波乃久里子(女優) ・舞台に立つ喜び
昭和20年歌舞伎役者十七代目中村勘三郎の長女として神奈川県鎌倉市に生まれる。 弟さんは十八代目中村勘三郎さん、甥御さんは六代目中村勘九郎や二代目中村七之助さんです。 波乃さんは16歳で新派に参加して、初代水谷八重子さんに師事しました。 以来舞台に活躍しています。
普段はGパンとTシャツです。 劇場と家の往復は忙しさの中に入っていないです。 3,4歳が初舞台になります。 劇場と家の往復だけで生きてきた人間なので、コロナのことでいろいろなことを覚えました。 金子信雄先生が「劇場と家の往復だけじゃあ馬鹿になる。 有とあらゆるものを見なければいけない。」と言われましたが、それがよくわかりました。 今も踊りの師匠に習っていて、師匠につくという事は大事なことだと思っています。 父からは甘やかされ過ぎて育ちました。 母は見事に厳しい人でした。
16歳で新派に参加して、初代水谷八重子さんに師事しました。 15歳で水谷八重子さんの舞台を見て、天人の様に余りの美しさに椅子から転げ落ちてしまいました。 それからとりこになりました。 物言わぬ雲といった感じで、凜として人間味がなくて、おならを聞いたら3日間ぐらい私は寝てしまいました。 この世の人ではないという感じでした。 皇女和宮の時には目が和宮の目になり、娼婦の唐人お吉の時にはお吉になって何人も男を知っているような感じになってしまう。 論理的なことは嫌いでした。 言葉が深いです.。 30代で10代の役を貰った時に先生に聞いたら、「10代だと思っちゃえばいいのよ。」と言われました。
20年先生のもとにいました。 杉村春子先生、森本薫先生の「女の一生」はいい作品でした。 もう一度、死ぬまでにもう一回やりたいですね。 舞台、映画など見るものが好きです。 歌舞伎が一番好きです。 新派も1888年(明治21年)に始まる。 今年135周年。 角藤定憲が大阪で「大日本壮士改良演劇会」を起こして不平士族の窮状を訴えた壮士芝居を路上で始めた。 川上音二郎が堺で「改良演劇」を謳った一座を興して書生芝居を始めた。 喜多村緑郎は歌舞伎が好きだけど、旦那衆で作ろうという事で新派が出来た。
横溝正史の「犬神家の一族」の松子(長女)という役をやらせていただきました。 私に新しい風が吹きました。 「八つ墓村」2020年の上演がコロナで中止になる。 樋口一葉先生のものは全部やりたいです。 樋口一葉先生は水谷八重子先生によく似ているんです。 心の中が燃えていて冷静に見える、緻密で秘めている。 小学校6年の時には樋口一葉の作品は全部ソラで言えるようになっていました。 井上やすしさんの「頭痛肩こり樋口一葉」で樋口一葉役をやりました。 楽しかったです。
「三婆」、有吉佐和子さんの原作。 舞台化される。 私が本妻で夫が愛人宅で亡くなり、三つ巴になって面白い。(水谷八重子、波乃久里子、渡辺えりがそれぞれ、武市の妾・駒代役、本妻・松子役、実妹・タキ役で出演する。) 人間ドラマです。 役者に取って「慣れ」は一番駄目ですね。
十八代目中村勘三郎、57歳で亡くなる。(10歳下の弟) あの人は舞台から愛をあげたい人だから、自殺者を3人助けているんです。 死のうと思っていたが、貴方の舞台を観て生き返ったと言う手紙が来て、それを読んで弟は泣いて、「生きてください」とその家まで行きました。 苦しい思いをしている人が明るくなってほしいですね。
敷地は一緒で、玄関は別ですが、中から行き来できるようになっていて、甥御の六代目中村勘九郎や二代目中村七之助らと一緒に住んでいます。 「久里子」の『くり』から「マロン」というあだ名で呼ばれています。 樋口一葉の作品の朗読もやって、満員になりました。 映画で年寄りの役をやりたいです。