2023年6月6日火曜日

中尾ミエ(歌手・俳優)         ・喜寿を迎えてますます元気に

中尾ミエ(歌手・俳優)         ・喜寿を迎えてますます元気に 

1946年(昭和21年生まれ、1961年園まりさん伊東ゆかりさんと3人でスパーク3人娘を結成し人気者となります。  16歳の時に出した「可愛いベイビー」が大ヒット、一躍人気歌手、その後は歌は勿論映画、ドラマ、バラエティーなどマルチに活躍をされ、最近はミュージカルでアクロバットを披露し話題になりました。  芸能生活60年を超えた中尾ミエさんに伺いました。

いまが一番元気なんですよ。  喜寿(77歳)になりました。 福岡県小倉市生まれです。6人兄弟の4番目です。   書店を経営していたが、父が事業に失敗して東京に出てくることになりました。   習いごとに行かされてバレエ、ピアノ、タップをやっていました。  中学の時にオーディションを受ける事になりましたが、歌をやりたいという事を思っていたので、渡辺プロに紹介状を書いてもらう事になりました。   米軍キャンプではオーディションの前に歌っていました。  歌は好きでした。  15歳で社長のうちに住み込みとなり、高校はいかないことにしました。   国語以外は必要ないと思っていました。  自分の人生は凄くいいタイミングで生まれたと思っています。  自分の人生と戦後史がイコールという感じです。   

歌手としてデビューして『シャボン玉ホリデー』、映画にも出演しました。  俳優の方が先で、そのころの新人賞が私と、加賀まりこさんと北大路 欣也さんでした。  器用貧乏で駄目だといわれましたが、でも身を助けてくれました。  目標があって20歳で家を建てることができました。(借金もありましたが)  借金をすることがモチベーションになっているというようなところもあります。   30歳になってから、勉強しないといけないと思って、勉強したり習い事をするようになりました。  一つなにかを始めると、思ってもみなかった出会いもあるし、思ってもみなかった自分の才能を見出すかも知れない。   トライしてみない事にはもったいないと思います。  

人に助けてもらうのが上手いのかもしれません。   自分にかけている部分を誰かに補ってもらえれば、それは凄く楽だと思います。   逆に頼れると嬉しいものだし。    お互い様です。   昔NHKで「八百屋お七を取り巻く七人の男」というドラマをやりました。   一人に一つしか才能がない男の人でした。  おしらすで調べられた時に「私は七人みんな平等に愛しました。」という設定でした。  私の人生もこれで行こうと思いました。   いまだに実践しています。 

やりたいことは自分で見つけなければ駄目ですね。  時間無駄なく達成するように毎日毎日生活する。  楽しみは自分で見つけないといけない。   志は死ぬ最後まで持っていないといけないと思います。 そのプロセスを楽しめればいいと思います。  ミュージカルでアクロバットをやれと言われてやったらできたわけです。  日々トレーニングをしていたら健康になってしまいました。   やれば出来るんだと思いました。  尾藤さんと二人で50年ぶりぐらいにロックンロールを歌うんです。  最終的に残るのはぐっとくる言葉だと思います。