井上順(歌手・俳優) ・【私のアート交遊録】いつも前向き!
75歳、最近でもツイッターを始めたり、初のエッセーを出したりと、その勢いは止まりません。 いつも前を見て突き進む元気の塊のような井上さんですが、実は50代で難聴になり深刻に落ち込んだ時期がありました。 しかし持ち前の前向きの明るさはこの時も自分にできることは何かを考えさせ、社会貢献も強く意識するようになったと言います。 新たな楽器を習得したり、コロナ禍でも発信したいとツイッターを始めたりするなど、表現者として挑戦を続けています。 75歳の今も常に前を向き新たなジャンルへの挑戦を続ける井上さんに若さを保ち人生を楽しむ秘訣を聞きました。
舞台を見に行ったら役者さんの声が小さい、隣の人に聞いたらまあまあですね、いう様な感じでした。 或る時、本読みがあって声が小さいんです。 耳鼻科に行ったら難聴だと言われ治らないといわれました。 原因は若いころから大きな音をたえず聞いていて、自分らも声を大きく出していたりしていて、耳を痛めて行ったようです。 ショックでしばらく落ち込み人と話すのがおっくうになってきてしまいました。 これではいけないと思って、難聴のことを話して補聴器を付けたらこんなによく聞こえるのかと思いました。 2006年の調査では聴覚障害のある方はおよそ27万6000人と推定、高齢化によってさらに増加しているようで実態はわからない。 公開して行くことが大事だと思います。 正直でいたいと思っています。 補ってくれる人たちもいます。 三谷幸喜さんからNHKの「真田丸」に話があった時に、補聴器をやってるのでだめだといわれたが、織田有楽斎(信長の弟)役で頭巾をかぶるんです。
両親のいいところを全部頂戴した様に思います。 兄、姉、僕で歳がちょと離れていて、両親と一緒に映画などの時間を過ごして、帰っては兄、姉にしゃべっていて、笑顔が絶えない家庭でした。 そういった環境を作ってくれた両親には感謝感謝です。 15,6歳の頃に「六本木野獣会」という遊び人の仲間に入った時には止めずに勧めていました。 楽器を演奏している人たちとの出会いがあり一緒に過ごす時間があり歌わせてもらったりしました。 練習後ご飯を食べに六本木に行きました。 「六本木野獣会」には峰岸徹、大原麗子、田辺靖雄、ジェリー藤尾さんら等との出会いがありました。 スパイダースに呼ばれましたが、そこでも歳が一番下でした。 田邊昭知さんはそれほど厳しい怖いという感じではなかったです。
解散した時に、写真家の立木義弘さんの家に出入りするようになって、「何とかなるよ。」と言ってくれました。 或る時母親が誘ってくれて、演劇評論家の日下さん、奥さんが吉田名保美さんで事務所をやっている方とお会いすることになりました。 奥さんからうちに来なさいと言われて、即決しました。 行って吃驚しました。 森光子さん、黒柳徹子さん、平幹二郎さんなどスターの方たちが一杯いました。
「ありがとう」という番組に出演して全国に知られるようになりました。 いろいろな出会いがあり、それを無理なく体に取り入れて行ったと言うような感じです。 黒柳さんと一緒に司会をするようになりましたが、黒柳さんは何を言いだすかわからないような人でしたが、段々驚かないようになりました。 それが土台になり芳村真理さんと楽しい時間を過ごせました。 困ったという事は生まれませんでした。
73歳でツイッター、エッセー「グッモー! 」を最近出版しました。 渋谷生まれの育ちなので、区から名誉区民を頂戴して、何かお返しにと思って、昔からの渋谷を紹介しようと思ってツイッターを始めました。 出版社の方が目にとめてくれて、エッセーを書く話になりました。 やっている間に枝葉が広がって行って、楽しいことを迎えいれてくれました。 ファン層も広がりました。 出会いがいろいろなことを教えてくれます。好きな言葉は「ドウー」 思ったらやる、失敗しちゃったっていいじゃないですか。 ダジャレはいい頭の体操になります。 西川 悟平さんが東京パラリンピックの閉会式でフィナーレを飾った名曲「この素晴らしき世界」を演奏。 この曲が私のお勧めの一点です。