田村佳子(英語塾講師) ・横浜英連邦墓地に見る平和の願い
47年前の10月横浜に引っ越して間もない田村さんは、散歩がてらに近所の森を訪れました。 森の中は芝生か広がりバラの花が咲く空間、そこは広大な英連邦墓地だったのです。 この英連邦墓地に眠る英連邦捕虜は1700人余り、墓碑銘を見るとその多くが20代の若者でした。 なぜこんなに多くの若者がここに眠っているのか、戦後生まれの田村さんはこの疑問をきっかけに墓に眠る若者たちの経緯を調べ、海外から訪れる元捕虜や遺族との交流を重ねてきました。
第二次世界大戦で日本で亡くなった英連邦の兵士たちのお墓です。 シンガポール、ジャワなどで英連邦軍、アメリカ軍、オランダ軍などを捕虜にします。 船で日本に連れて行きます。 日本の若者は戦争で行ってしまうので補充するという意味合いもあったようです。 捕虜収容所は日本には130か所あったんですが、炭鉱、造船所、工場、鉄道の荷物の上げ下ろしをする人などがいました。 病気やけがで亡くなった人たちを埋葬したものです。 アメリカ軍、オランダ軍は遺骨を本国に持って帰りますが、英連邦軍は第一次世界大戦の時にあまりにも死者が多いので、戦地にお墓を作って埋葬するという法律が決まって、第二次世界大戦の戦死者もそれに則って戦場だったところに埋葬しています。 日本では横浜にある墓地が唯一の墓地です。
初めて墓地に踏み入れた時には全く予備知識がなかったのでびっくりして何の墓地だろうと思いました。 翌日にも行ったら事務所でいろいろな資料を見せてもらいました。 次回、イギリスから何人か来るのであってもらえないかとの話がありました。 今度エリザベス女王が訪日されるので,BBCがそれのための取材をしているのでインタビューさせてほしいとのことでした。 墓地の印象などを伝えました。 その後墓地に来る戦争未亡人、捕虜体験の方と交流が積み重なっていきました。 戦争の歴史、捕虜の歴史など全く知らないまま、その人たちに会って、彼らの考え、どんな生活をしてきったのかなど直接うかがう事が出来ました。
墓地の管理人を介して笹本妙子さんに会う事になりました。 二人でPOW(Prisoner of war)戦争捕虜研究会を立ち上げる。 130か所ぐらいあったので地方地方で細々と研究している人たちがいるという事が判って、2002年に立ち上げました。 日本の書類はほとんど焼却されていて、アメリカの公文書館などに沢山ありました。 当初30万人ぐらいが捕虜になっていて、なかには捕虜輸送船で日本に送られる人たちがいて、中途で爆撃に遭い沈没する船もありました。 日本に送られた人たちは炭鉱、造船所、工場、鉄道の荷物の上げ下ろしなどで働かされました。
最初遺族とか友人とかとの方々と会う時にはどういったらいいのかわからなかったが、1980年代後半からすこしずつ許そうじゃないかと変わってきた方々がいました。 「昨日横にいた友達が今日は亡くなっている。 ただただ悲しい。 僕たちの青春を返してくれ」という人もいました。
イギリスが2年に一回戦争未亡人の墓参の旅がありました。 エレンバタワーズ?さんという方がご主人のお墓に来られました。(昭和62年) エレンさんとの文通が始まりました。 写真を送ってくれて、これが主人で、時々でいいからお墓の近くに咲いている野の花を供えてくれないかという事でした。 エレンさんが亡くなりましたというう事を娘さんから手紙が来ました。 結果的に二代に渡って文通することになりました。 父の墓に行きたいという事で娘ら5人と共にまず横浜の墓地へ、そして父の墓の函館まで一緒に行きました。 バラが用意されていて小さなバラの植樹式がありました。 今は150cmぐらいになって大輪のバラの花が30ぐらい咲かせているそうです。(植樹は14年前)
「恨みつらみはあるかもしれないが、お互いに平和について考えませんか、過去は修復できないが、子供世代、孫世代に向けて、平和についてお互いに話し合い努力することはできないでしょうか」、って言ったら「そうしましょう」と言ってくれる人は何人もいたので嬉しく思いました。
ブレア首相が来日して、ある機会がありブレア首相に声を掛けました。 墓地とのかかわりなどを一気に言いました。 「この墓地は平和について考えることが出来る大変重要な要素を持っている。」と言いました。 にっこり笑って写真を撮りましょうという事になりました。
オランダ国王のレセプションにも招待されました。 オランダの外務大臣からの連絡でした。 明日も来てほしいという事で行ったら、オランダ国王ご夫妻がが日本に来ていて、そのお別れのコンサートがありそれに招いてくださいました。 コンサートではお見掛けすることが出来なかったが、後程外務大臣と侍従長の案内で国王ご夫妻の前に伺う事が出来て、オランダ国王の新聞記事のことなどをお話ししました お妃から会わせたい人がいるという事で、連れられて行ったら、今の上皇ご夫妻が居てびっくりしました。 私の取り組みについてお妃が紹介されて、当時ご両人からお言葉を頂き、「歴史はとても大事です。 歴史を忘れてはいけません。」とおっしゃられました。
戦争は兵隊だけが戦って苦しむのではなくて、その家族も一般市民も巻き添えを受ける事になる。 肉体的にも精神的にも被害を受ける。 平和を守っていきたいと常に思っています。
「私は父の墓参に日本を2度訪れた。 それは平和と友情の橋を両国にかけたいとの思いの旅でもあった。 戦争は多くの破壊と損失をもたらす恐ろしいもの、もし人類がお互いに助け合っていきることを学ぶなら必ず平和と幸福は世界中に広がり、戦争は無くなるでしょう。 ・・・平和と友情の橋を架けるため、もし一人一人が小さな石を持ち寄るなら少しずつ憎しみの心は解けて平和が花開くでしょう。」