辺泥敏弘(アイヌの伝統楽器「トンコリ」製作・演奏者)・〔人生のみちしるべ〕 アイヌのルーツででっかく生きる
辺泥さんは昭和50年東京生まれ、東京育ちで48歳。 7年前に東京から北海道釧路市の阿寒湖畔に妻と共に移住しました。 釧路はアイヌの曽祖父の故郷です。 20代から30代は東京で音楽のプロを目指していた辺泥さんは、釧路へ移住後弦楽器「トンコリ」の魅力に惹かれ会社勤めの傍ら、「トンコリ」の制作を始めます。 楽器としての精度が高くいい音を出せる「トンコリ」を目指して、学びながら試行錯誤で作り続けて居ましたが、去年7月に務めていた会社を辞めて、「トンコリ」の製作者として独立しました。 今では口コミで全国の楽器店から注文を受けるという事もあるといいます。
阿寒湖畔に移った当初はギャップだらけでした。 一番感じたのは人の距離が近い。 東京で暮らしていたころはマンションの隣の人が誰だかわからないような感じで何の違和感もなく過ごしていましたが、阿寒湖畔に下見で行った時に僕を繋いでくれた方がいて、あれよあれよという間に近所の人が集まって来て、人の距離が近さを感じました。 助け合う気持ちがあります。 マイナス30℃にもなることがあり、外には出られないのかなと思っていましたが、普通に過ごしているという事でした。
冬は異世界です。 湖が全部凍っていて、湖の上が駐車場になったりしていて吃驚しました。 氷の上を散歩してみたり、しぶき氷と言って、湖畔にかぶさるように枝があったり倒木があるところに、波がちょっとづつかかって細長い水風船が一杯垂れ下がっているような、氷の芸術みたいなものが見れたりします。 自然環境は驚きの連続です。
「トンコリ」の製作は、それまでは会社勤めの空いた時間で作っていましたが、知人が欲しいという事で作り始めて、口コミで増えて行って、製作は続けて居ました。 会社を辞めて製作と演奏もしてきました。 「トンコリ」の形は細長くて、長さが110cmぐらい、胴体は細長い流線型で丸木舟に蓋をしたような形で、舳先を下にして立てて持つ。 上にはギターのような弦を巻いている部分があり、一番上にはアイヌ文様の装飾がついている。 女性の身体を表していると僕は聞いています。 頭、首、肩、胴体、へそとか身体の部位を表しているといわれています。 鳴り、楽器の精度など意識していますが、ほとんど違うんです。 だから作っていて楽しいです。 製作の工程も大変でくりぬくのも大変です。 最後に弦を張って音を出す時には毎回ワクワクします。
*「イケレソッテ」という曲 魔物が足をずって歩く音をイメージした曲。
「トンコリ」を初めて触ったのは12,3年前です。 八重洲にアイヌ文化交流センターがあり、行ってみました。 本格的に楽器としての魅力を感じ始めたのは阿寒湖に来てからです。 阿寒湖に行って音楽としてやりたかったのは、自分のバンドを作る事、種まきしたい。 すそ野を広げたいという思いがありました。 小、中学生に声をかけてバンドを作って3年半ぐらいやりました。
僕は東京生まれですが、ルーツは釧路のアイヌです祖父の時代に東京に出てきました。 父は今年80歳になります。 アイヌの文化というよなものはありませんでした。 父が18歳の時に祖父は亡くなっていて僕はあったことがありません。 辺泥五郎という曽祖父の写真がアルバムにあって、嬉しいと言う記憶がありました。(小さいころ) 或る時、父が「アイヌっていい顔するひとばっかいりじゃないぞ。」と言ったんです。 その言葉が小さかった頃の僕の心に残ったこともあり、家ではアイヌのことを聞いて回る事をしなくなりました。
高校進学して凄くギターの上手い級友がいて、彼とバンドを組んで僕はボーカルをやりました。 20代になって本格的にやろうという気持ちになり、30代前半ぐらいまでやっていました。 レベルの高い人達と巡り合って、今ではプロとして活躍している人達もいます。 或る時、高校時代に組んだギターリストの親友と話をした時に、彼から僕には将来性を感じないといわれてしまいました。 言わなければいけないと思った辛さは向こうの方だと思いました。 その時はただただショックという感じでした。 解散して自分でバンドを立ち上げてみたりしましたが、自分の中の薄っぺらさに気が付いてしまいました。 それから10年ぐらい音楽活動を辞めました。
八方ふさがりの中、自分の根っこを全部ゼロにして、もう一回組み立て直そうと思いました。 ルーツ、戸籍に遡ることから徹底的にやろうと思いました。 北海道に行きたいと思いました。 阿寒湖に来て7年になります。 いろんな人から影響を受けました。アイヌの先輩に言われた言葉ですが、「いろいろあるけれど、気にせずでっかく生きろ。」とズバッと言われました。 それが今の行動にも影響したかなあと思います。 いろんな人のお世話になって、今の状況になってきたと思います。 世の中の人たちに、アイヌという認知、これが広がることが、アイヌに関わらず、いろんな意味で暮らしやすくなってゆくことに繋がると思います。