黒木知宏(元千葉ロッテマリーンズ投手) ・すべてのボールに魂を込めて
入団1年目の1995年から即戦力として力を発揮し、4年目には最多勝、最高勝率のタイトルを獲得、Bクラスに低迷することが多かったチームにあって、闘志あふれるマウンドの姿はエースのジョニー、魂のエースと愛されて多くのファンの心をつかみました。 1998年チームが連敗する中で先発した黒木さんが勝利まであと一つのところまで行きながら、同点ホームランを浴びてプロ野球史上最多の17連敗を喫したシーンは、七夕の悲劇と呼ばれて今も語り継がれています。 現役引退後が北海道で日本ハムファイターズでコーチを務めた後、現在は日米の野球解説者として活躍中です。
社会人チーム時代に居眠りをして頭を丸めて来いという罰を貰いました。 頭を丸めたのですが、山本ジョージさんのような髪形になって、ジョージと呼ばれていましたが、後輩の一人がジョニーと言い始めて、自分といてもしっくりして「ジョニー」と言い始めました。 先輩、後輩関係なく親近感のあるものになりました。
宮崎県日向出身で、自然に恵まれていました。 野球と魚釣りは大好きでした。 延岡学園高等学校に進みましたが、練習は厳しかったです。 監督から特別に課題を課せられ辞めようと思ったこともありましたが、今思うと感謝しています。 1991年3年生の夏の大会の決勝戦で日向高校(自分の地元の学校で中学の仲間が多くいた。)と対戦して、勝った時には複雑な気持ちはありました。 四日市工業高校(三重県代表)に4-8で敗れた。 当時は自分の思っていた(140kmぐらい)ほどのスピードは出ていませんでした。(測定値129km) 戦った四日市工業高校の井手元健一朗投手は大会でNO1のピッチャーと言われていました。 社会人野球の新王子製紙春日井に入社、1994年の都市対抗野球では本田技研鈴鹿の補強選手として森昌彦(NTT東海から補強)と共に優勝に貢献しましたが、コーチからは今のフォームではだめだと言われました。 みるみるスピードが上がって思い通りのボルが投げられるようになりました。(社会人3年目)
1994年のドラフト2位で千葉ロッテマリーンズ(逆指名)に入団。 背番号が54で、あれっという気持ちはありましたが、この背番号で頑張ろうと思いました。 1年目に5勝、2年目に8勝、3年目に12勝、4年目に6月にはハーラーダービートップの6勝を挙げていた。 その後自分もチームも勝てなくなり16連敗(ワースト記録タイ)、7月7日先発投手となる。 8回までは3-1でリードしていました。 9回イチローが三振、2アウトでハービー・プリアムに対して1ボール2ストライクまで行き、インコース低めに投げた146kmのいいボールでしたが、同点ホームランを打たれてしまい、頭が真白になり記憶が飛んでいました。 ファンが暴動を起こすのではないかと思っていましたが、テレビの画面ではファンの人たちが一生懸命歌っていました。
*「あしたのジョー 美しき狼たち」 何があっても這い上がろうというような歌詞でした。 キューバとの対戦の時に私が当番する状況でしたが、林さんが歌い始めて、僕の胸に突き刺さって、みんなで歌いました。 苦しいリハビリを終えてマウンドに上がる時の登場曲は必ずこの曲にしています。
色々故障が出て来ましたが、一番苦しかったのは肩でした。 2001年6月から肩に違和感を感じて、徐々に痛みが出始めるようになりました。 気を張ってボールを投げると投げれるんで、投げたら勝つようなシーズンで、エースという立場で痛いからやめますと言えないような状況でした。 気が付いたら大きなけがになっていました。 怪我を治そうという事で緊張の糸が途切れて、翌日からボールが投げられなくなりました。 そこから2年半苦しみました。 3か所が駄目になっていて、手術をしていくと14か月はボールが握れないと言われてリハビリを考えると2年という事で諦めました。 筋肉の半分は残っていたのでそこを2倍強くすれば行けるだろうと思って保存療法が始まりました。 でも同じボールを投げられることは2度となかったです。 痛い箇所がいたくないような投げ方をすると、本来のフォームではなくなるのでどこかに歪が来ます。 歪が来たところが肘でした。 肘だったら手術をして3~6か月で回復できることが症例としてあるので手術をしました。 2004年に投げられるようになり、996日ぶりのことでした。 1勝上げるが、又肘が悪くなって452日ぶりの登板となる。 最初の復帰の登板は勝つためのビジターの試合で凄く嬉しかったです。 一球なりとも気を抜いて投げたボールはないです。 1万9482球を投げました。
2013年から5年間日本ハムファイターズのコーチをやりました。 大谷翔平選手と同じ年でした。 どの程度の能力があるかは知りませんでしたが、2/1~半ばぐらいでその疑問は吹っ飛びました。 彼の能力を見たら両方のポジションをやらなきゃ駄目でしょうと思えるぐらい凄かったです。 彼の宝をどうやってやるかの環境つくりの5年間でした。 今年は昨年以上の成績を残すと思います。 彼は毎年進化していきます。