2022年2月17日木曜日

マンスール・コルドバッチェ(画家・彫刻家)・芸術と料理で日本に恩返し

 マンスール・コルドバッチェ(画家・彫刻家・居酒屋店主)・芸術と料理で日本に恩返し

イランの画家、57歳、居酒屋の店主です。  35年前に日本語学校に留学するために来日し、奥さんの清美さんと知り合い、東京の板橋に居酒屋を開店しました。  マンスールさんは二科展に4年連続入賞、日展にもこれまで16回入選しています。    マンスールさんはこれまでお店の経営も芸術の分野でも多くの日本の人たちに支えられてきたと感謝しています。そんなマンスールさんの思いを伺いました。

1988年に初めて日本にきました。 34年目になります。  イランの日系企業に勤めるために日本語を学びに日本にきました。  昼は学校、夜は居酒屋でアルバイトをしながら一生懸命日本語を勉強しました。   日本企業が撤退してイランに帰れなくて日本に残る事になりました。   アルバイトをしていた店にお客さんで来た人にプロポーズして、きよみさんと結婚して妻の実家の近くに居酒屋を始めました。  娘も二人生まれました。   去年の日展でも絵画で入選、娘がイランの民族衣装(チャドール)を着て、それを絵にしました。    娘をモチーフに描いてきましたので、娘の成長の記録のような感じです。   4歳より絵画を始め、イランの画家HOSSEN TONDKARに師事しました。   先生は昨年に亡くなりました。   

居酒屋に来たお客さんで鶴田松盛先生と知り合い、先生のアトリエで土日一緒に絵を描いていました。  二科展の初出品、初入選しました。   4年連続で入選しました。  日展にも出品したら落選して、その後10年連続で落選しました。  「焦らず、慌てず、諦めず」という言葉を貰って、それを大きく書いてアトリエに貼って、居酒屋の厨房にも小さく貼って、2007年に日展に初入選してからアトリエのは消しました。   16回入選し、日展の会友になっています。   家族には感謝してます。  コロナ禍で、今回は白黒でやってみました。   絵にサインをした後に「、、、」がありますが、それには意味があって外国で生きてゆくと精神的にも大変で、涙が出ます、人には見せられない涙です。 「、、、」は私の涙です。    1990年後半に彫刻の瀬戸剛先生に弟子入りしました。 厳しい先生で、職人の世界の様でした。  彫刻も初出品初入選し、先生から褒められました。  ダブル入選しました。  

居酒屋の激安、超大盛。   2年目に妊婦の夫婦が来て、夫が予算がないからということでサイコロステーキを止めて380円の焼きそばを食べて帰りました。   その晩に夫婦の会話が気になって、サイコロステーキを食べたらどんなに栄養が体内の子にいいだろうかと思って、全部のメニューを380円に替えました。  値段を気にしないで食べたいものを食べて欲しかった。  しばらくしてからその夫婦が来てサイコロステーキを頼んだので、前回のを含めて大盛にしました。  笑顔が未だに忘れません。(28年前)  それが大盛の始まりですが、結構やりくりが大変です。   オムライスは3kgです、税込みで400円ですが、赤字です。  ドリンクをいただいてもらえればいくらか助かります。   アルバイトで何とか帳尻を合わせています。  

板橋は人情のある街で、好きな街です。  食器など欲しいものを店の前に書いておくと置いてあります。   近くの居酒屋の常連がうちの店に数日来ていましたが、その居酒屋のマスターが困ると思ったので、ある日断りました。   そうすると前の店に戻ったようで、マスターが翌日お菓子を持ってきて、「ありがとうございました。」という事でした。うちの店では常連さんという差がないようにしています。  

個展をやらないかという話があり、福島県の川内村で個展することになり、村興しの一環で小学校を美術館にしてそこでやる事になりました。  4か月やりました。 東日本大震災で作品を保管してくれ戻ってきました。  震災を忘れてはいけないと思って、店の時計を2時46分に時間を合わせて電池を外しました。  どんどん時計が増えて十数個の時計が2時46分になりました。  或る日時計を見て泣き始めたお客さんがいて、その晩に針を全部外して針のない時計を飾りました。  しばらくしてそのお客さんが来て、しばらくして針のない時計を見て喜んでくれて、ビールしか飲まないお客さんでしたが、焼酎を2本置いて行って、いつか友達が来た時に飲ませたいと言いました。  心の中に2時46分はしまいました。  3月11日には寄付をしています。  先生方はじめたくさんの人に出会って感謝しています。