網野妙子(フラワーデザイナー) ・【心に花を咲かせて】人を幸せにするフラワーデザインを目指して
網野さんはドイツ流フラワーデザインを日本に広めた方で、その後プリザーブドフラワーを広め、さらに今は植物由来の造花作りに夢中だそうです。 それは花で世界中を幸せにしたいという思いからという事なんですけれど、どういう事なんでしょうか。
元々お花が大好きでした。 小学校の頃から庭に咲いている花を切り取っては学校に持っていきました。 小学校の頃からずーっと生け花をやって、大学を卒業してから生け花の専門学校を朝から晩までやって、教える立場になりたいと思っていました。 夫の転勤で海外に行った時に、生け花を教える機会があり、その方たちとの交流もあってアレンジって素敵だなと思いました。 ドイツです。 日本の生け花に似たところもあり、植物の植生を活かして葉っぱでも花でも根っこでもすべてを愛でるアレンジメントで衝撃的でした。 日本の生け花の配置がありますが、それを理論化して数値化して図面に起こしたもの、それがドイツスタイルのテキストだったんです。 ドイツの生け花の基本になっているのが日本の生け花で、造園もそうですが基本が盆栽なんです。 テキストには生け花、盆栽という言葉がしょっちゅう出て来ます。 生け花を教えている中で、向こうのスタイルが徐々に判って来ました。
1991年に日本に戻ってきて、アレンジを習いたい人が多かったんです。 洋花が凄く多く入ってきた時代でした。 生け花からアレンジの方に変えました。 ドイツのテキストを日本語にしてしまいました。 日本では例えば秋の草花、木の枝を半年、1年持たせるためにつやを出して、(今でいうとプリザーブド)生け花の世界では100年続いてきました。 海外でも保存できる花として活用していました。 それに日本人も飛びついてプリザーブドフラワーと言い出しました。 海外に行ってプリザーブドになりやすい花を選んで、農園でプリザーブドを出荷できる畑に作り上げます。 それを工場でしっかり管理して日本に出荷できるタイプの花を作り上げる。 海外のデザイナーさんが使ったので日本人はいい花なんだなと思って輸入もしているし、日本でも作っていますが、プリザーブドフラワーを世界に広めたのは日本からなんです。
2002年の国際花博(10年に一度でオランダで開催)の日本政府ブースからプリザーブドで全部飾らせていただくことが出来て、それ以後そのほかの数年に一度の世界の花博も同様に日本政府のブースはプリザーブドで参加させていただいています。 水やりをしなくていいので管理は楽です。
タイのチェンマイで大きな国際花博が2006年にありまして、プリザーブドで日本政府のブースを担当しました。 見つけたのがウレタンの様な花でした。 香水を室内に香りを広めるために飾っておくものでした。 見に行ったら池の周りを這っているような植物でした。 水稲が実って倒れるのを支える草でした。 稲と一緒に植えていたんです。 硬いのでかつら剥きとか加工しにくいので、植生からいい場所をっ見つけ出して開発してゆきました。 2mぐらいになりますが、茎の芯は2~3cmあり15cmにカットしてかつら剥きして、大根で花を作ると同じようにシートを花に作り上げるわけです。 タイで加工して日本に持ってきます。 乾くとパリパリになって割れてしまうので、プリザーブドの技術があるのでソフトに加工して今の綺麗な花になってきています。 一種のドライフラワーです。 アーティフィシャルなデザインが出来てとっても面白いです。 タイの人の雇用にもなり10数年やってきました。 本来ゴミになるようなものを上手く利用、タイの女性の就労支援になる。 3年前には300人以上になりタイから表彰されました。 その植物の花は花茶として利用されていますが、皆さん知りません。 その植物が生えている時にはセノー、 市場にあるところではセスバニア、アロマのデイフユーザーではソーラ?(ソラセノーの略か?)とういう通称の言葉を使っているのでタイの人でも判らない。 アシナメーネ アスペーラという植物です。
植物による海外支援の一端、 カンボジアでは地雷を撤去した後にコットンを植えることを考えているが、植生が難しいのでその審査し、ほかの植物へと指摘をしに行ったりします。エチオピアへプリザーブドフラワーの支援にも行きました。(薔薇) ベトナムでも話がありました。(コーヒー農園に薔薇)