斎藤惇夫(児童文学者) ・あなたを支える子ども時代のあなたを再び
斎藤惇夫さんはイギリスの詩人ワーズワースの言葉「子供は大人の父」を胸に、80歳の今も幼稚園の園長として子供と遊びよく読み聞かせの日々を送っています。 子供たちが豊かな想像力を広げる幼少期に出会う本はその後の将来の土台となるたいせつなもので、長く読み継がれる児童文学書には読み返すたびに新しい発見があるといいます。 読み聞かせや本の選び方などを伺います。
ねずみのガンバを主人公とした波乱万丈の動物冒険物語、冒険者たち、で国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選ばれています。 80歳の今も幼稚園の園長をしています。 コロナで宿泊保育、遠足とかできないので、園庭で遊ぶこと、園舎のなかで本を読んでもらう事、雨の日は園舎のなかで暴れる事、それぐらいは全く変わりなしにやっています。 70名ぐらいの小さな幼稚園なので、25名程度に分けて誕生日会を行います。 子供たちの主体性任せてサポートするぐらいで催し物はやらない方針です。 ふれあいだけの幼稚園と言ってもいいぐらいです。 毎日同じことをやっているようでいながら、社会性、個、を理解してゆき3年間で一番大切な事柄を日々経験していると思えるぐらいまで見事に自分達で成長していきます。
私は子供たちにとっては遊び仲間なんじゃないでしょうか。 「園長は大きくなったら何になるの」と結構聞かれるんです。 その時には本当に戸惑います。 子供たちと一緒に遊んでいる一つ一つはかけがえのない喜びですね。 街なかで卒園生に会ったりすると「おい 園長」と声を掛けてくれるんです。 何となくうれしくなって旧友に会ったような感じがします。 弁当を食べるときには覗くとお母さんの作ったものを自慢するわけですが、僕が「弁当は自分で作って来るんだよ」と言ったらみんな一斉に目を見開いて「園長にはさあ お母さん居ないの。」って言ったんです。 子供たちは凄いと思いました。 憐みの眼差しは忘れられません。
子供たちは3~5年間しかまだ生きてきていなくて、横の流れの時間ではなくて、垂直な今、今、で問いかけてくるわけです。 プール開きの日に一人のお母さんが子供の水着を忘れてしまって子供は泣き出してしまったが、抱きしめて「明日水着持ってくれば入れるから」と言ったんですが、明日ではないんですね、今なんですよね。 我慢しないで精一杯泣くのもいいです。 3歳児は語彙が少なくて表現できないので、ぶったりけったりしたりしますが、言葉の表現の一つだと僕は思います。 お互いに痛さも知ってゆくわけです。 読書の前にまず子守歌があり、書いて読んでみると美しい日本の詩があるんだという事を認識していただきたい。 お母さん、おばあさんなどの地方の言葉の美しさが子供に眠りを誘っていた。 僕は越後地方の昔話をよく聞きました。
「昔 昔・・。」で始まるが、「むかし」は向こう側という事が判っている。 向こう側というのは空間も時間も越えた向こう側、だから今の話ではない。 祖母が火鉢に栗を入れて、よく僕たち3人に話をしてくれて、終わると長火箸で栗を取りだして剥いて口の中にいれてくれました。 話をせがむと、もう栗を食べたからダメと言われ、栗をくわえて布団に入って寝るわけですが、今聞いた話と栗の甘さを味わいながら眠りに落ちるわけです。 甘いものがない時代で栗の甘さをよく覚えています。 面白くなかったら物語とは言えないという感覚は子供の頃に徹底的に経験しました。 僕にとってはとっても大切な経験だったと思います。 面白い話はクライマックスがあり納得が出来る終わり方がある。 子供の頃はハッピーエンドではなかったら僕は許せなかったです。
「ピーターラビット」では最後にピーターラビットは改心などしません、また明日いっちょやってやろうと、それが子供にとってのハッピーエンドだと思います。 見事な起承転結です。 母の言いつけを破ってピーターはマグレガーさんの農場へ忍び込んで野菜を食べ、マグレガーさんに見つかり、追い回される。辛くも逃げ出す事ができたが上着と靴をなくしてしまい、それはマグレガーさんの新しいカカシへ使用された。 ビアトリクス・ポターの児童書で子供たちは暗誦できるほど楽しんでいた。 ポターは昔話をたくさん読んでもらっていたのと、シェイクスピアの際立ったセリフは全部暗誦していたそうで、聖書、この3つが複合されて出てきたんでしょうね。
昔話は絵なしで楽しむことが出来た文学なんですね。 語り文学は子守歌、わらべ歌の延長線としての文学であるわけです。 子供たちに映像化できる文体であった。 「あらしの前」が5年生、「あらしのあと」が6年生の時に読みました。 戦争に対してノーと言いながら、家族の生活を一番大切にするんだ、という事を明らかに高らかに歌い上げている。 自分が歩いてゆく基本はここにあるんだというような気がしました。
子供には言葉にならない感動だけを一杯持っていて、それがなんだかわからないというのが一番いいと思うんです。 その体験を一杯積ませてやるのが大人の責任だと思います。 ピーターラビットには怖い内容(死に関すること)もあるので、一番安心できる人が優しく読んであげる。 怖くなって来てもその人の顔を見れば安心だという人が読んでやらないと子供たちは文学の中に入って行けない。 質のいい本を選んであげる。 4年生までは毎日15分間読んであげる。 フィンランドのお父さんは毎日15分間読んであげるのは普通だそうです。 物語は何回も読んでいるとどんどん深みが判って来るだなという事を教えてくれました。