繁森良二(矢掛古民家再生プロジェクト前代表)・街の宝を掘り起こせ
繁森さんは岡山のデパートに入社し、退職後は国際医療ボランティアのサポートなどに取り組んできました。 70歳でこれらの仕事に区切りをつけましたが、矢掛町から古民家を活かした町おこしをやってほしいと頼まれます。 矢掛町は昔の山陽道の宿場町で西国大名が宿泊した本陣と脇本陣のある街並みを残しています。 これをどう生かすのか、伺います。
岡山県矢掛町は古い宿場町で江戸時代の雰囲気が残っている貴重な街です。 人口は約1万4000人でだんだん減ってきています。 陣と脇本陣がそのまま残っています。 篤姫がお嫁に江戸まで行くわけですが、宿泊した部屋もそのまま残っています。
樋野KANZO倶楽部新渡戸稲造学校から「偉大なるお節介症候群」認定書を貰っています。 樋野KANZO倶楽部は岡山県長島にハンセン病の療養所が残っていて、段々減ってきましたが、子供のころから岡山県長島から出ない人がいるわけです。 友人で医師をしている人がいて、寂しい思いをしているから行ってやってくれないかと言われました。 長島愛生園まで行って、話をして通っていましたら、「偉大なるお節介症候群」認定書を頂きました。
74歳の時に矢掛町長方町おこしの依頼がありました。 岡山のデパートに入社し、いろいろな仕事に関わり経営まで行い(60歳まで)、その後スポーツクラブの経営を任されました。 38歳からずーっとジョギングを欠かさずやってきましたので健康体です。 77歳の時にホノルルマラソンを完走しました。 現在84歳です。
矢掛町は影の薄い町で、空き家になっている家が沢山あるんです。 人の集まる場所にしようという事でホールを作って、毎週、音楽会、コンサート、講演会、落語会,神楽の会とか日曜日ごとにやりました。 県外からも人が集まりだしました。 人脈を利用して回りから支えてもらいました。 マスコミのルートを通じて宣伝もしました。 インターネットも活用しました。 外国からも人が来るようになりました。 古民家がありほかの町にはないような情緒のある町です。 「宿場町は着物が似合うだろう」と友禅作家らの作品展や、歌舞伎の興行を手がける松竹に企画提案して衣裳(いしょう)展を開催し反響を呼びました。町が観光客の着物姿であふれかえりました。 8年前には泊るところもありませんでした。 古民家を再生して宿屋を作ってそこに来てもらう事になりました。 それが評判になり、外国からも何十カ国から来ていただきました。 分散型ホテルという事で「アルベルゴ・ディフーゾ」(分散型宿泊施設 イタリアで生まれた地域活性化の取り組み)にイタリアから認定されました。 見学客も沢山来ました。
全体で200人ぐらいが泊まれる規模になりました。 岡山空港から1時間ぐらいで来られます。 本陣と脇本陣が何といっても目玉です。 トイレ、お風呂がどうなっていたとかなども見られる貴重なものです。 コンサートなどのほかに朝市、大名行列、夏の行灯祭りなどいろいろイベントをやっています。 矢掛小唄の復活という事で矢掛小唄と矢掛小唄踊りも始めました。 人脈を通してアラーキーとかの人たちに審査を頼んで全国からカメラをもって、踊りなどの写真を撮りにこられるようになりました。
去年にやっと無電柱化が実現して雰囲気がよくなりました。 国から重要建物群にも指定されました。 道の駅もできて、お土産を売るのではなくて、ホテルのような雰囲気です。 延べで10万人を越えました。 観光客が来るというだけではだめで、地元に住んでいる人が幸せに過ごして頂けることが最優先しなければいけないと思います。 ベトナムとか海外から結構研修生が来ていますが、町中で見ないので、お金を貯めるのに精一杯で楽しむ余裕はないという事でした。 そういった人たちにも楽しんでもらおうと、ベトナムフェスティバルを立ち上げました。 交流館に屋台を作ってベトナム料理を食べて、ホールではカラオケ大会をやったりしました。 料理は大学にもベトナムから留学生が来ているので大学と交渉して、彼らに手伝ってもらいました。 大好評だったので毎年11月にはやっています。 日本語教室を立ち上げ、研修生の方たちに日本語を勉強してもらえるようにしました。 人を繋ぐことが一番大事だと思います。 国際医療ボランティアでアブダビでのお手伝いをしました。
これまでにお世話になった方々への恩返しという事で、本を読むのが好きなので、目の見えない方へ点字へ訳して図書館に収めて喜んでいただいています。