2022年2月18日金曜日

野村謙二郎(元広島東洋カープ監督)   ・ふるさとで育んだ挑戦する力

 野村謙二郎(元広島東洋カープ監督)   ・ふるさとで育んだ挑戦する力

野村さんは選手としては駒澤大学時代に、ソウルオリンピックでは銀メダルを獲得し、プロ野球に入ってからは1995年に打率3割、ホームラン30本、30盗塁以上のトリプル3、2005年には通算2000安打も成し遂げました。   監督としては広島を5年間率いた中で2013年に初めてクライマックスシリーズに導くなど、その後のセリーグ3連覇の礎を築きました。   その野村さんにふるさとで育んだ挑戦する力というテーマで伺いました。

故郷は大分県佐伯市。  山があって海が近くで食べ物がおいしいし、気候も暖かくて環境的にもよかったなあと思います。   野球を始めたのは小学校1年生でした。  誕生日に父親がグローブを買ってくれました。  父親は怖い父親でした。  父は高校まで野球をやっていましたが、家業を継がなければいけなくて野球は断念したそうです。  壁当てミスなし連続100回というのをやって朝10時から始まって、終わったのが夕方の6時半、7時ぐらいまでずーっとお昼も食べずにやりました。(小学校低学年時代)  父は妥協はなかったです。    小学校の時には自信をもってやっていましたが、中学では背も大きくなくて細くて、2番で打ったり7,8番で打ったりしていました。   右打ちでしたが、左打ちに替えました。  又戻していたらプロ野球の選手にはなれなかったかもしれないです。   

大分県立佐伯鶴城高等学校へ進学する。  周りにうまい人がいるなあと思いました。  全体練習以外に自分でバットを振ったり、下半身を鍛えるために走ったりしていました。 140mぐらいの城山が高校の裏にありよく走らされました。  体幹を支える上ではいいトレーニングになったと思います。   2年の秋から3年の夏までエース投手兼主将を務めるが、3年の夏の大分大会の準決勝戦で敗れ、3年間とも春と夏の全国大会の出場を逃しました。   野球に興味を持たせてくれたのはスポーツ少年団の指導者の方だと思っていて、田舎に帰るといつも思いだします。  

駒澤大学に進学する。  回りは強豪校から入った人たちが多くて恐々して居ました。  寮に入ってバッティング練習、守備練習をした時に負けていないかもしれないと少しづつ思うようになりました。  1年生から試合に出させてもらいました。  大学でチームがリーグ優勝するなどする中で、代表に選ばれて非常にうれしかったです。  その後ドラフト1位で広島に入団。   大学での実績からおごった気持ちがあったようで、プロの世界はそんなに甘いものではありませんでした。   キャンプの初日に、とんでもない所へ来てしまったと思いました。   辞めたいなと思いましたが、3年間は必死にやろうと思いました。   17年間活躍をして盗塁王3回、1995年には史上6人目の打率3割、ホームラン30本、30盗塁のトリプル3を達成。  2020本のヒット達成。  よく17年間プロの世界で出来たなあと思います。   150本ぐらい残す中、怪我などで体調がよくない中、辞めようと思って山本浩二さんに相談したら、「一生後悔するぞ」と一喝されました。   何とかクリアしましたが、打ったというより打たしていただいたという思いがあり感謝しています。 

2010年から5年間広島の監督を担当。   Bクラスのチームだったが、2013年には初めてのクライマックスシリーズに進みファーストステージを突破、その後の3連覇の礎を築く。    最初はやってやろうという事で指導しはじめましたが、見事に自分の空回りでした。   2年目からは自分はあまり動かず、コーチの方に自分のやりたい野球というものをミーティングを通じて指示しました。  3年目は選手との距離感を縮めるためにどうしたらいいかという事をやりはじめ、コミュニケーションをとれるようになってからは、選手の成長も感じましたし、チームが変わってきた感触がありました。    僕は周りから見ると成功した人間と思われていると思いますが、その過程はあまりみない。  壁当て、練習で左打ちにして沢山バットを振ったとか、土手を走ったり、大学での練習、プロに入ってのきつい練習とかは表には出ないです。  周りの見方と自分の見方は違うわけです。 自分より体が大きいし、パワーがあって、 走るのも早いから僕以上の選手になるなと、自分と同じことをやれば僕以上の選手になるなと、自分の中の勘違いがありました。  それを変えてゆくのが大変でした。   そのシーズンを反省していって、3年目にはこれだという方向が出たので、監督を退任するまで変わっていないです。  

監督を退任後は広島大学の大学院で、主にコーチング論でしたが、齢が離れた人たちと一緒に講義を受けたり、スポーツ以外の方たちとの交流もあり、2年間いい時間でした。   指導の仕方も変わってきていて、コーチングも変わってきています。   今は解説と、野球に携わる仕事をしていますが、底辺で野球が好きで指導している方々に、自分で経験してきたアドバイス、大学院で勉強してきたことなどを、伝えることは伝えて、質問等を受けながらお役に立てれば良いと思います。  田舎っていいなあと思います。