林家正楽(紙切り) ・〔にっぽんの音〕
女の子が線香花火を持っている横からのシルエットを作成。 18歳の時に2代目の正楽に弟子入りしました。 1948年東京都出身。 高校卒業後2代目林家正楽師匠に入門。1970年「林家一楽」の名前を貰い初舞台。(22歳) 1988年「林家小正楽」と名を改め2000年には3代目「林家正楽」を襲名する。 2020年には芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。 お客さんの注文に応じて瞬時にものの見事に切りぬく技で寄席を沸かせています。
新宿の末廣亭があり、中学生のころから行っていました。 或る時師匠の高座の紙きりを見て「俺、これをやるんじゃねえのかなあ。」と突然思いました。 最初は断られましたが。 今では日本で一番寄席に出演している。 新宿、池袋、上野、浅草の寄席にほとんどいるような状態。 旅の仕事があったりすると休みます。 寄席は10日ごとに顔が変わります。 10日の内4日以上休みになると、最初から休み届を出しますが、かなり出ています。 高座に上がるのは15分ですから、割と楽です。
昔は寄席の周りに住んでいる家があって、そういった人が来ていましたが、仕事は寄席のそばだけれど、住むところは遠いという人が増えました。 昔とは客層が変わっています。 紙きりだけは、注文を受けて切ってすぐ渡してしまいます。 凄くよくできた時には渡さないで家に持っていきたいと思う時もあります。 逆に上手くできなかったときにも渡したくないが、渡せなければしょうがない。 お客さんの注文は流行りだらけです。 今だったら大谷選手、パンダがくればパンダ、その時その時です。
「リストラ」という注文があり、その時にはリスとトラを作りました。 うなだれているところに奥さんの怒っているところを作ってもしょうがないので、笑いに変えた方がいいと思いました。 事件とか,事故とか出す人が居ますが、そういったものを切ってもしょうがないですよ。 注文を出す人によって、切れないんじゃないかという思いがあるようですが、それも悔しいので何とか切ります。 紙きりの場合は頂いた御注文に関係のあるものをお囃子さんは弾きます。 スターウオーズの時にはお囃子さんが即興でスターウオーズのテーマを三味線で弾きました。
「時そば」という注文が出た時には、フランク永井さんの曲なんです。 切りながらなんでこの曲なんだろうと思っていたら、出だしが「そばにいてくれるだけでいい・・・」なんです。 楽しいです。
大藏:「狂言」を切っていただけますか。
鋏を研ぐのは凄く大変なので、私は切れなくなったら替えます。 鋏になれるのに時間が掛かります。
狂言の最後に太郎冠者が主人に追われているところが出来上がる。
切りあがって見せた時に、ワーッとなる、そこがとても気持ちいいです。
紙きりは一回も辞めたいと思ったことはないです。 師匠の前で切ったことは一回もないです。 例えば最初に師匠が馬を切ってくれて、同じものが出来るまで家で切って来いと言われます。 寄席の芸人は品がなければだめだと、師匠からよく言われました。 「寄席の高座に上がるのは、他の芸人とは違うんだ。」とよく大先輩から言われました。
弟子は名前を付けたのが3人います。 「楽一」は寄席に出ています。 他に「富楽」「楽三郎」です。 聞かれたら答えるけれど、聞かれなかったら何も言わないです。
大藏:言われた事よりも、自分で観て覚えたものの方が身につきますね。
上皇妃の傘寿の内々の皇族方のお祝いの席で、切らさせていただきました。 ご注文は「秋」、「子守歌」でした。(前もって言われました。) 25分8枚切りました。
日本の音とは、紙を鋏で切る音です。
お客さんから注文を貰って切るのは日本だけです。 注文は手を上げないで,間髪いれずに言ってください。 いい間が一番いいです。 なるべく聞こえた順にしています。