車の新車販売を事実上禁止するという事で、ドイツで世界最初にガソリン車を販売した会社が2030年には新車は全部EV(電気自動車)にすると、加速が凄いです。
40年前に始めった時には5年もすればEVの時代が来るという思いでしたが、すでに40年経ってしまいました。 2004年には高性能の試作車エリーカを、NHKスペシャルでも今年10月に世界最速への挑戦、スーパーEV誕生というタイトルで放送。 最高時速370km/hと当時の世界最速を出しました。 重要な要素技術としてリチュウムイオン電池が発明されて実用に使えるようになったこと、ネオラジュウム鉄ホウ素磁石が発明されて実用に使えるようになったこと、(モーターに使った時に小型化、効率化できる磁石)。 車輪の中にモーターを入れる、「イン ホイールモーター」、床下に強いフレーム構造を作ってその中にすべての電池を入れてしまうという考え方、こういったことをすると、電気自動車らしい機能と性能を持ってくれるという事です。
「イン ホイールモーター」では消費エネルギーが少なくなる。 車体の上の空間が広く使える。 すべての車輪が加速減速を独立に行う事が出来るので厳しいカーブ、滑りやすい雪道での加速減速が安全に出来るようになる。 そういう利点があるので開発してきました。 電動車椅子、電動自転車では使われています。 一般の自動車ではまだ自動車メーカーがそういう気持ちになってくれていないというのが現実です。 テスラが2008年に商品化しました。 2009年に大学初ベンチャーという事で会社を立ち上げ。 テスラのようにならなかったのは一言で言うと開発資金だと思います。 私たちは約10億円で作ることができました。 試作車から商品にするためには信頼性、耐久性、生産性というものすべてを満足しなければいけない。 そのためには100~200億円がかかってしまう。 工場を作るとなるとさらに大きなお金がかかってしまう。 日本の国内での調達が難しかった。
信頼性のテストをして改良してという事が延々と続くわけです。 衝突試験などにも大きな費用が掛かります。 世界のあらゆるところで走って問題がないかどうかやらなければいけない。 あらゆるテストをして商品として問題がないかどうか証明しなくてはいけない。 国内でも堀江貴文さんが投資をしたいという話もありましたっが、いろいろ事件があって実らなかった。
小さい時から車を見るのが好きでした。 大学も工学部を受験しました。 東北大学の応用物理に入りました。 交通戦争と言われ年間1万6000人の方が亡くなられていたので、車の道へは悩んで、基礎的なことを学んでおけば新しい機械が作れるのではと考えました。 大気汚染の測定のためのレーザーレーダーの開発をしていました。 国立環境研究所に就職しました。 筑波から東京上空まで測定できるレーザーレーダーを作るのが目標で3,4年かかって装置を作り上げました。 (当時世界最大) レーザーのパワーよりも反射光を受ける望遠鏡の大きさ(当時の常識は直径50cm→1.5m 面積で10倍)で達成。 電気自動車でも電池のエネルギーよりも走る時のエネルギーを出来るだけ小さくすれば、電池のエネルギーを大きくしなくてもいいという考え方です。 それが「イン ホイールモーター」という考え方です。 エネルギーを極小にするという考え方です。
車が好きで、大気汚染についてやってきて、そこから電気自動車への道へ進みました。 エリーカは私にとって8台目の電気自動車となります。 メーカーでも電気自動車の開発はしていましたが、細々とやっていました。 実用化できる考えの人は皆無でした。 2台目は2輪車に「イン ホイールモーター」を取り入れました。 1997年慶応大学に移る。 商品化を目指すために高級な電気自動車を想定しました。 8輪車8輪駆動を考える。 皇室で使っていただくことを想定して、カズを作りました。 検討していただいたが、豪華な商品は使う習慣がないという事で実用化はあきらめざるを得ませんでした。 カズがエリーカ(5人乗り)に繋がりました。 2000年からは自移動運転の研究も始めました。 その後も試作車を作り続け、大型バスも作りました。 その後高級車から普通のタイプの車を作っていきました。
2013年に今の会社を立ち上げました。 中心にやっているのは「イン ホイールモーター」をさらに進化させようという事です。 今は第4世代の「イン ホイールモーター」の開発鵜を続けています。 モーターの中にインバーターも組み込むことも考えています。電気自動車特有のプラットホーム(サービスやシステム、ソフトウェアを提供・カスタマイズ・運営するために必要な「共通の土台(基盤)となる標準環境」)に発展させようと考えています。
車が電気自動車になるという事は車が世界中の人にとってより身近なものになる。 車のサイズが小さくなっていって、一人乗りの車が主流になるという事も考えています。 私が考えた電気自動車が社会で受け入れられたなと思えるときが私の人生の始まった時だと思っています。 中国で作られる7%が電気自動車です。(200万台) 日本で作られる電気自動車は0.2%です。 買いたいなあという電気自動車が生まれてきた時に携帯電話の進化と同じような広がり方をするのではないかと思います。 例えば飛行機のビジネスクラスのカプセルに車が付いて走るようなイメージです。 自分では非常にいいテーマに巡り合ったと思っています。