頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】鴨長明の方丈記
「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたはかつ消え、かつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。 世の中にある人と栖(すみか)と又かくのごとし。」 方丈記 鴨長明
方丈記は隠者文学ともいわれています。 鴨長明は50歳の春に世を捨ててその後山にこもったと言われています。 晩年の鴨長明は小さな庵で暮らしていて、その庵が一辺が約3mの正方形で、方形の一畳の庵だから方丈でそこで書いたから「方丈記」です。 鴨長明は小さいころに住んでいた家に1/100にも及ばないと言っています。 父親は下鴨神社の神事を統率する禰宜(最高位)の鴨長継で、当時の下賀茂神社は大変な勢力があり、財産が豊かだった。 鴨長明は平安時代の末から鎌倉時代の初めの人。 1155年生まれ(推定)
*「ゆく河の流れは絶えずしかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたはかつ消え、かつつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。 世の中にある人と栖(すみか)と又かくのごとし。」 は方丈記の冒頭部分、無常感が漂っている。
*「濁悪世(じょくあくせ)にしも生まれあひて、かゝる心うきわざなん見侍(はべ)りし。」 方丈記 鴨長明
(酷い時代に生まれてしまって、このような辛いことまで目にすることになった。) 鴨長明が生きた時代は源平合戦だけではなく、天変地異が沢山起きた。 五大災厄が方丈記にはすべて書かれている。 ①1177年の大火事で都の1/3が火に飲まれた。 ②1180年4月 酷い竜巻 ③同年6月 福原遷都(人災 京都が荒れ果てる) ④1181年大飢饉(干ばつ、洪水で多くの人が飢えて亡くなる。 伝染病の蔓延) ④1185年 大地震(文治地震)
大地震についての記載
*「そのさまその世の常ならず、山は崩れて河を埋み海は傾きて陸地(ろくぢ)をひたせり土さけて、水わきいで、巌(いわお)われて谷にまろびいる。・・・地の動き、家の破るゝ音、雷(いかづち)にことならず。 家のうちにをれば、忽ちにひしげなんとす。 走り出づれば、また地われさく。・・・恐れの中に、恐るべかりけるは、唯地震なりけりとこそ覚え侍りしか。」方丈記 鴨長明
(・・・山崩れて川を埋め、海からは津波が押し寄せてきて、地面が割れて水が噴き出す。・・・ 地面が揺れて家が倒壊する雷のような音がする。 家の中にいれば押しつぶされるようになるし、外に出たら地面が裂ける。・・・ 恐ろしい中でも最も恐ろしいのが地震でである。)
飢餓についての記載
*「いとあはれなる事も侍りき。 さりがたき妻、をとこもちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。 その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食物をも、かれに譲るによりてなり。 されば、親子あるものは定まれる事にて、親ぞ先立ちける。」
(愛する妻や夫がある人は先に死んでゆく。 その理由は極々まれに食べ物が手に入った時に、愛する相手に譲ってしまうから。 親子の場合は親が先に死ぬ。)
「火垂るの墓」を書いた作家 野坂昭如の文章の一部
「飢えた時の人間の姿というっものは筆舌に尽くしがたい。 食いものがなくなると人間が人間でなくなってしまう。 僕はそういう地獄図を何度も見てきた。 親子であっても握り飯一つ挟んで、本当に殺し合いをする。」
どちらも本当だと思う、人間には両面がある。 同じ人間でも時と場合によって両方の行動をとってしまう場合がある。 極限状態に陥ると人間どんな行動をとるのかわからない。
*「不知、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。 又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。」 方丈記 鴨長明
(生まれたり死んだりする人はどこからきてどこへ去ってゆくのかわからない。 又家のことでどうしてこんなに心を悩まし、見栄えを気にしたりするのかわからない。) この言葉は夏目漱石が正岡子規への手紙で引用している言葉です。 夏目漱石は若いころ方丈記を英訳している。
鴨長明が18歳の時に父親を亡くして後ろ盾をなくしてしまう。 跡目争いに負けてしまう。 結婚するが妻子とも別れて鴨川のほとりで暮らすが、屋敷はそれまでの1/10になってしまう。 47歳の時に新古今和歌集の選人に抜擢される。 河合神社の神官の話があるが、横やりがあり果たされず失踪してしまう。 世捨て人となる。
*「はなくちより水はいりてせめしほどの苦しみはたとい地獄の苦しみなりともさばかりこそはとおぼえはべりしか しかるを人を水をやすきことと思えるは、いまだ水の人殺すさまを知らぬなり」 発心集 鴨長明
蓮華城が入水して亡くなる。 周りの人が見に来て立派な坊さんだとほめたたえる。 ところが数日して幽霊が出る。 あなたに止めてほしかったが止めてくれませんでした。 悔しくて仕方ありません。 そんなふうに言うんです。 元気な時の判断と死を前にした判断て違ってくると思うんです。 胃ろうになって死んだほうがましだと思うようになるが、いざそうなってみると生きたい方が多いんです。
(鼻や口から水が入って来る苦しみは地獄の苦しみでもそれほどではないだろう。 入水して死ぬことは簡単だと思っているのは、水の本当の怖さを知らない)
*「すべてあられぬ世を念じ過ぐしつゝ、心を悩ませる事、三十余年也。 其間、折々のたがひめ、おのづから短き運をさとりぬ。 すなはち、五十の春を迎へて、家を出て、世をそむけり。」 方丈記 鴨長明
50歳の春に鴨長明は出家してしまう。 鴨長明は神道であったのに晩年出家(仏教)してしまう。 方丈記を書いたのは58歳の時でした。
*「 ことさらに無言をせざれども、獨り居れば口業ををさめつべし。 必ず禁戒を守るとしもなくと、境界なれば何につけてかやぶらん。」 方丈記 鴨長明
無言の行はとっても難しいです。
*「かむなは小さき貝を好む。 これ事知れるによりてなり。 みさごは荒磯にる。 すなわち人を恐るるが故なり。 我またかくの如し。 事を知り世を知れれば、願はず、わしらず。 たゞしづかなるなるを望みとし、愁へなきを楽しみとす。」 (ヤドカリは小さな貝。 自分の身の丈が判っている。 ミサゴ(鳥) 荒波が打ち寄せる岩ばかりの海岸に住んでいる。 人を恐れる。 私もまったく同じ、自分を知り世の中を知ったら何かを願い事はないし、人に交わりたくもない。 ただ静かに暮らすことだけが望みで憂いがないことが楽しみ。) 方丈記 鴨長明
*※確認は、岩波文庫、「方丈記」市古貞次 校注 による。