2021年10月3日日曜日

羽佐間道夫(声優・ナレーター)      ・【時代を創った声】

羽佐間道夫(声優・ナレーター)      ・【時代を創った声】

 羽佐間さんんは映画「ロッキー」のシルヴェスター・スタローンや歌手でコメディアンのディーン・マーティンなど多くの俳優の吹き替えを担当してきました。    今月で米寿(88歳)を迎える 羽佐間さんんですが、今も元気に活躍中です。  

コロナ禍の中オファーがあるんです。  番組のナレーションとか一人のものが多いんです。 録音も交流のない中でそれぞれ収録してゆくので、ほかの人との間がとれずフラストレーションがたまります。   相手が居ないので距離感が判らないし、顔が判らないから感情の起伏があらわせない。   

父が赴任したのが三池炭鉱で、採炭して出てきた人たちにスピーカーから朗読をして聞かせていました。   僕は小さいころからそれを聞かされていて、巣立ちの第一歩として持っていたのかなと思います。   中学在学中に演劇部へ入部し、児童文学賞をとられてた方が先生だったので芝居が好きで、その先生に芝居を教わりました。  高校でもはまって行って楽しいなあと思って、それがこの道に入ったきっかけだと思います。  その後、役者を志して舞台芸術学院に入学。卒業後は新協劇団(現・東京芸術座)に入団しました。  貧乏でアルバイトのしまくりでした。   いい俳優になりたい、でしかなかったです。   寄席の切符売りのアルバイトをしていたが、当時の売り場は顔が見えず壁に空いた手を出す穴だけで応対をしており、当時の客層から「女性の切符売りの方が評判がいい」と考え、女性のような高い声で応対をした。   後に「それが最初の声優の仕事かもしれない」と思いました。   新劇のそうそうたるメンバーに教わってきたがどうも身に付かない、判らない、或る時浄瑠璃の竹本越路太夫さんという人に巡り合って、その人のお弟子さんに浄瑠璃を教わって行って、「おまえか」というある部分があるが、その言い方について言われてそれがきっかけになって、いろんな人に教わってゆくんですが、凄く具体的に判って段々伝承芸能にはまってゆきました。   

文化放送に勤めていた幼馴染の岡田太郎さんからラジオドラマをやってみないかと誘われました。  周りはベテランばかりでやっていられない、というような中でとにかく通って耳で盗んでゆくような作業でした。  ラジオ出演がきっかけで吹き替えの仕事が来るようになりました。 最初はヒッチコック劇場でした。  吹き替えをする声優の人口は凄くすくなかった。  300人ぐらいしかいなかったのですごく忙しかった。  劇団からは白い目

で見られました。舞台俳優になっていたらどこまで行けたのかなという思いはありました。   

シルヴェスター・スタローンはこんなに苦しんだ俳優はいません。  何故かというと僕のボイスカラーにない人なんです。  僕がハリウッドの俳優の吹き替えを275人やっているというんです。  それに違和感がないのはどういうわけですかと言われるが、僕の声は個性のない声なんでしょうね。   本当にみんなその人だと思ってしまうんです。 雰囲気を早くキャッチして出す。   一人づつ呼吸は違うので呼吸は大事です。  

ナレーションは物事を客観的に伝えてゆく作業で、絵は向こうに出来ていて、向こうの人物の前にせりふを終らせなければいけないので、10秒なら10秒で終わらせる技術を持っていなくてはいけない。   客観的な情景をしゃべるのがほとんどなので、多少主張するためにはオーバーに言った方がいい場合もあります。    

声優として大切なことはいっぱいありますが、究極的にはその人のフィロソフィー、考え方、自分がどうやって生きてゆくか、という事を常に心に思っている。   絵を最近よく見に行きますが、絵はちゃんと心に訴えてくるものと、どうしてかというようなものがありますが、感性の中に叩き込んでゆくという作業は我々はしなければいけない。  感動、感情を表現できないと駄目ですね。  心に持っているものそれは大切だと思います。   若い人にはできれば苦しいことをどんどん味わってゆくのが 唯一俳優として育てる道だと思います。  自分がうまいなあと思っては駄目、思った時には止まるんです。  

主にチャップリンの無声映画を台にして、そこにセリフを自由に、間だけが一緒になればいい

から、舞台の上で恥をかくなら舞台の上でという事で始めた「口演」です。