吉田和生(文楽人形遣い) ・かしらが繋(つな)ぐ芸の道
人形浄瑠璃文楽で使われる頭は約80種類会うといわれています。 どの役にどの頭を使うかを決める頭割を担当しているのが、人形遣いの人間国宝 吉田和生さんです。
愛媛県の山奥の自然に中で育ちました。 本が好きで本を読んでいました。 高校3年生の5月の中間テストのころ夕方になると熱が出てきていました。 病院に行くとはいしん病?ではないかと言われました。 休学することになりました。 それで乱読して、その中の一冊が漆芸家の松田権六さんの「漆の話」という本でした。 復学して先生が「大学に行くという事は大学に行く資格を取るために行く人と、大学の4年間の中で自分が進むことを決めようか、という二つの方法がある。」と言われました。 両方ないなあと思いました。
大学にはいかないことに決めて、卒業後京都の方に遊びに行きました。 帰り道に文楽の頭を作る大江巳之助という人に会う事にしました。 その後手紙を頂いて、大阪の道頓堀の旭座?に行って、文楽に出会いました。 文楽の師匠から泊ってゆくように言われて、翌朝「で、どないする。」と言われて、そこで「やります。」と言ってしまいました。 舞台を観て感動したわけではなかったが。
研究生として入ったが、特に抵抗はなかったです。 師匠は「和夫」でしたが「和生」という名前をいただきました。 私が入るまでは10年間入っていなくて或る意味「金の卵」みたいでした。 当時足使いは10年やっていて上にあがりたくて仕方なかった。 今の玉男さんとか勘十郎さんと同時入門なので、待ってましたという感じで、有難かった。 足使いを習っていきました。
今は役柄をうまく三人ともすみ分けています。 手の大きさ、指の長さ、握力が違うから、私がこうやったと説明して真似しても駄目で、自分に合ったサイズのやり方をやってゆくようにと言われました。 人形使いは自分で使う人形の着付けをします。 それがまた厳しい。 今は1時間ちょっとで仕上げますが、始めのころは3,4時間 かかります。 やっと出来たと思うと、それでは舞台では使えないといわれると最初からやり直しという事になります。 見た目がきれいでないと駄目だといわれます。 絶対に守らせなければいけない部分と、自分でやって良い部分と、そういった育て方をされました。 有難かったです。
基本的には、何のために出て、何のためにお客さんにやって、何のために・・・(聞き取れず)でしょうね。 表面じゃない部分もあります。 狐は血が通っている、柳は血が通っていなくて植物だといわれて、「どうする」といって後は何も言わなかったです。 両方やっていますが、考えて自分に成りにやっています。 違いは、人間に近い表現方法で、柳は感情をストレートに出さずに、サラサラっというような形でやっています。 お客さんが判るかどうかは分かりませんが。
頭割は師匠のを見ていて無理だと思っていました。 全部頭のなかでやっていた。400ぐらいあると思います。 一興行に60ぐらいですかね。 師匠が言ったのは「頭によって構え方を変えなければいけない」という事でした。 2017年には人間国宝に認定されました。 師匠が前の年の8月に亡くなりました。 内定が6月に来ました。 まさかそういう時期に頂くとは思っていませんでした。
今は映像と音が自由に出来るから、直接師匠や先輩に聞かなくても大まかなことは手軽に分かる。 しかしなんでその動きをしたのか、裏にどんな意味があるのか、その部分は映らない。 そこが大事なんでしょうね。 教える方もそこを考えないといけないと思います。 映像を見る以上に頭を働かさないとものにはならない。 師匠に言われたりすることは色々余分なものが付いてきますが、映像にはそれがない。 ですから話はいろいろしておいた方ががいいと思ってやっています。 研修生が集まるのが難しくなってきています。 文楽教室とかいろいろやっていますが、入門に直結は難しいです。 建て替え前の今の国立劇場で「曽根崎心中」(近松門左衛門作)の「おはつ」をやらさせてもらいます。