山村武彦(防災システム研究所所長) ・防災に生きて60年 後編
ここのところ全国各地で大きな地震が発生したり、線状降水帯や台風の影響で水害が起きたりと、災害が相次いでいます。 地震、台風、大雨などの災害に対して、どう備えるかという研究をおよそ60年に渡って続けている方がいます。 東京にあり防災のシンクタンク「防災システム研究所」の所長で、防災アドバイザーの山村武彦さん(80歳)です。 山村武彦さんはこれまで世界中で発生した300か所以上の災害の現地調査を行ってきました。 山村さんに「防災に生きて60年」というテーマでお話を伺いました。
1923年に発生した関東大震災からちょうど100年に当たります。 相模湾北西部を中心とするM7.9と推定される。 南関東を中心の大きな被害をもたらして、死者、行方不明者は10万5000人で明治以降の日本の地震被害としては最大のものとなっている。
100年前の9月1日午前11時58分に発生、M7.9は巨大地震です。 全壊家屋は約11万軒、火災で焼失した家屋が約21万軒、火災で圧倒的に焼かれている。 亡くなった人の約87%は火災で亡くなったであろうと推定されています。 「地震=火を消せ」、というのが当時出来た合言葉です。 東京の場合には借家に住んでいる人が圧倒的に多かった。 荷車に家財道具を乗せて、隅田川を渡って本所の陸軍被服廠跡(ひふくしょうあと)に皆を避難させた。 荷車毎、背中には大きな荷物を背負っていた。 そこに火が回って火災旋風が巻き起こって、一気に約3万7000人以上が亡くなったといわれている。
悪い要因がいくつも重なっていて、地震発生が11時58分という事で、昼の支度をしている最中で、七輪、竃(へっつい)とかで火を使っていた。 消火活動をしても約134件の火災が発生した。 その火が強風(台風が通りつつあった)にあおられた。 風は10mを越えていた。 夕方には22mという観測値もある。 火がどんどん広がってしまう。 当時は木造家屋が多かった。 火は約40時間燃え続け、主要な市街地の大部分が灰燼に帰してしまう。 脆弱な消防力、権力の空白というのもある。 ラジオはそれほど普及していなかった。 ほとんどが新聞が情報源だったが、途絶えてしまい情報が断絶してしまった。 権力の空白というのは、加藤友三郎総理大臣(62歳)が震災の8日前に病気で亡くなっている。 代理に外務大臣の内田外務大臣が総理大臣の臨時代理を務める。 縦割りの横の連携が少なかった。 省庁そのものが地震で壊れたり、焼けてしまって機能がほとんど発揮できない状況だった。 震災から27時間後に臨時閣議が開かれたが、火災で対応できる状態ではなく、結果としてデマ、風評が広がってゆく。第二次山本権平内閣が発足するのは9月2日の午後5時でした。 それまで組織的な対応が出来なかった 情報と、指示命令系統がいかに大事かという事を関東大震災は物語っている。
1993年1月15日に発生した釧路沖地震は冬の夜の8時過ぎだったので、各家はストーブを炊いている。 慌てて火を消しに走った。 ヤカンなどの熱湯で多くの人が負傷している。 約180人の人がやけどをした。 それで「地震→安全の確保→火を消せ」という事になった。 今は家の構造、街並みも変わってきたが、古い木造の密集地域も残っている。 道路幅が狭いとか、避難経路がきちっと取れていない、消防が入れない場所もある。 100年前と比べて危険物も増えている。 ガソリンを積んだ車、ガス、ガラス(落下すると凶器になる)など。 渋滞したところでガソリンを積んだ車が燃えると40m先の車まで引火してしまう。 道路が火の海になってしまう危険性がある。
災害というのは全部同じではない。 阪神淡路大震災の時には直下型といことで多くの教訓を得た。 東日本大震災の時には、津波、原発の事故、熊本地震では連続の地震(震度7が2回 震度6以上が3日間で7回の場所もあった)。 災害ごとに違う様相、教訓がある。 南海トラフ大地震は震源域が内陸の下にある岩盤が動く可能性が高い。 内陸地震が長時間続く可能性がある。 今は津波が多く叫ばれているが、内陸部では津波ではなく揺れで建物が倒壊して命を亡くす可能性がある。 直近に目を奪われずに普遍的な対策を考えてゆく必要がある。
熊本地震は最初の地震が4月14日夜9時過ぎに有り、余震が続いていた。 翌々日の朝1時25分にM7.3という地震があった。 停電していて真っ暗な状態だった。 最初の地震では大丈夫だった家が2回目の本震で多くが倒れている。 新しい家でも倒壊している。 連続の地震によってダメージが蓄積されて行く。 多くは1階が潰れている。 1階で寝ていた方の犠牲が多かった。
水害、津波などで亡くなった人は逃げ遅れが約9割、「まだ大丈夫だろう」(自分だけは死なない、自分だけは大丈夫)、と自分に期待する本能があるようです。 認知真理バイアスがかかったことによって、逃げ遅れるケースが多い。 東日本大震災の時の動画が結構残っていて、走って逃げた人は助かったが、歩いて避難してゆく人が結構多く観られて、行方不明になっていたりしています。 突発的な災害が発生した時に、人間は3つの行動パターンに別れる。 ①落ちるいて行動できる人は約10%、②取り乱す人は約15%、③後の75%は茫然自失状態になってしまう。 このうち覚める人もいるが、覚めない人もいて、「凍り付き症候群」(心と身体が凍り付いてしまう)と言われる。
「凍り付き症候群」から逃れるためには、自問自制することが大事です。 もう一つは周りの人が「逃げろ」と声をかける事です。 そうすると目が覚めたように行動を起こす。 集団同等性、周りが逃げないから逃げなくてもいいかなと思ってしまう。 私の家には水、食料は2か月分ぐらいはあると思います。 映像を見ると、緊急地震速報が鳴ると「地震だぞ」と声を出す人もいれば出さない人もいる。 「テレビを付けろ」と言ったりしますが、テレビが報道するのは揺れが収まってからなんです。 安全な場所に移動する事です。(安全ゾーン=落下物のない、ガラスから離れた、閉じ込められない場所) 私の家では玄関を安全ゾーンにしてドアを開けておきます。 そして靴を履く。 ここまでやっておけば脱出でします。 大規模災害では水、食料は1週間分はほしい。 家族で話し合っておいてほしい。 防災ポーチをいれていて、懐中電灯、ラジオ、お薬手帳、チョコレート、キャンディー、充電用バッテリー、予備電池、充電器、笛、お金などを入れています。
本当に明日地震が来ると思えば、真剣にやれます。 事前対策が非常に重要です。 防災点検の日を決めてやってほしい。 パンデミックはおよそ20年に一度の割合で発生しています。 水害は毎年のように発生します。 地震は6年に一度の割合でいい気な地震があります。 台風は平均年に3個ぐらい来ています。 同時に複合災害が発生するかもしれない。 医療関係のものも入れておく必要があります。 避難所だけではなくて分散非難を心掛けておく必要がある。
集中豪雨は観測し始めてから2.2倍になっています。 ハザードマップを見直して、自分たちがどの時点で避難を開始したらいいのか、考えておく必要があります。 命だけあればなんとかなる。 自分たちの安全を自分たちで考えることが大事です。 近くにいる人が助け合う、「互近助」がとても大事だと思います。 普段から気持ちのいい挨拶がかわせる環境を築いておく。