2022年2月5日土曜日

特集 阪神・淡路大震災から27年 ~音で紡ぐあの日の思い~

 特集 阪神・淡路大震災から27年 ~音で紡ぐあの日の思い~

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から27年になりました。  あの日を音で振り返り、27年経った今を伝えます。   地震当時の揺れの音や火災の音が一部流れます。     今年1月17日午前5時46分神戸市など被害の大きかった地域では各地で追悼行事が行われました。  会場の一つ神戸市中心部の公園には家族や親せきを亡くした方など多くの人が集まって、5000本ほどの灯篭に灯りをともし亡くなった人を悼みました。 

会場は照明が消され灯篭の灯りが浮かび上がります。  祈りを奉げる人々の顔を優しく照らします。  神戸の街を見降ろす諏訪山公園から聞こえてきたトランペットの音。  松平晃さんは毎年ここで演奏してきました。  二度と同じような災害が起こらないことを願って松平さんの思いが街に響きます。 

神戸市長田区のカトリックたかとり教会です。  お経が唱えるなか焼香が行われています。  宗教の壁を越えて亡くなった人を弔う。   震災で亡くなった人は6434人、その一人一人の名前が壁一面に掲げられている場所があります。  人々はここ瞑想空間と呼んでいます。  「又来たよ」と叔父さんに会いにきました。   天井近くに母の名前が書かれていて、見つめている女性もいます。  「毎年思うんですが、手が届けばなあと思って」  2階がすとんと落ちて引っ張り出してもらって病院に着いた時には、もう駄目だった人が一杯廊下に寝かされていました。  母はストレッチャーに乗せて連れて行って貰いましたが、結局は駄目でした。  母と腕を繋いで、が最後でした。    忘れられたら楽だとは思いますが。

放送局の室内はものが散乱し、足の踏み場もありませんでした。   街は一変しました。緊急車両のサイレンの音は止むことはなく、倒壊したビルや建物がその行く手をふさいでいます。   倒壊した建物で懸命な救出活動が進められます。   救出された女性が家族と抱き合います。  マンションの3階から火の手が上がっています。   消火活動が難航している様子です。   神戸市長田区では広範囲にわたって火災が広がりました。  火の勢いが強く住民たちはなすすべがありません。  消防車が到着しても放水が出来ません。(水が出ない)   

高速道路もいたるところで寸断されました。   淡路島では住民同士が協力して 救出作業に当たっていました。     住民たちも近くの公民館に避難しました。   学校の校庭で不安な一夜を過ごす人たちも多くいました。   

追悼行事では次の時代を担う若者たちが誓いを新たにしました。  震災で大きな傷を負った街。  神戸港の一角にあの日を今に伝える場所があります。  崩れた岸壁や、傾いた電灯がそのままの姿で残されています。   

5000本ほどの灯篭には「1・17」と「忘」という文字が書かれていて、忘れないとか、もう忘れてしまいたいというような思いがかけられています。  

経験した世代から知らない世代へ、そして知らない世代が伝え始める震災です。 小学校では、毎年1月17日が近づくと阪神淡路大震災を伝える授業が行われます。  兵庫県芦屋市で震災授業の講師を務めていたのは、米津勝之さん(61歳)、当時小学1年生だった息子の那之君と5歳だった娘の深理ちゃんを亡くしました。  見つけ出された邦幸君?のランドセルの中には「あのね帳」が入っていました。  そのノートには震災の前日の出来事が記されていました。   娘の幼稚園の慰霊碑に刻まれた文字、「忘れないあの日のことを」の「あの日」について子供たちに問いかけます。  震災の日だけにとどまらず、経験していることとか、場所とか、お互いに接点を持てるようなことを見つけ出すような場面が、結局伝えるとか、繋いでゆくという場面になるのではないかと、今は思っています。

震災の記憶はないけれど語り部として歩み始めた女性が居ます。  生後2か月で阪神・淡路大震災を経験しました。   米山未来さん(27歳)  兵庫県淡路市出身で今は東京で働いています。  オンライン語り部を始めました。  15回配信、これまで延べ1500人が耳を傾けました。   米山未来さんの父も16年前から語り部をしています。   親子で語り部に関してのことについて話し合いをしあっています。   毎年追悼行事が行われていて、淡路島の追悼の様子をライブ配信アプリで米山未来さんは伝えていました。