南こうせつ(シンガーソングライター) ・神田川から50年、暮らしの理想は鴨長明
1970年に「かぐや姫」でデビュー、3年後に「神田川」が大ヒットしました。 1975年に「かぐや姫」は解散しましたが、今でもソロでコンサート活動をしています。 こうせつさんは故郷の大分県国東半島に移住してからおよそ40年、当時大きな家を建てましたが、90歳になる自分を考えて今家を建て替えて、生活を小さくして暮らしています。 理想の暮らしは鴨長明、というこうせつさんに伺います。
当時は、忙しいなか睡眠時間が4,5時間でコンサート、飲んだりしてよくできたと思います。 50代を過ぎたころから徐々にペースを落としていきました。 全盛期の半分ぐらいです。 大分県国東半島に移住してからおよそ40年になります。
1960年代の真ん中ぐらいから、日本語のフォークソングがじわじわ生まれつつありました。当時はコピーをするのがフォークだと思っていました。 日本語で自分たちの心情、風景を歌にして、というのが出てきました。 所属事務所の指示で全国歌謡選手権にも出ました。 でも納得は出来ませんでした。 その後山田パンダ、伊勢正三と新生かぐや姫を結成しました。 「僕の胸でお休み」、「神田川」「赤ちょうちん」「いもうと」続いて行きました。 「神田川」は吃驚しました。 はがきでリクエストが段ボール二箱ぐらい来ました。 レコード会社も吃驚しました。 ある手紙の最後に「この歌はヒットさせたくない。 これは私の歌だけにしたい。」と書いてありました。 嬉しかったです。
*「神田川」 作詞:喜多條忠 作曲、歌:南こうせつ
喜多條忠さんは学生でしたが、放送作家でもありました。 自由詩なら書けるという事でした。 「マキシーのために」 主人公マキシー(浅川マキ 原詩ではピラニア)は実在した喜多條忠さんの友人だった。 学士運動が盛んだったころによく知られた女性活動家で、食らいついたら離れないのでピラニアと呼ばれていた。 学生運動で内紛が起こり、最後は内部で殺人まで犯してしまい、マキシーさんが葛藤して、正しいと思っていたが間違っていたという事で自殺するんです。 喜多條忠さんがどうしても書きたいという事で、それが「マキシーのために」だったんです。 その2,3年後に「神田川」の詩が出来たんです。 ぎりぎりで電話で受け取りました。
70年、80年代コンサートをやってきましたが、もっとみんなが一緒にリズムを感じ、もっとみんなが叫ぶ方向へ行くときに、「神田川」はそういう方向ではなかった。 40歳過ぎてNHKの番組があり、パーソナリティーをやることになり、「神田川」に救われたという内容の手紙がいくつか来て、やっぱり「神田川」を歌わないと、こういった人たちに失礼に当たると思い、歌うようになりました。
青山にも住むことが出来て、わくわくしていましたが、満たされないところがあり、なんだろうなと思ったら自然でした。 富士山のふもとで住むことにしました。 7年間住みましたが、冬はマイナス20℃になることもありました。(大分生まれなので厳しい) 大分県国東半島に移住しました。 海に憧れ、畑もやりたかったが、鎌倉、湘南では高くて手が出ませんでした。 それで国東半島に行きました。(2500坪よりある。) 荒れ地でしたが、開拓しました。 大きな家を作りましたが、子供も巣立って、その後壊して2LDKの家を最近作りました。 74歳なので先のことを考えてバリアフリーにしてあります。 ギターも沢山ありますが、思い出もありなかなか捨てられないところもあります。 ギターの表に蒔絵を施したものがあります。(40年前) 室瀬 和美先生の蒔絵で先生は後に人間国宝になりました。
「夜明けの風」 コロナ過で作りました。
*「夜明けの風」 作詞:山岡隆 作曲、歌:南こうせつ
「方丈記」
「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたかは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
玉敷きの都の内に、棟を並べ、甍を争へる、高き賤しき人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これ(*)をまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
あるいは、去年焼けて、今年作れり。
あるいは、大家滅びて、小家となる。
住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、僅かに一人二人なり。
朝に死に、夕べに生まるる慣らひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来りて、いづ方へか去る。
また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その、主と栖と、無常を争ふさま、言はば、朝霧の露に異ならず。
あるいは、露落ちて、花残れり。
残るといへども、朝日に枯れぬ。
あるいは、花しぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども、夕べを待つことなし。」