2021年12月16日木曜日

高橋町子(審判員)           ・女子野球のストライクを目指して!

 高橋町子(審判員)           ・女子野球のストライクを目指して!

今年8月23日甲子園球場で70年代の夢をかなえた元女性野球選手がいます。  高橋町子さん(85歳)  子供の頃から野球に魅せられて社会人野球の選手、市民野球チームの監督、硬式審判員など85歳の今もボールを追い続けています。   全国高校女子硬式野球大会の晴れ舞台を甲子園球場でという長年の夢が実現した今年、高橋さんは始球式を務め見事なストライクを投げました。   性別や年齢、障害の有無にかかわらず、誰にでも野球の楽しさを感じて欲しいと市民野球の審判、監督、グラウンド整備、子供たちの野球教室にと日々情熱を燃やす高橋町子さんに生涯追い求め続けてきた野球の魅了を伺いました。

8月23日甲子園球場で女子の決勝戦があった時に、栄誉ある始球式を務める事になり、びっくりしました。  今年25回目を迎えた、全国高校女子硬式野球選手権大会、決勝戦が初めて甲子園球場で行われ、神戸弘陵学園高校が4-0で優勝。  四津さんが一番の功労者だと思います。   「女子硬式野球の父」と呼ばれる「これをやっていなければ家の2軒は建っていたと思います。」 と言っていました。    四津さんの思いを背負ってマウンドに立たせていただきました。   私を応援してくださった方々に感謝の気持ちを込めて、跪いて「ありがとうございます。」と感謝の気持ちを述べました。 何とかノーバウンドでという思いで投げました。   

宮城県鬼首村旅館をやっていてそこで生まれました。  川で石を小さいころから投げて遊んでいました。   山からゼンマイを取ってきてわたをタコ糸で丸めるとボールのようになりそれで近所の男の子たちと野球をやっていました。   姉たちからはいつも辞めろと言われていました。   中学では男の子たちがチームに入れてくれるが、他校との試合となると女子は駄目でした。   高校では野球部がなくて、朝5時からバスで1時間、電車で1時間のところの共学の高校に転校しまた。  硬球を初めて手にすることができました。  その重みがずーっと忘れられなくて、いつかは女の子も絶対このボールでやらなければいけないんだと、その時から思っていました。    ソフトボールで第8回四国であった国体にださせてもらいまして、「女子野球団来る。三共、わかもと古川遠征」とポスターがあり、、そこへ3人で出かけキャッチボールなどをして、今年12月に東京でテストがあるから受けてみないかと誘われました。  2人で受けに行き合格通知をもらいました。  家からは反対されましたが、押し切って行きました。  クラスメートは喜んでみんなで駅で「頑張れよ」と送ってくれました。   今でも忘れられません。  それが支えになってずーっと続けられました。  

社会人野球のわかもとに入って、直ぐサードに抜擢されてレギュラーに成れました。   肩は凄くよかったですし、力があってバッティングもよかったです。   島津雅男監督との出会いがありました。 素晴らしい監督さんでした。   ミスをしても怒鳴らない、いいところを見ては褒めて伸ばしてくれる、監督さんでした。   以前学習院大野球部監督をしていました。  数年してわかもとは解散になり、野球部のある会社を捜しました。  42,3年にバッティングセンターで模範打撃をして、長嶋選手とも一緒になってやったことがありました。   気さくな方でした。   北区で野球チームを作ろうと募集しましたら、高齢な方もいました。  ボールの持ち方からそういった人たちにも教えました。(中学1年生から70歳代まで)   私、娘、孫までチームに入ってやりました。   東京都還暦連盟と言って60歳以上のチームがあり、女性だけでは足りないので混成チームでいいか問い合わせたらOKという事で、エンジェルスという男女混成チームでやっています。  最初は女性という事で厳しい目で見られましたが、段々馴染んでいきました。

43歳で審判の道に進みました。   審判技術講習会というものがあり、申し込んだら入れていただきました。     東京都軟式野球連盟の公認審判員、全国高等学校女子硬式野球連盟の審判員もしています。   アメリカのジム・エバンス審判学校にも連れて行っていただきました。  世界中の審判の憧れの審判学校です。   審判になってよかったのは、審判は公平でなくてはいけないので、人に対して公平になれたという事、いろんな方との交流が持てるようになりました。   聴覚、視覚障害者、肢体不自由の方々は障害を乗り越えて野球をする姿に感動、感銘しました。   手話を覚えれば通訳を介さなくても試合などがスムースに出来ると思って、手話を習いました。  チームのメンバーに取ってもいろいろといい勉強になりました。   一球,一球の大事さ、すばらしさを感じます。

70年ぐらいをずーっと続けてこられたのはやっぱり野球が好きだから、という事に尽きます。  生ある限り野球に関わり、野球に恩返しをしたいと思います。  雨の日も出かけて行って、水たまりになったグラウンドの整備して選手を迎えたり、終わったら、使った道具、ベースなどを水道できれいに洗って、収納したりしています。  河川敷なのですべて審判員がやります。    この年齢までできているのは皆さんに支えていただいているお陰で、やらせて頂いていると思って感謝しかないです。  島津流で褒めて伸ばしていきたいと思います。    自分がやりたいことがあったら、やっぱり自分の意志を一途に持ち続けて自分の意志を貫き通してほしいと思います。