山崎夏生(元プロ野球審判員) ・審判員は"縁の下の力持ち"
1955年新潟県上越市生まれ。 子供のころから野球が大好きでプロ野球選手を目指しましたが、実力を悟り断念したという事です。 大学卒業後スポーツ新聞社に就職、紆余曲折を経てプロ野球の審判員の世界に飛び込みました。 1982年パリーグ審判員として採用され以後29年間で一軍公式戦1451試合に出場しました。 2010年に現役を引退した後は日本野球機構NPBの審判技術員として、後進の指導に当たりました。 現在は審判応援団長を名乗り、審判の権威向上に努め講演や執筆活動を行っています。 審判は黒子ではなく試合を構成する重要な存在だと言います。
プロ野球は今まで85年の歴史があり、選手、審判ひっくるめて1万人以上います。 そのなかで10年間在籍するともらえるバッチです。 2582番になっています。 これで公式戦、オールスター戦など全部見られます。 いい試合をするためにはいい審判が必要です。 審判応援団長と勝手につけました。 コロナ禍で講演など今は活動が狭められています。 資格研修を受けて今はプロ野球以外の審判を全部やっています。
現役審判は53人います。 2軍は3人制審判、1軍は4人制審判になっています。 40年以上前に入りましたが、当時は元プロ野球選手が多かったです。 2010年までセ・パリーグで審判は分かれていました。 仲が良くなかったですね。 統合した当時はしっくりいかなかったです。 2013年12月から審判学校方式が設立され、応募が130~170人あり、60人ぐらいに絞りこみます。 1週間ホテルに缶詰めになりびっしりやります。 最終日にテストを行って4~6人一次候補が残ります。 残った人達を春のキャンプに連れて行って5日間ぐらい最終試験を行って3~4人に絞り込みます。 B,Cリーグに派遣されて、1~2年実戦形式で研修を積んでもらって、秋のフェニックスリーグでNBPの若手審判と3週間、18試合に参加して、育成審判を通して採用されるのが2.3人です。
野球が好きで、中学、高校、大学と部活動して、プロ野球の選手になりたかった。 北海道大学の3年生の時にプロ野球の選手は断念しました。 日刊スポーツを受けて入れました。 残念ながら販売局の営業マンでした。 1981年の日本シリーズを見ていて初めて審判の存在に気づきました。 審判としてならばプロ野球の現場に入っていけるのではないかと思いました。 公募もなくてパリーグ審判会長のところに直談判に行きました。 門前払いされました。 翌日会社に辞職願を出して退路を断ちました。 2か月間死に物狂いでトレーニングをして、基本動作を教えてもらって、ルールブックも250ページ丸暗記しました。 翌年又パリーグ審判会長のところにいきました。 決め手になったのは情熱だと思いました。 テスト生としてキャンプに連れて行ってもらう約束を取り付けました。 1か月間やりましたが、初日で愕然としました。 球速が早くてボールがよく見えませんでした。 でもテスト生として採用してもらいました。 年俸160万円でサラリーマン時代と比べて激減、半分以下でした。 27歳で、結婚していて子供もいて厳しかったです。 シーズンオフは朝から夜の12時まで掛け持ちでアルバイトをしました。 10年間やりましたが、妻にも働いてもらいました。
審判も1年契約で力なきものは去れ、というような感じで、厳しかったです。 55歳が定年ですが、そこまで行く人は半分ぐらいです。 1軍に上がるまで8年かかりました。オールスター戦には3回、日本本シリーズは未経験です。 公式戦は1451試合。 選手と同じでミスジャッジが続いたりすると2軍に落とされます。 首になる人もいます。 自分自身に情けなくて何度も夜に布団をかぶって泣いたこともあります。 17回退場宣告していますが、そのうちの15回は自分のほうに非がありました。
審判として見ていたなかでプロ1年目から松坂選手と清原選手は飛び抜けていました。 当時のオリックスの野田投手が19三振取った時がありますが、(当時の日本記録)すごく印象に残っています。 同い年で1年後輩の山本 隆造君という非常に優秀な審判がいました。 元プロ野球選手でパリーグを代表する審判でしたが、残念ながら56歳でガンで逝ってしまいました。
昔は徒弟制度みたいな感じで師匠が居て、沖 克已さんには8年間ものすごくお世話になりました。 命日にはお墓参りに行っています。 アクションジャッジで有名な露崎 元弥さん、三浦 真一郎さんも堂々としていました。 「俺がルールブックだ」といった二出川 延明さん等も居ました。
1993年アメリカの審判学校に行きました。 校長の言葉が印象に残りました。 「審判にとって何が一番大切か、それは尊敬される人間だ」という言葉でした。 「人間は神様ではないから99点までしか取れない、欠ける1点を補うのは選手からも監督からもファンからも信頼され、尊敬される人間性である」と、非常に心に残りました。 自分でも追い求めて行こうと思いました。
「プロ野球審判ジャッジの舞台裏」、「全球入魂プロ野球審判の真実」2冊出版しています。 書くことは好きで19歳から日記を書き始めてずーっと今でも書き続けています。 今の子どもは野球をやろうとするとチームにはいらないといけない、技術の向上、勝つことなどを求めてしまうので、野球の上手な人を優遇するようになってしまう、子供のころは野球の楽しさを知ってほしいと思います。