2021年10月5日火曜日

白井晃(演出家・俳優)         ・引き際の美学

 白井晃(演出家・俳優)         ・引き際の美学

1957年京都府生まれ。  大学を卒業した後、広告代理店に就職、その後劇団遊◎機械/全自動シアター」を主宰し、2002年の劇団解散まで演出及び俳優として活動しました。   2014年KAAT 神奈川芸術劇場のアーティスティック・スーパーバイザー(芸術参与)に就任、2016年にはKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督となり、今年の3月に退任しました。 代表作に俳優としては「オケピ!」「三文オペラ」演出家としては「ビッグ・フィッシュ」「バリーターク」などの作品があります。  

2014年からKAAT 神奈川芸術劇場の芸術参与という事で2年間やってきまして、その後芸術監督としてやってきて、2021年3月の2年前に後任にバトンタッチするために指名させてもらって、やめる事になりました。  7年間は濃密な時間でした。  新しい血をどんどん入れてゆくべきだと思ってお伝えしました。   最終年にパンデミックがあったという事は非常に残念でした。  自分で描いていたプログラムのラインアップのすべてが出来なかったという事、自分自身の公演も二つ潰れて、中座してしまったという事は残念でした。  2019年度には過去最高にまで増えたという事は自分としてはホッとしているところです。 芸術監督というのは旗振り役なので、そこそこ面白いことが出来たのかなと思います。   劇場は人が集まってこそ価値があるものだという信念でやってきましたし、まずはプログラムを充実させてたくさんの人に来ていただくという事を目指しました。  

沢山のプログラムを作ることはお金もかかるし、マンパワーもかかる事なので7年間劇場の皆さんには苦労を掛けましたし、喧々諤々やっていました。   劇場として若いアーティストを育てていきたいという空気はあって、目星をつけて若い演出家などを決めて行きました。  僕も小劇場でやっていて、大きな劇場でやれるのかという不安はありましたが、結局こういったことは慣れなので、チャンスを与えるという事は大きな仕事だと思っています。  技術力が売りの劇場だったので、そういった意味では若手の方々にベテランと接触する中で、演出家は育ってゆくものですから、そういう事を目指してきた感じです。

若手を認めて引き入れるという事は勇気のいる事ですし、まだ負けてはいられないというような思いがあるなかで、苦しい作業でした。

「三文オペラ」は役者として出ました。  演出家と役者の立場と芸術監督と演出家を守る立場と二つが同居してしまって、面白い経験でもありました。   

演劇、作品、プロダクションという事だけでお客さんが興味を引いていただけるように、日本の演劇シーンがなっていってくれればと思いますが、それにはまだ時間がかかるかもしれません。  メディア的にネームバリューが高いという事ではなくて、演劇的にネームバリューが高いという、そういう方々で演劇に沢山お客さんが来てくださるような場所になって行けばいいなあと思います。   劇場文化は人が集まる広場として時間と場所を共有するという事が最大の特性だったのに、コロナ禍で時間と場所を共有するという事が出来ないという、本当に演劇とコロナの相性が悪かったと思います。  これから劇場というものがもう一度考えるいい機会にはなったと思います。    集まってなにかを共有する、その何か違うものが見つかってゆくかもしれない。   

劇場文化というものによって生かされてきたので、その面白さを今後の世代の人たちにもっと知ってもらいたい。  だから子供たちに思いっきり劇場の面白さを感じてほしいというのが大きなイメージとしてあります。