2022年2月28日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)          ・【絶望名言】老子

 頭木弘樹(文学紹介者)          ・【絶望名言】老子

老子は孔子、孟子などと並ぶ中国古代の思想家で、その著作は日本でも昔から広く読まれて来ました。  今日は老子の絶望名言をお聞きいただきます。 

「世の中の人は何をするか知っているのに、私だけが真っ暗だ。  世の中の人は何をするのか判っているのに、私だけは悶々としている。   ふらふらと海を漂う様で風のように行き先も知れない。   みんなは何かを成しているのに、私だけは一人引き籠もっている。」       老子第20章   翻訳:前川淳

寺田寅彦はエッセーで、爺ぐさいばかりか偽善者らしいもったいぶった顔をしていてどうも親しみを感じないので、通読することがない、と言っている。 敷居が高い。  折り紙の創作者の前川淳さんが老子の一節を訳しています。   前川さんが老子について、世紀の賢人などではなく情けない感じの、それゆえにくめない老人だと言っています。  

「部屋から出てかなくても世の中のことは判り、窓から外を見なくても天の理法は見て取れる。  遠くに行けばゆくほど道のことは益々判らなくなる。  そういうわけで聖人はどこにもいかないで判り、何も見ないで明らかである。   なにもしないで成し遂げる」 老子第47章  翻訳:蜂屋邦夫  以後の翻訳はすべて蜂屋邦夫

引きこっもりっぽい言葉。 最近中国では「寝そべり族」という言葉があるが老子的です。価値観は一つじゃないほうがいいと思います。  いろんな価値観が老子にあるという事は良いことだと思います。   

老子は紀元前6~4世紀の人と言われている。 

「私には3つの宝があり、 しっかりと保持している。  第一は慈悲、第二は倹約、第三は世の中の人々の先頭には立たない、という事である。」    老子第67章 

「何事にも進んで果敢に行動するものは殺される。  何事にもぐずぐず尻込みするものは生かされる。」    老子第73章

一般的な考えとは全く逆です。

「爪先で立ってるものはずっと立っていられず、大股で歩くものは遠くには行けない。」 老子第24章

背伸びをせず、ゆっくり歩いて、先頭に立とうしない。  

老子の伝説では晩年に砂漠に去って行ったことになっている。  関所の役人が老子に教えを乞うたところ、老子が書き残したのが「老子」という本だと言われている。  この伝説はいろんな作家の心をとらえて、いくつも作品が生まれている。  役人が敗者だったから老子は心を許した。  

「同じ靴でも私の靴は砂漠を歩く靴、彼のは朝廷に登る靴なのです。」 魯迅の短編小説に中から

「黄塵の渦巻く中をのろのろと砂漠に向かって、消えてゆく老子の姿を私は愛した。  人生から足を洗う事のすがすがしさがあった。」  原田清輝 

ドイツのブレヒト、中国の魯迅、日本の原田清輝らの老子に関する作品がある。

「仁君が才能あるものを尊重しなければ人民は争わないようになる。  仁君がめずらしい財宝を尊重しなければ人民は盗みをしないようになる。  仁君が大きな欲望を持たなければ、人民は乱れなくなる。」    老子第3章

才能ある人を評価する価値観を疑う人はほとんどいないと思います。  老子はそれを否定しているので面白い。  才能を競い合うようになると、より才能が磨かれるといことになるが、老子はそもそも才能を磨く必要がないと言っている。   

「知恵の鋭さを弱め知恵によっておこるわずらわしさを解きほぐし、知恵の光を和らあげ世の中の人々に同化する。」   老子第4章と第56章と、2回も出て来ます。  核兵器なども各国が才能を競いあわなければ、起きない。  老子は学問は否定していない。

「なにもなさないという事を成し、なにも事がないという事を事とし、なにも味がないという事を味とする。」     老子第63章  

「なにも味がないという事を味とする。」というのは個人的には響きます。  病気をして絶食療法をしたことがあります。  点滴のみで水も飲まない。  そうすると口の中では何も味がしない。  舌の感度は鈍ってゆくが、唾液などで味を味わおうとすると舌が敏感になって行く。  療法後ヨーグルトを飲んだら口の中で味の爆発が起き、凄い衝撃でした。   そうすると薄味の方がおいしいんです。 薄味にするといろんな素材の細かなことまで判るんです。   ほかにも言えて、病気になると葉っぱがそよいただけで、感動したりするわけです。  萩原朔太郎も病気をした時の経験を書いています。  老子を知ったと言っています。  元気になってしまうと又いつの間にか敏感さ失ってしまう事にもなる。   老子の言葉は含みのある言葉だと思います。  

「自分たちの食べ物を上手いとし、自分たちの衣服をいいものとし、自分たちの住まいに安んじ、自分たちの習俗を楽しいとする、隣国が見えるところにあり、鶏や犬の鳴き声が聞こえてきても住民は老いて死ぬまでお互いに行き来することがない。」 老子第80章

隣の家、国がいいなあというのは妬み、競争心、侵略にまでつながるわけです。  この言葉は老子の理想とする国の在り方、生き方である。  老子が読まれる時代になってきているのかもしれません。  

苦しい時には人生の道を間違えたのかなあと思うかもしれないが、「苦しい道こそ正しい」 苦しい時には励まされる言葉です。