川口成彦(ピアニスト・古楽器奏者) ・【夜明けのオペラ】ショパンの愛したオペラ
32歳、、東京藝術大学音楽学部楽理科を経て、同大学院古楽科およびアムステルダム音楽院古楽科修士課程を修了、2018年第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位となりました。 このコンクールの模様はNHKのBSでも紹介され話題となりました。 川口さんはフェレンツエ音楽祭などヨーロッパの音楽祭に数多く出演、第46回日本ショパン協会賞受賞、2021年には 第31回日本製鉄音楽賞 フレッシュアーティスト賞を受賞しています。
ショパンはオペラが大好きで、ショパンの夜想曲だとか、彼はオペラは作らなかったけれど、ピアノでオペラアリアを作曲されているぐらいです。 バラードもドラマチックでオペラのような要素も凄くあると思います。 彼のピアノの演奏法自体が、ピアノで歌唱的な表現を目標にしていたと言われています。 彼自体、音楽というのが言語表現だと言っています。 音に言葉が内在しているという風に捉えています。 ピアノは音が減衰してしまうので、ピアノで人間が歌っているように表現するというのは結構難しい。 でもショパンはそれを目指していた。 なのでショパンは10代のころからたくさんのオペラを観にいっていた。
*「願い」 ショパンの歌曲 ワルシャワにいた10代の頃の作品
ショパンは若いころから大切な人を亡くしている。 妹のエミリアは彼が17歳の時に亡くしている。 大親友だったヤン・ビャウォブウォツキ Jan Bialoblocki(1805-1827)も彼が18歳の時に亡くしている。
*「ポロネーズ第15番 変ロ短調 KK. IVa-5」 通称『別れのポロネーズ』 ショパンが16歳の時の作品 妹のエミリアが結核で療養に一家で鉱泉行くときに書いた作品。 出発に先立ってこの曲を友人コルベルクに送った。
ショパンはロッシーニの大ファン。 1830年に祖国ポーランドを離れてウイーンでの活躍を目指すがうまくいかず、パリに行きロッシーニと出会う。
モーツアルトはショパンが幼少期から大切な音楽家だったようで影響を受けている。
*歌劇 『ドン・ジョヴァンニ』から「お手をどうぞ」モーツアルト 作曲による変奏曲 ピアノ独奏
1933年にショパンとベッリーニはパリで会っているが、その2年後にベッリーニは亡くなってしまう。
ショパンはピアノ音楽の作曲家なんだと割り切ってというか、ピアノを愛しすぎて、ピアノ音楽しか書かなかった。 オペラが大好きだったショパンのピアノ曲にはオペラ的な場面が沢山あります。
*「ノルマ」から「清らかな女神」のピアノ変奏曲 ベッリーニ:作曲