2023年6月29日木曜日

建畠晢(多摩美術大学学長)       ・〔私のアート交遊録〕 コロナ禍の美術

 建畠晢(多摩美術大学学長)       ・〔私のアート交遊録〕  コロナ禍の美術

コロナ禍が様々な分野に影響を起こす中、美術の世界でも緊急事態宣言が発令されてから宣言解除までのおよそ2か月間全国の美術館がほぼすべて休館となり、二度目の宣言下では大半がソーシャルディスタンスを取りながら開館を続け、今後の展覧会の在り方を模索し続けてきました。   休館中でも作品の展示替えをせざるを得ない辛い体験をしたという建畠さんは、展覧会は広く見られてこそ成立するという当たり前なことを改めて、思い知らされたといいます。  全国の美術館が参加する全国美術館会議の会長も務める建畠さんに、コロナ禍で認識した美術館の役割や、ご自身のお勧めの美術館についてもお話を伺いました。

人に見られて成立するという事は当たり前な事ですが、思い知らされました。      水墨画、版画とかは照明にさらすと退色してしまう。  3週間たって、何にも見せないまま撤去して、俺たち何をやってるんだと思いました。  客商売でお客さんが居なければ成り立たないと、痛切な経験をしました。  およそ2か月間全国の美術館がほぼすべて休館となりました。  二度目の宣言下では大半がソーシャルディスタンスを取りながら開館を続けました。  お客さんが戻って来てこちらも嬉しくてしょうがないわけです。  

東京都現代美術館で、「ドローイングの可能性」を或る女性が企画して、退職するのでそれが最後の展示会という事でしたが、展示が全て終わった段階で緊急事態宣言が出てしまった。  誰にも見せないまま会期が過ぎてしまった。  見に来てくださいと電話が掛かって来て観に行きましたが、素晴らしい展示会でした。  それを今年のベストファイブにあげたかったが、客が観ていないから駄目ですと言われてしまいました。  閉館の3日前に緊急事態宣言がとけて、3日間だけ開けました。 そういった忘れ難い思い出があります。 

本物の作品だけが持っているオーラにふれる事は、如何に重要なのか、こういった経験の中で我々は役割を果たしているんだなあと、思い知らされました。   コロナ禍で美術館は寝むっていたわけではなくて、オンラインで展覧会を行う。   疑似体験を行う。   今後補助的な手段として情報発信してゆくというプラスのことも経験しました。       

シンポジュームは簡単に開けます。  新しい可能性に結びついてゆく技術もあるでしょうから、オープンな姿勢でいた方がいいというのをコロナ禍で経験したこと、学んだことです。   時間制限して行うと、普段はそんなにいっぱいにならない展覧会でも、待ち焦がれた方が直ぐ申し込んできます。   オンラインで簡単に申し込めるので、新しい客層が増えた気がしました。   事前予約も定着してきました。   欧米では行列させないで時間制チケットを利用して余り混まないで観られるが、日本でも実験したりしますが、日本人のメンタリティーに合わなくて、定着はしなかったです。  時間制を続けている美術館もあります。   フェルメール展では半年前に全部切符が売れてしまいました。    ゆったりとして作品を見ることも大事ですので、時間制チケットが定着してゆくことは望ましいことだと思います。   

美術館は市民の方に支えられていないと、美術館は成り立って行かない。  市民に還元していかなくてはいけないが、コロナ禍ではそれを断たれてしまった。  日本の美術館のほとんどは歴史が浅くて、1980年代から激増してきた。  美樹館の基盤となる市民層が育っていないと成り立って行かない。  フランスは市民革命があり、ルーブル美術館は市民の美術館として、公開するようになった。  日本の国立博物館は恩賜、・・・皇族、天皇の資産を臣下に見せる、周囲が作り出した美術館とはイメージが違います。      どうしたらいいかなと思っていますが、市民の美術館ですよと啓発するようなことをやらなければいけないと思っています。  

美術館は平和なものです。  最近は日本はヨーロッパの印象派以外にも東南アジア、アフリカとか展示して親しまれています。  美術館は戦争抑止力ではないのかと、平和なコミュニケーションがある。  一義的には美術の好きな人に喜びを教えてあげる、楽しんでもらえるという事ですが、それに派生して平和な社会を作るとか、市民社会を作り上げるとか、そういう事にも寄与しているのではないかなあと思います。  

障害者、老人、など隔離して管理する方が、効率のいい社会だと思われたが、それは僕は危険な社会だと思います。   いろんな人たちがいろんな文化をもって、共存しているという、それを喜びを持って受け止められる様、それもアートの力だと思います。      多様性を喜びをもって受け止める社会が形成されてゆけば、平和な社会を維持する戦争抑止力になるのではないかと思っています。   

ギャラリーだけではなくて、建物、建物の外でいろんな形で発信してゆくことに取り組んでゆくことも大事かと思います。  文化、芸術の施設は色々あると思います。 美術館、コンサートホール、演劇、劇場、映画館など。  専門化してきて、アートの世界が分断化されてきているような気がしてしょうがないんです。   複合した様なものも必要ではないかと思います。   美術館で演奏をやるという事はある程度定着しましたが、もう少し幅広くてもいいかなあと思います。  

大坂の中之島に一番好きな美術館があります。  東洋陶磁館、僕は現代美術が専門なので、そこでは専門的知識はありませんが、心が落ち着き見飽きません。