2022年2月9日水曜日

佐藤B作(俳優)            ・かつてのライバル達は、今は同志

佐藤B作(俳優)            ・かつてのライバル達は、今は同志 

1949年(昭和24年)福島県生まれ。  早稲田大学を中退してアンダーグラウンドの「自由劇場」の裏方を担当したのが演劇とのかかわりの最初だったそうです。  1973年劇団東京ヴォードヴィルショーを結成、現在も座長を務めています。  萩本欽一さんのバラエティ番組「週刊欽曜日」にレギュラー出演して人気者となりました。  映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍しています。  現在放送中の大河テレビドラマ「鎌倉殿の13人」では三浦 義澄役で出演中です。

「鎌倉殿の13人」では三浦義澄役で出演していますが、頼朝が亡くなった後に13人の合議制でいろいろ世の中を動かすのですが、13人の中の一人です。  13人の中では最年長の役です。   三谷さんは笑いに持ってゆくところに関しても細かく指示します。  過剰にやってしまうと面白さがちゃんと伝わらないとよく言われました。  

小学校の時に演劇部に入りました。(4年生)   芝居が出来なくて厳しく先生から怒られました。  中学校では演劇部は女性ばっかりだったのでブラスバンドに入りました。    バリトンという楽器を演奏しました。  早稲田大学の商学部に入って商社マンを目指そうと思いました。  受験勉強の反動で勉強するのが嫌になってしまって、「若者たち」を見て演劇がやりたくなり演劇部に入り夢中になり一気に成績が悪くなりました。   生きてて楽しいなあと思いました。  就職は厳しいと思い、プロの役者に成ろうと思い中退しました。  アングラ集団「自由劇場」を受けましたが、二次で落ちて、ほかの劇団も全部落ちて、行くところがなくて自由劇場」に無理矢理入れてもらいました。  音響の係を担当しました。  1973年劇団東京ヴォードヴィルショーを結成しました。(5人)  昼間にバイトをして夜に稽古をしました。  お客は少なかったけどやりたいことをやって充実感があり楽しかったですね。  関西の笑いが東京に入ってきた時で、関西の笑いを取り入れた演劇を作れないかなあと思いました。  笑いは難しい、怖いです。  笑いの劇団がいろいろできました。  加藤健一さんは凄く芝居がうまくて年上だと思っていたら同い年でした   3月に加藤さんとはニール・サイモンの名作を共演することになっています。(コロナで2年前に中止になったもの)  加藤健一さんは役者としての幅が広いですね。

喜劇やコメディーは普通の芝居に比べて難しいです。  どこかで笑いを取るには、振りがあって、それに関した受けがあって、落ちがあるという、それをきちんとしないとお客は笑わない。  伊東四朗さんがうちの劇団で客演がありますが、演技の仕方が見事ですね。  常にお客はどういう気持ちで芝居を観ているんだという事をきっちりとらえて演技しています。  自分の中に演出家がいるような感じです。  「よくできた喜劇程シリアスに演じなければいけない。」と伊東四朗さんから言われました。  

若い役者に伝えたいことは、「答えは脚本の中にしかないよ。」という事でどこまで深く読めるかというのが役者の勝負ではないかと思います。  読む力がないと演じる力は絶対出てこないと思います。  芝居って人間勉強ですね。  劇団東京ヴォードヴィルショーが再来年50周年を迎えます。   伊東四朗さんに伊藤博文役をオファーしたら「やるよ」と言ってくれて、本当に嬉しかったです。  その時には僕が74歳で、伊東四朗さんが86歳ですから。  「稽古をしてみて、伊東四朗が俳優として無理だと感じたら、即刻降ろしてくれ、それが約束だ。」、と言われました。  自分に厳しい人だなあと思いました。  

若い人もお金がなくて苦労しているとは思いますが、コツコツやっていれば何十年後かにはいいことがあるよと、言いたいです。  続けることは大変ですが。  僕が続けられた原動力は悔しさですね。  同年代の役者に負けたくないという事ですね。