おおたわ史絵(医師) ・医師として受刑者たちにできること
東京都出身 57歳。 父は医師、母は元看護士、この二人の間に生まれ、自らも医師の道に進みました。 父から継いだ診療所を2017年に閉院して次の人生を模索中に、法務省からの誘いもあって2018年から受刑者たちの診療に携わり、矯正局の医師として仕事をしています。
法務省矯正局での仕事は刑務所とか少年院とかに収容されている人たちの医療を担当する医者という事です。 2018年からです。 刑務官が何時もぴったりついています。 怖い思いをしたことは一度もありません。 父親は広島出身で原爆で家をなくしたり財産も全部なくなり、兄弟も被爆したり、亡くなったり、いろんな経験をして死生観に関していろいろな思いがあったと思います。 そういったことから医師になろうとした動機だったと思います。 決して裕福な家庭ではなく、親戚なども私が医者になることを切望しているのが子供ながらに判りましたが、自分も医者に向いているのかなるべきなのかわからなかったが、医学部を受験することにしました。 今度生まれてきたら、いやだというわけではないが医者はやりません、別のことにチャレンジしてみたいという思いは有ります。
東京都葛飾区出身で、父は医師、母は元看護士です。 母は地方の山の中の出身で、子供の頃虫垂炎になってこじらして腹膜炎になってようやく町の病院に行って、手術を何回も繰り返して18歳ぐらいになるまで9回も手術をしました。
「母を捨てるということ」 2020年に出版しました。 母が亡くなってから5年経ってようやく書けた本です。 母が鎮痛剤を使うようになって、その後鎮痛剤依存症になって行く経過を辿るわけですが、私が中学生の頃にはそういう状態になっていて、その母のことは私が結婚しても母の薬物依存症という病との闘いはずーっと私の中で潜在的に続いて来た闘いで、それに対して思いを書いたものです。 編集者の人からの本にしませんかという誘いがありましたが、腰が引けました。 書けないと思ったが書き始めてみると、自分の心の整理が進んでいきました。 今ではこの形になったことを感謝しています。 言葉にするのに母が亡くなってから5年かかりました。 なんて言ったらいいかわかりませんが、母は嫌いは嫌いです、「嫌悪」という言葉が一番近いかもしれません。 自分にも同じようなところがあるからこそ嫌悪感があるんだと思います。 美談とかというものではなく、生易しいものではなく、愛情というようなもので乗り越えられるというような話ではないです。 向き合えずに逃げたりしましたが、家族なので逃げ切れない。 生きている限りは関わり続けざるを得ない問題です。
父は「お前の好きなようなことにチャレンジしなさい」というような人でした。 母は医者になってほしいという思いが強くありました。 母は薬物依存症ですが、薬局で普通に手に入るものではないんです。 父親からの注射液を得て打っていましたが、父が亡くなってしまうと困るので、娘である私が医者になっていてくれれば、私が供給源になるわけです。 薬物依存の人はどんなことをしても薬物を手に入れようとします。
東京女子医科大学医学部を卒業。 最近ニュースになりましたが、当時は男女の入試の格差などは極く当たり前でした。
『女医の花道!』、『続・女医の花道!』 学生、研修時代の話です。 30年前の話で懐かしく思います。 医者になるためには医学部の受験があり、毎年の試験があり、卒業試験、医師国家試験があり、合格して初めて医師となるが、専門医などのたくさんの資格があって、その後もいくつもの試験を受けてゆく事になります。 仕事しながらどんどん難しい試験があります。 その間母との確執の問題もありました。 医師もいろんな方向があり、研究職、機械を使ったテクニシャンへの道、精神科のように言葉で治療してゆく道、などいろんな道があります。 いろいろないい医者の形はあると思います。
2004年に父が亡くなりました。 開業医だったので夜中に飛んでいくこともありましたが、医者の仕事が好きでやっていたんだろうと思います。 倒れるまで医者の仕事をしていました。 身近にお手本があり、それがプレッシャーにはなりました。 父の後を継いで15年間やりました いろいろな出来事があり、思うような医療をするのが苦労するようになってしまいました。 悩んだ末に診療所を辞める事にしました。 法務省の方から声がかかりました。 見学に行ってそこから人生がシフトしていきました。 受刑者の多いのは窃盗と薬物です。 いくら頑張って警察が捕まえても医療と同時進行しなければ、再犯率は下げられないという事はテレビでさんざん私は話してきていたので、刑務所のなかで医療との両面でやって行ければ、もしかしたら何かが変わって行く可能性があるかもしれないと思い、即答しました。
今はできる事があって求められていることがあるので一生懸命やろうと思っていて、将来のことはあまり決めつけないほうがいいと思っています。 一生懸命やっているとおのずと行くべき道は必ず現れるようになっていて、開ける方に真剣に向かっていると悪くない人生になるような気がしています。 矯正の現場は自分がやってきた医師の仕事が一直線上につながるなと感じました。