津田由美(地方公務員) ・見える障害と見えない障害
1970年静岡県生まれ。 津田さんご夫妻は共に身体に先天性の障害がありますが、共に働いています。 5年前夫は脳腫瘍の手術を受け、リハビリ訓練の後職場復帰しましたが、新しい仕事が覚えられない、家庭でも笑顔が無くなるなどそれまでとは違った症状、高次脳機能障害の症状が見られるようになり再び休職しました。 高次脳機能障害者支援センターで半年余りの就労訓練を受けて再び職場復帰を果たし、現在は毎日車椅子で出勤しています。 津田さんはこれまでの体験から病気や事故で脳の機能が障害を受ける見えない障害で悩んでいる方や家族に対する理解と支援を呼び掛けています。
私は生まれつき右の手足がなくて、いまは義手と義足をはめて生活をしています。 3歳から9歳までですが、障害を持った子が入所しながらリハビリをするような施設に入所していて、義足を付けて歩く練習とか、左手だけで日常生活を行うようなリハビリをしていたおかげで、幼稚園ぐらいから義足を使って歩けるようになりましたし、日常生活は左手だけで生活できるようになりました。 18歳ですぐに車の免許を取って行動範囲が広がりました。 義足も年々軽くなってきています。 大学も愛知県にある福祉大学に通って、言語聴覚士という仕事があることを知って、大学から専門の学校に2年間通って言語聴覚士の資格を取りました。 脳梗塞、脳出血などで脳にダメージを受けた方が言語野にダメージを受けた方が失語症になり、話す機能を取り戻すとか、コミュニケーション手段を獲得するためのリハビリをしたりとか、そういったものをやっていました。 今は横浜市の区役所で事務をやっています。 20年続けています。
2017年春に夫に異変がありました。 全身をガタガタさせて痙攣をしていました。 救急車で運ばれて脳腫瘍だと診断されました。 夫は元々足の障害を持っているんですが、結婚して数年後から足が歩きにくくなってきたとか、立っていることも大変だというようになりました。 今思うと脳腫瘍のきっかけだったのかもしれません。 鉄道会社に勤めていました。 手術は朝9時ぐらいに始まって12時間かかりました。 95%の腫瘍が摘出できたという事だった。 後遺症があるかも知れないと指摘されました。 目が見えなくなるとか麻痺が他にも出るかもしれないという事だった。 リハビリ後職場復帰をしました。 バリアフリーのある事務職になりましたが、新しい仕事がなかなか覚えられないとか、一度に二つの事が出来ないという事、コミュニケーションもうまく取れなくなってしまいました。 家でも話をしなくなり笑顔も消えてしまいました。 4か月後に仕事に行けなくなりました。 見えない障害、高次機能障害という事でした。
高次脳機能障害者支援センター(県に1か所はある。 ほかに政令指定都市)で半年余りの就労訓練を受けて再び職場復帰を果たしました。 センター内では最初は週に2日から段々週に5日通えるように体力も付けます。 軽作業とか、運動もやっていました。 車椅子マラソン(2km)に出ようという事を夫が言い出して一緒にださせていただきました。 高次脳機能障害について周りに理解してもらうようにすることが大変でした。 支援センターの方が会社側との話し合いなどにも参加していただいて助かりました。
何処までが障害のための影響なのか判りにくくて、見えない障害の難しさを感じます。 職場ではさらに難しいと思います。 高次脳機能障害については理解の得にくさがあると思います。 人によっても障害の内容が違って千差万別です。 私はサポートされる側だったのが、夫をサポートする側になって支える側の大変さを知りました。 支援する家族の悩み相談が出来るところがあると有難いと思います。