2023年6月12日月曜日

高松美代子(元・競輪選手)       ・挑戦に"遅すぎる"なんてない!

 高松美代子(元・競輪選手)       ・挑戦に"遅すぎる"なんてない!

自転車好きが高じて50歳で競輪の選手になった女性がいます。  高松美代子さん61歳。  若いころママチャリで娘さんの保育所、幼稚園の送り迎えで鍛えた脚力と学校でも教えていた水泳を生かして、トライアスロンに挑戦した後、女子競輪学校生の募集を知り、第一期生として49歳で入学、1年後には競輪の選手としてプロデビューしました。   以来3回優勝しましたが、落下で頸椎を折る大けがをしました。  夫が突然亡くなったこともあり、5年近くの選手生活にピリオドを打ちました。   この5年近い間が自分の人生の中で一番輝いていたという高松さんは、何かを始めるのに遅すぎるなんてないと、おっしゃいます。  引退後の今もアメリカの西海岸から西海岸を自転車で走る世界でも最も長い過酷な大陸横断レースを目指して日々ペダルをこいでいます。  高松さんのチャレンジ精神はどこから来るのか伺いました。

小さいころから自転車は好きで乗っていました。  20代のころ子供を幼稚園に送り迎えするので自転車を使っていました。  長女の場合は片道5kmぐらいでした。 送り迎えで20kmでした。   妹は片道8kmで、送り迎えの往復で32kmになりました。  6,7年は毎日往復していました。  計算したら地球1周分ぐらいになりました。    水泳も教えていて5kmぐらいあり、買い物なども全部自転車で行っていました。     

子育てが一段落してトライアスロンが始まって、やってみたいと思っていました。    しかし走るのは大嫌いでした。  主人も自転車が好きで一緒にやろうという事で自転車を買ってもらって一緒にやるようになりました。  走ることも練習しました。 最初はショートのトライアスロンから始めて、2000年に宮古島のトライアスロンにデビューしました。(36,7歳)    他に個別の水泳大会、自転車の大会、ランニングの大会にも出ました。   自転車は参加者が少なかったので入賞できたりして、賞品を貰ったりして、自転車はいいのかなあと思いました。  仲間に長距離のレースに出てみないかと言われて、300kmのレースに参加しました。   

東京の高尾山がスタートで、最後は糸魚川まで行くレースです。   速い人で8時間ぐらいで行きます。  普通は16,7時間ぐらいかかります。  4時か5時に私はスタートしていました。  参加者は300,400人ぐらいでスタートの時間は自分で決められます。   主人も参加していました。   最初の時には200kmぐらいでフラフラとしてしまいました。  止まって一瞬寝てしまいました。(15分、20分ぐらいの仮眠だったと思います、)   初めての時には10時間半ぐらいでした。  女子の中では1位でした。  その後10回ぐらいは連続して出ていました。  8回は1位を取ることができました。   

日本スポーツマスターズ自転車競技大会では2006年から2010年ロードレースでは5連覇しています。  20kmの大会ではいつも優勝していましたが、或る時の大会で1着が17歳で、私が2着で、3着が15歳という時がありました。  もっと練習したいという気持ちがある時に、「女子競輪始まる」という情報がありました。  日本競輪学校が修善寺にあり、1年間はいって、いろいろなことを教わって、テストに合格すれば選手になれます。  48歳で受験をして49歳で入学しました。  寮生活です。(子供達も20歳過ぎていたので対応してもらう。)  競輪学校では生徒会長を務めました。   卒業試験は実技のほかに筆記もあり大変でした。  50歳で合格しました。  デビュー戦は2012年7月1日です。  平塚競輪場でした。   7名で走って6着でした。   同年12月27日の高松競輪場で優勝出来ました。


2回目の優勝は九州小倉のミッドナイトゲームと言って9時から始まる競輪でお客さんは誰もいませんでした。  2013年8月4日、3回目は熊本の競輪場で大雨でした。(51歳)    落車も結構多くて、九州小倉では落車をしてしまい肋骨を3本折ってしまいました。    2016年前橋でのレースで落車し、頭を打って首の第一頸椎を2か所も骨折するという大怪我を負ってしまう。   頸椎の一番上の骨だったので、2,3番目であれば半身不随になるかもと言われました。  一か月入院して3か月自宅療養しました。  半年に何走走らないといけないという規則があり、走らないと点数が下がって、首になるので疾走しました。  

翌年の2月に走ろうかなと思った時に、主人が急死してしまいました。  本当にびっくりしてしまいました。    兄、子供達からも引退したほうがいいといわれて引退を決意しました。   2017男3月25日千葉競輪場で現役引退を表明しました。  いろんな人に教えていただいたり、自分でも勉強して、一番輝いていた5年間だったと思います。   日本競輪選手会に今務めています。     ガールズケイリンサポートスタッフとして女子の競輪選手の訓練、新人選手の訓練の事務方をしています。  

「かきくけこ」 か=感謝 き=聞く耳を持つ素直さ く=工夫をする   け=謙虚  こ=向上心  これを伝えています。  アメリカ大陸を横断する大会(5000km近く)を毎年やっていますが、還暦メンバーとかのチームで一緒に走りたいと思っています。    フランスで4年に一度しかない大会(PBP Paris–Brest–Paris)があり、往復1200kmを個人で走る大会があります。  今年8月20日から24日まで開催されますが、今年は出ようと思っています。  走る条件があり、合計1500km走るとクリア出来て、条件はクリアしました。  ちょっとでもやりたいなと思う事は出来る事だと思うんです。  やりたいなと思う事があればチャレンジすればいいと思います。   年齢に関係ないです。 始めることが成功への道です。  ハードルが高いと思ったら、修正すればいいと思います。  願い続ければ思いは叶うんだなあという事が、今思います。